九.ツクヨミの力と秘密
スサノオ、タヂカラオ、ウズメの三柱と、海辺にいた長鳴鳥たちは、ツクヨミの治める夜之食国へと入った。
ちなみにこの「食す」とは、「支配する」という意味である。
夜が支配する国というだけあり、辺りは暗く、一寸先も見えぬ闇の世界。
「──みんな、こっちだよ」ツクヨミの導く声以外、何一つ聞こえぬ静謐。
「もうすぐ私の御殿に着く。そこでしばらく待っていて欲しい。
私はまだ、この長鳴鳥たちと話をしなければならないからね」
スサノオは何となく理解した。
彼ら長鳴鳥を、常世の国へと案内しなければならない。
本来ならあの海辺で一羽一羽導くはずだったが、禍神たちの乱入により、急遽全員を招き入れなければならなくなった──という事のようだ。
「えっと……ツクヨミ、様?」
ウズメが気恥ずかしげに、上目遣いをしながら尋ねた。
「名乗っていないはずなのに、どうしてあたしと、タヂカラオの名前が判ったんですか?」
ツクヨミは薄く微笑んでから答えた。
「私はツクヨミ。その名の通り、『月日を読む』という力を持っている。
その神に触れると、体験した過去の記憶を読み取る事ができるんだ」
「へえ……そういう事か。さっきスサノオに触れてたもんな」
得心いったらしく、タヂカラオから感嘆の声が漏れた。
ツクヨミの御殿に入るスサノオたち。
中は相変わらず外と同じく暗いものの、堅い板間の感触だけは、足を通して伝わってくる。
「……スサノオ。私が出ていく前に、頼みがある」ツクヨミは言った。
「何だ?」
「これから、私がいなくなった後……タヂカラオさんとウズメさんを、しっかり励ましてやって欲しい」
「? それは一体、どういう意味だ?」
「どういう事かはすぐに分かるよ。
でも安心して。長鳴鳥たちの案内が終われば、私は戻ってくるから」
謎めいた言葉を残し、ツクヨミの姿は消えた。御殿に取り残される三柱。
突如として空気が変わった。スサノオが振り返ると、タヂカラオとウズメの様子は明らかにおかしくなっていた。
「……何だここは。 スサノオ。ウズメ! どこだ? いるのか?
辺りが暗くて何も見えねえし、そもそもどうやってこんな所に来たんだ……?」
「何なのよ、ここ。何も見えないじゃない!? あたし、いつの間にこんな暗くて恐ろしい所に、迷い込んじゃったの……?」
「って、何言ってんだよ、タヂカラオ! ウズメちゃん!
さっきまでツクヨミがいただろ? あいつに案内されて、この夜之食国の御殿に入ったんじゃねえか!」
二柱の奇妙な取り乱しぶり。スサノオは訳が分からなかった。
「ツクヨミ……? ツクヨミ様の事か? スサノオ。一体何の話だ?」
「そうよスサノオくん。
あたし達まだ、ツクヨミ様にお目にかかった訳でもないのに。
どうやって夜之食国に入れたっていうのよ?」
「なん…………だと…………」
まったく噛み合わない会話。混乱しかけたスサノオであったが、ツクヨミの先刻の台詞が頭をよぎり、ハッとして思い至った。
「禍神たちは『自分の姿を見失った』から、もう追ってくる事はない」と。
最初は何気なく聞き流した言葉であったが、今の二柱の惑乱の様子からして……信じ難い話だが、ツクヨミが姿を消すと『ツクヨミと会っている間の記憶も消えてしまう』のだろう。
(なんてこった。さっきまでツクヨミと会話してたってのに、ツクヨミの姿が見えなくなったってだけで、アイツと出会った記憶が全部消えちまうのかよ……!
オレだけがツクヨミを覚えていられる理由は……ひょっとして、神力の強さが関係してるのかもしれねーな。
だとすると、アイツと会った後も記憶を保っていられるのは、オレと姉上のアマテラス。後は父イザナギと母イザナミぐらいって事になんのか……)
どうすればいいのか、確証は持てなかったが。
暗闇の中、スサノオは身体が自然と動いていた。
タヂカラオとウズメの肩を抱き、必死になって言い聞かせた。
「大丈夫だ。心配いらない……今はスゲー不安だと思うけど。オレを信じて、今は待っててくれ。
もうすぐここに、ツクヨミの奴が戻ってくる。そうなりゃ、今の怯えた気持ちもきっとどうにかなる。
オレが、傍にいるからさ。だから今は……心を落ち着けて、待っていてくれ。
頼むよ、タヂカラオ。ウズメちゃん」
二柱は、しばしの間無言だったが……やがて、ゆっくりとその場に座った。
「……分かった。いや正直な所、何もかも訳が分からねえが。
スサノオがそう言うんなら、俺は信じるぜ。
このタヂカラオ様が、こんな暗がりに放り込まれたぐらいでビビり上がるなんて、ある訳がねえだろう!」
「スサノオくんが、あたし達を心配してくれて、勇気づけようとしてくるのは分かるよ。だからあたし……スサノオくんの言う事を信じて、待つ事にする。
それに今のスサノオくん……何だか頼りがいがあって、とても好きになれそうだもの、ね」
決して心から自分を信じ切っている訳ではないだろう。
肩から伝わってくる震えからそれが分かる。
だがそれでも健気な二柱の返答に、スサノオは「すまねえ、ありがとう」と感謝を述べた。
ツクヨミが戻ってくるまでの間。スサノオたちは不安を抱えながらも、肩を寄せ合って待ち続けた。
やがてツクヨミが御殿に姿を見せた。するとタヂカラオとウズメは、ツクヨミの事を瞬時に思い出し、先ほどまでと変わらぬ様子に戻っていた。
その豹変ぶりは、拍子抜けするほど早かった。と同時に、スサノオは気づいてしまった。
ツクヨミの姿を認めると、今度は「ツクヨミを忘れていた事」を忘れてしまう、という事を。
月の神ツクヨミ。強大な神力を持つ尊き三貴子でありながら、その実態が謎に包まれている理由を、スサノオは痛感した。




