六.ウズメの舞
韓国帰りの女神、ウズメ。
日本神話における芸能を司る神とされ、最古の踊り子として名高い。
彼女が「岩屋戸開き」にて踊った舞は、後の世に「神楽」と呼ばれる伝統芸能として、今日も脈々と受け継がれている。
「オモイカネちゃんから事情は大体聞いたわ。
彼からは、伝言と助言をするようにって話だったけど。
話を聞いているうちに、あたし決めたの! 貴方たちの旅に同行しようって」
唐突過ぎる申し出だった。
タヂカラオは戸惑いつつも口を開いた。
「ウズメ。話を聞いたってんなら、分かってるんだろうな?
俺たちがこれから、向かおうとしてる行き先は……」
「うん、黄泉の国でしょう?
どんな場所かくらい、あたしだって聞いた事あるよ。
覚悟の要る旅になるだろうって、承知の上でお願いしてるの!
心配しないで。あたしこう見えて、旅慣れてはいるのよ。
何しろ異国の情報が欲しくて、何度も韓国に渡っているくらいだから」
ウズメはこと芸術に関して好奇心旺盛な女神であり、その知識欲は高天原や葦原中国だけに留まらず、海原を越えた先の大陸にまで食指を伸ばしているのだった。
また彼女はたびたび、オモイカネの神殿に赴き、彼から様々な知識や言葉を教わっているという。
オモイカネはその能力ゆえに、遠き異国の神々とも交流を持ち、豊富な情報を吸収していたのである。
もっとも、理詰めで語るオモイカネと違い、ウズメは感性で語る天才肌めいた神であるから、その会話がきちんと噛みあっているかどうかは、想像に任せるしかないが……
「でもさ……ウズメさん」スサノオもおずおずと異を唱えた。
「黄泉も危険だけど、今の葦原中国も相当に酷い有様だぜ?
暗雲のせいで、普段なら出てこなかった災厄やら穢れやらが、しょっちゅう湧き起こってる。
いくら旅慣れてるって言っても、女のアンタをこんな危険な事には……わわッ」
スサノオの言葉は、再び顔を近づけてきたウズメの指によって遮られた。やっぱり距離が近い。
「心配してくれてる? ありがとスサノオくん。
ふふ、でも大丈夫。あたしは自分の身くらい、自分で守れるわ」
論より証拠と言わんばかりに、ウズメは二人と距離を取り、おもむろに二本の簪のような物を取り出し、両手に構えた。
「ウズメ、そいつは何だ?」
「筆架叉。大陸の武器よ。あたしにピッタリだと思って、貰ってきたの。
舞をする時にも邪魔にならないし、自由に身体を動かせるの!」
ウズメが披露したのは、色艶やかな演舞であった。
流れる清川のような滑らかな、緩急入り混じった美しき身のこなし。
力強く振られる筆架叉。異国の衣装の鮮やかさが自然と目に飛び込むよう、計算された流麗な舞。
スサノオも、タヂカラオも。気がつけば、彼女の織り成す華やかな舞踏の空間に、魅入っていた。
彼女の舞の美しさもさる事ながら、仮に禍神が襲ってきたとしても、虜になるか軽くあしらわれるか。そう思わせるほどの迫力と躍動感に満ちていた。
「……すげえ。オレ、こういう踊りってよく分かんないけど……
とにかくすげぇって事だけは分かるよ! 感動、しちまった……!」
ウズメの舞が終わると同時に、スサノオは素直な感情を口に出し、絶賛していたのだった。
「えへへー。凄いでしょうスサノオくん!
大陸で知り合った舞踏の神に教わった舞を、あたしなりに調整してみたのよ。
まだまだ試行段階だけど、そのうち自分で考えた舞踊に昇華して、この国に根付かせてみせるわ!」
華やぐ笑顔を向け、ウズメは今度はつかつかとタヂカラオに詰め寄る。
「…………タヂカラオ。どうだった? 感想は」
「……お、おう。確かに凄い舞だったわ。まったく隙がないというか……どこから打ち込めばいいか分からんくらいだったな。
お前さんが敵じゃなくて良かったって思える、素晴らしい型だった」
「何よソレ! もう……
タヂカラオはなんでそう、褒める点がズレちゃってるのかしら。
もっと綺麗だとか華麗だとか、見惚れちゃった~っとか言った方が、女神にもてるのに!」
「こ、これでも俺的には最大級の賛辞のつもりだよッ!」
ウズメは噴き出し、続けてタヂカラオも豪快に笑う。
それにつられるように、スサノオも大笑いしてしまった。
「……よかったぁ。やっと二人とも、心の底から笑ってくれたね!」
二人の様子を見て、ウズメは心底嬉しそうな、そしてホッとしたような表情で言った。
「なんだ? そんな事を気にしてたのかよ」タヂカラオが意外そうな顔をする。
「貴方たちだけじゃないわ。あたしが戻ってきた時、高天原はもう、お通夜みたいな暗い雰囲気でさ。
いくらあたしが気分を盛り上げようと思って、明るく振舞っても……せいぜいが愛想笑い。誰も心から笑顔なんて、見せてくれなかった。
……あたし、難しい事は分かんないけど。
寂しいじゃん……何とかしたいなって、思うじゃん……」
スサノオは思い至った。彼女も、自分たちと同じで。
姉アマテラスを。暗き曇天を。天上と地上を。救いたいって気持ちでここに来たんだな、と。
「……オレも、自分で撒いた種で、今からやろうとしてる事が償いになるなんて、思ってねぇけど……
でも今やらなきゃ、本当にどうしようもなくなる。何としても、姉上の魂を黄泉から救いたいんだ。
苦しい旅になるだろうけど、同じ気持ちの仲間が一人でも多いほうが、オレだって嬉しいし、心強いよ。
だから、ウズメさん……協力してくれるっていうなら、歓迎する」
スサノオの差し出した右手を、ウズメは思いっきり握り返した。
「改めてよろしくね、スサノオくん。
あと『さん』とか堅苦しいから、つけなくていいよ。
呼ぶんだったら、親しみを込めて『ウズメちゃん』にして!」
「あっ、はい……ウズメ、ちゃん……」
「あとあたしが加わるからには、『楽しい』旅だから。
そこんとこ、勘違いしないように!」
実はまだ、この時点では「楽しい」という言葉は存在しない。
だからスサノオは意味も分からずに頷いていた訳なのだが……言葉の響きからすると、心が弾むような、暖かくなるような。そんな雰囲気だけははっきりと感じ取った。
ただ、何かあるたびに額がくっつかんばかりに顔を近づけられるのには、慣れそうにない。
タヂカラオの言う通り、面食らう言動の多い女神だとスサノオは思った。
ともあれ、こうして黄泉の国に赴く旅路に、三人目の同行者ウズメが加わった。




