五.韓国(からくに)帰りの女神
「……以上が、天安川での会議の結果です」
オモイカネはスサノオが軟禁されている神殿にて、タヂカラオに説明していた。
実は先ほど、相撲を取るためにスサノオを外に連れ出していたので、タヂカラオ自身も泥で汚れている。オモイカネは素知らぬ顔をしているが、きっと気づいてはいるのだろう。
「色々とややこしいんだな。長鳴鳥に、榊の木。勾玉に鏡ね。
それに岩戸の前で、宴を催す準備ってヤツも必要なんだろう?」
「ええ。社の設営はコヤネに、御幣の作成はフトダマに行わせています。
宴の際には、もうひと押し、何か決定的なモノが欲しいところですね……」
「……んで、問題があるんだよな? ……ヒメサマに関しての」
タヂカラオの言葉に、オモイカネも神妙な顔になった。
「ええ……タヂカラオ。貴方が言った通りですね。
八百万の神々の記憶の中に、確かに出雲の国の地下……すなわち黄泉の国へ。
『鏡を持った雷神が入っていく』のを見たという情報がありました」
「となるとやっぱり、アマテラス様の『魂』は、黄泉に行かなきゃ取り戻せないって事か……」
オモイカネは頷き、そして噛んで含めるようにタヂカラオに言った。
「いいですか、タヂカラオ。貴方にはスサノオ様の監視の任務を与えます。
いいですね? スサノオ様から、絶対に目を離さないでください」
「……おう、分かった。『目を離さなきゃ』いいんだな?」
「そうです。目を離さないでください、絶対に」
二人はしつこいくらいに念を押し合い、お互いに笑みを浮かべていた。
やがて要件の済んだオモイカネは神殿を去った。
タヂカラオは早速、神殿の中にいるスサノオに呼びかける。
「……よっしゃ。行こうぜスサノオ!」
「って、いいのかよ? オレから目を離すなって話じゃなかったのか?」
「俺はお前から目を離す事はないぜ。でもオモイカネは『お前をここから出すな』なんて言ってなかったろう?
連れ出した後も、お前と一緒に旅すれば、監視の任務は全うできるって寸法さ」
「……屁理屈もいいとこだな。タヂカラオ、後で大目玉食らうんじゃねーか?」
「はっはっは! 上等上等! ヒメサマを救うためなら、後で罰でも何でも食らってやらぁ!」
屈託のない笑みで胸を張るタヂカラオ。
見ているだけで、スサノオは先ほどまで沈んでいた気持ちが和らぐ気がした。
「……でもさ、タヂカラオ。
高天原を出ていくのはいいんだが、これからどこに向かうんだ?」
「そりゃ決まってるだろう? 黄泉の国は、出雲の国の地下にあるんだから。
そこを目指すっきゃねえだろう」
タヂカラオの返答は単純明快ではあったが。
いざこっそり出発するとなると、本当にそれでいいのだろうか……という疑念がスサノオの脳裏に浮かんだ。
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スサノオとタヂカラオが高天原を後にしようとした、その時だった。
背後から唐突に声をかけられた。
「……あー! いたいた! やっぱり二人、こんな所にいたんだ。
危なかったぁ。あとちょっとで見失うところだったじゃない!」
快活そうな女性の声に、二人は振り返る。
そこに立っていたのは、高天原では見慣れない、色艶やかな衣装を纏った、健康的な肌をした女神であった。
均整の取れた体型で、アマテラスとはまた違った美しさを持ち、魅力的な顔立ちをしている。
「……なんだ。誰かと思えば、ウズメじゃあねえか」
タヂカラオが安堵の声を上げた。
「久しぶりだな。韓国に行ってたって聞いたが、いつの間に戻ってきたんだよ?」
韓国というのは朝鮮半島の事であり、この時代の日本にとって、異国の情報や品々を得るために重要な交易相手だった。
ウズメと呼ばれた、異国風な出で立ちの女神。
スサノオも地上や天上で様々な女神を見てきたが、彼女の漂わせる独特の雰囲気は初めての体験だった。
「こっちに着いたのは昨日だよ。しっかし、戻ってきた時は吃驚したわぁ。
3か月前に出て行った時と違って、昼も夜も真っ暗になっちゃってるんだもん!
……まあ何があったのかは、オモイカネちゃんから大体聞いたんだけどさ」
ウズメはスサノオの存在に気づくと、ずんずんと遠慮なく踏み込んで顔を覗き込んできた。
距離が近い。しかも前屈みの姿勢であるため、彼女のふくよかな胸の谷間がスサノオの視界に入る。
「……きみがスサノオくんかな? あたしはウズメ! よろしくね」
「お、おう。オレが……スサノオ、だけど……」
思わず赤面し、目のやり場に困ってしまう。
「聞いたわよ? アマテラス様の御殿で、色々と粗相しちゃったって!
ダメじゃない! もよおした時はちゃんと、厠で用を足さないと!」
「…………えっ」
「『えっ』じゃないわよ。食べ物粗末にしちゃダメ。いいわね?」
「…………は、はい」
ウズメが事の詳細を把握しているのか、いまいち疑問に感じるやり取りではあったのだが。
有無を言わさぬ迫力に気圧されて、スサノオは思わず頷いてしまった。
「うん、よろしい!」
するとウズメは、にぱっと笑みを浮かべてスサノオの頭をよしよしと撫でる。
「……あー、スサノオ?」タヂカラオがこっそりと耳打ちしてきた。
「ウズメはな。悪い女じゃあないんだが……なんつーか、天然っつーか、世間一般とは感覚にズレがあるっつーか……
時々……いやしょっちゅう、面食らう言動があるかもしれんが……あんまり気にしない方がいいぞ」
「…………お、おう…………」
ウズメ。またの名をアメノウズメ。
後の岩戸開きの宴の際に、神憑り的な舞を披露する事になる女神である。
「ところでウズメ。俺たちに何の用なんだ?」
タヂカラオが尋ねると、ウズメは動きが止まったが……今思い出したかのように「あっ」という顔をしてから、宣言した。
「オモイカネちゃんから色々と伝言を頼まれてね……
で、貴方たち二人の旅に同行するって決めたのよ、あたし!」
スサノオとタヂカラオが面食らい、目が点になったのは言うまでもない。