十.スサノオ、交渉する
夜之食国の御殿にて。
「……なるほど。
高天原のオモイカネさんが、私の協力を仰ぐようにと言ったのだね」
「そ、そうなんです!
ツクヨミ様のお力添え、黄泉の国に行くための助けになれば、と思って……」
ウズメは緊張している様子で、上ずった声でツクヨミに懇願していた。
「常世の長鳴鳥に関しては心配いらない。
姉上のアマテラスを復活させる宴の際には、彼らを常世の国から呼び戻し、宴に向かうよう手配しよう」
「あ、ありがとうございますッ!」
「それから……黄泉の国へ赴くと言っていたけれど。
我が母イザナミに会いに行くのだろう? 長い旅になると思う。
その間、貴方たちは食糧や水をどうするつもりなのかな?」
ツクヨミの言葉に、ウズメだけでなくタヂカラオやスサノオも、ようやく事の重大さに思い至ったようだ。
黄泉の国において、水や食物を口にしてはならない。
黄泉の国の食べ物は「ヨモツヘグリ」と呼ばれる。食べたが最後、たとえ神であろうが黄泉の住民と化し、二度と黄泉の国から出る事が叶わなくなる──すなわち亡者と化してしまうのである。
「……対策は考えていなかったようだね。いいでしょう。
今から書状をしたためるから、それを持っていくといい。
少し遠い場所になるが、協力者のアテがあるんでね。私の紹介があれば、きっと力になってくれる筈だよ」
「本当か? 何から何まですまねぇなぁ。助かるよツクヨミ様!」
タヂカラオは嬉しそうに感謝の言葉を口にしたが。
スサノオだけは、憮然とした目でツクヨミを見ていた。
「……スサノオ、どうしたの?」
「ツクヨミ。お前……本当にそれでいいのか?
お前は思った事を、なかなか顔に出さないからよ」
「どういう意味だい?
姉上を救うために、こうして出来る限りの協力と助言を──」
「お前はどう思ってるんだよ?
このまま自分の国に腰を置いたまま、オレたちの帰りを待つだけでいいと、本当に思ってるのか?」
スサノオの鋭い言葉に、ツクヨミの顔が僅かに歪んだように見えた。
「さっきのタヂカラオとウズメちゃんの様子を見て、オレにも分かった。
ツクヨミ。今のお前……『独りぼっち』なんだろう?」
「!」
「夜之食国に入ってから。
ツクヨミ。お前以外の誰も姿を現さねえし、声も聞こえねえ。
あの穢れた暗雲が、この国にも紛れ込んできて……この国に棲む者たちから、お前の姿は見えなくなってる。だからみんな、お前の事を忘れちまって、誰も姿を現さない。そうじゃねえのか?」
スサノオの指摘は、ツクヨミを動揺させた。
タヂカラオとウズメは話について行けず、茫然としている。
(タヂカラオもウズメちゃんも、ツクヨミを忘れた事も忘れてる。
だからこの説得には力を貸してくれねえ。オレだけで、何とかしねえと。この場だけは……!)
「……スサノオの、言う通りだよ」ツクヨミの声には、若干震えが混じっていた。
「今の私は孤独だ。今まで慈しんでいたこの国の者たちも、今や私を見知らぬ神であるかのように振舞う。
私も出来る事なら、スサノオの旅について行きたい。
私の力が役に立てるのなら……ね」
「だったら……」
「でも駄目なんだ。スサノオなら分かってくれると思うが、私が同行するという事は、いずれ全てを『忘れ去られる』という事だよ。
たとえ黄泉の国から無事生還し、姉アマテラスの魂を持ち帰ったとしても。誰も讃えてくれない。
スサノオが犯した罪が許される事もない。待っているのは栄光とは程遠い、恥辱にまみれた末路だよ」
ツクヨミの言葉に、スサノオはフンと鼻を鳴らした。
「なんだよ……そんなくだらない事を心配してたのか?
オレは姉上を助けたい。だからこうして旅に出る事にしたんだ。
姉上さえ無事に目覚めて、それで天上も地上も陽の光が戻るってんなら、それで十分さ。
実際オレが撒いた種でこうなっちまったんだ。事が全部終われば、後はオレを煮るなり焼くなり、好きにしてくれればいい」
「何言ってんだスサノオ! 俺がそんな目に遭わせるなんて承知しねえ!
高天原の分からず屋どもが寝言をほざくなら、何百回だって抗議してやらァ!」
「そうよそうよ! スサノオくんは心を入れ替えたんだから!
あたしだって抗議する! スサノオくんは本当は優しくて、頼りがいのある神だってね!」
タヂカラオとウズメの言葉に、スサノオは救われた心地だった。
たとえ後になって、このやり取りが忘れ去られたとしても、今その気持ちだけで十分だった。スサノオは勇気を得た。
「……いい仲間を持ったね、スサノオ。羨ましいくらいだ」
ツクヨミは悲しげに微笑みを浮かべて言った。
「でもやっぱり遠慮するよ。私が今、夜之食国を離れれば……ここを目指してやってくる長鳴鳥たちを導けくなる。
それに今でも、穢れた暗雲を私の神力で防いでいる事には変わりないんだ。
もし私がいなくなれば、この国はあっという間に穢れに飲み込まれ、死に絶えてしまうだろう……」
「……いや、方法ならあるぜ」スサノオは事もなげに言った。
「だがツクヨミ。お前にも覚悟してもらわなきゃならん。
お前の持つ魂魄……オレに半分くれてやる事が、できるか?」




