八.夜之食国(ヨルノオスクニ)へ
薄暗がりの中、海辺から現れし、闇そのものを纏ったかのような御衣を着た麗神。その顔は、明かりの無い暗雲の夜においても、穏やかな輝きを放つ美しさである。
月の神ツクヨミは、海辺に集まっていた長鳴鳥たちに一羽一羽、そっと手を触れ、何事かを呟く。
話が終わると、彼らは順番に、その御衣の中に姿を消していった。
スサノオたち三柱は、物陰からこっそりその様子を見ていた。
「おい……ありゃ一体なんだ?」
次々と消えていく鳥たちを見て、タヂカラオが小さな声でスサノオに尋ねる。
「アレは……常世の国へと導いてるんだ。
夜之食国を経由して、あの鳥たちは海を渡り、やがて常世の国で羽を休め、魂魄を安らう。この地上の穢れから逃れるために」
スサノオとて、ツクヨミのやっている事をつぶさに見た事もなければ、あらかじめ知っている訳でもなかった。
だが判る。同じ三貴子として生を受け、特別に尊く高い神力を得た神として、ツクヨミの力が何を成しているのか。スサノオは直感的に把握できていた。
「すごい……判るのねスサノオくん。まるでスサノオくんじゃないみたい」
「ウズメちゃん、それどーゆー意味?」
「あ、ゴメン。思った事結構、素直に口に出ちゃうんだ、あたし。
っていうか、あの綺麗な顔の男神……アレがツクヨミ様、よね?」
ウズメは惚けた表情で、憂いを帯びたツクヨミの顔に吸い込まれるように、見入っていた。
「スサノオくんと同じ兄弟の神とは思えないわぁ……」
「放っておいてくんない?」
スサノオは半ばいじけた様な声を上げてしまった。
「いや待ってくれウズメ。ありゃ……女神だろ?
あんな整った顔立ちの男神なんて、今まで高天原でも見た事がねえぞ。
なあ、スサノオ。ツクヨミ様は女神なんだよな?」
「えっ…………」
タヂカラオからの疑問の声に、スサノオは改めて思い悩んだ。
ツクヨミとは、生まれてすぐ別れた間柄であり、面識どころか会話した記憶もほとんどない。
スサノオは今まで何となく、ツクヨミの事を男神だと思い込んでいたが……実際のところ、どっちなのだろうか?
(当のツクヨミに、直接聞いてみるしかないかも……)
と、スサノオが思った矢先だった。
空に漂う不浄な空気──穢れが、次々と形を成し、下賤な顔をした禍神の群れと化した!
奴らの狙いは明らかに、海辺に佇む長鳴鳥の群れと、ツクヨミだ。
「スサノオくん、ヤバくない? 夕方追い払ったばかりなのに!」
ウズメは慌てた声を上げ、筆架叉(註:かんざしに似た武器)を手に取り飛び出した。
「くそッ。次から次へとしつこい野郎どもだぜ!」
タヂカラオもやれやれといった様子で立ち上がる。
「様子見してる場合じゃねえな。ツクヨミを助けねえと!」
スサノオもまた物陰から飛び出し、ツクヨミの下へと駆けていた。
「おいツクヨミ! 久しぶりだな!」
再会と呼ぶには余りにも慌ただしい登場をする三柱に、ツクヨミはおっとりした様子で顔を向け、驚いた表情になった。
「えっと……もしかして……スサノオかい?」
「そーだよ! もしかしなくてもオレだ! スサノオだよ!
てか、呑気してる場合じゃねえぞ!
上を見ろ! 禍神どもが集まって来てやがる!」
禍神の群れは獲物が増えた事を喜ぶように宙を漂い、鳥の群れを囲むように迫ってきていた。
「やるしかねえか……だが数が多すぎるぜ!」タヂカラオが毒づいた。
「スサノオ。それに二柱方。武器をしまって」
ツクヨミが静かに……だが力強く響く声で言った。
「は? 何言ってんだツクヨミ。戦わなきゃ殺されるだろーが!」
「スサノオ。今ここで戦いになれば、君たち三柱はともかく、この鳥たちが巻き込まれ、命を落とす事になる」
「じゃあ、どーしろってんだよ!?」
「……私に任せて」
ツクヨミは目を閉じ……夜空に手をかざすと、彼の纏う御衣から──闇が膨れ上がった!
闇は一瞬で辺りを覆い隠し、スサノオたちの視界から禍神の群れの姿が消えた。
「な……何が起こったの?」ウズメが不安そうに声を上げる。
「もう大丈夫。ちょっと順番が入れ替わったけど……非常時だからね。
場に残っていた長鳴鳥たちと、君たち三柱を──私の国へ招き入れたんだ」
呆気にとられる三柱に対し、ツクヨミは事もなげに言った。
「あの禍神たちなら心配ない。
『私の姿を見失った』から、もう追ってくる事はないよ」
ツクヨミは茫然としたままのスサノオに手を触れ、改めて一礼した。
「ようこそ、スサノオ。タヂカラオさん。ウズメさん──このツクヨミの治める、夜之食国へ」




