余話・アマテラス、男装(コスプレ)する
第一章の四・五あたりの時系列のお話。
スサノオとの誓約の時、武闘派の神々を差し置いて、なんでアマテラスさん自ら武装して出向いたんだろう? と疑問に思って書きました。
天上世界である高天原は、風雲急を告げていた。
「ヒメサマ、大変だぜ!
スサノオの奴が、物凄い形相でこっちに向かってるって!」
高天原を治める太陽神アマテラスの神殿に、一大事を告げに来たのは怪力の神であり、彼女の護衛役でもあるタヂカラオだ。
当のアマテラスはその時、畑仕事に精を出していたのだが。
急に天気が悪くなり、高天原からほど近い地上から恐ろしい地鳴りが聞こえてきたので、慌てて神殿に避難した所であった。
「なんですって、タヂカラオ……スサノオが来るの!?」
「ああ、間違いねえぜ!
警護を務めているタケミカヅチから報告が入った!
もうすぐ高天原入りするだろうが、どうするね?
あの様子じゃ、穏やかな感じじゃねえってよ。
ここを攻めに来たのかも知れねえ!」
「スサノオが……高天原を? 攻める?」
アマテラスは、何を言っているのか理解不能といった表情であった。
「ヒメサマどーする? タケミカヅチはいつでも迎撃可能だとよ!
命令ひとつあれば、すぐにでもスサノオの奴をここから追い払って──」
「ダメよ! そんな事!」
アマテラスは血相を変えて、タヂカラオの言葉を遮った。
「スサノオが悪い事を企んでるって、まだ決まった訳じゃないでしょ?
理由も聞かずに追い払うなんて、分別のある天津神のする事じゃあないわ!」
「いや、しかしだなヒメサマ。
スサノオが通った山や川、大地の神々の恐れっぷりといったら……尋常じゃあなかったらしいぜ?」
「だからって腕ずくはないでしょ。タケミカヅチに任せてたら、大怪我させちゃうかもしれないじゃない!」
むしろタケミカヅチであれば、適度に脅して追い払うくらい手慣れた物だろうとタヂカラオは思った。
口下手で不器用なせいか、天津神たちから恐れられているが、ああ見えて分別はあるし、無益な争いを好まない性格なのだ。だからこそ、高天原の警護を任されているのであるが。
(うーむ……前から思ってた事だが、スサノオの事となるとアマテラス様は、暴走するっていうか過保護な所があるよなぁ。
ほとんど顔を会わせた事もないだろうに、どんだけ弟の事が好きなんかねぇ)
「じゃあ、どうする気なんだい?」
「わたしが行く。行ってスサノオの真意を確かめる!」
「いやいや、待ってくれヒメサマ! そのまんま丸腰で出て行こうってのかい?
それだけはやめてくれ。万が一の事があったら、俺やタケミカヅチは死んで詫びなきゃならなくなっちまう!」
「大丈夫よ! スサノオはそんな子じゃないわ!」
「ヒメサマがいくら信じてても、周りはそう思ってねえんだよ!
頼むから察してくれ!」
二柱の不毛な押し問答の末……結局アマテラス自らスサノオの前に出向く意向は覆せなかったが。
タヂカラオが傍に控え、有事の際にはいつでも割って入れるようにする事。
アマテラスは十分な武装を整え、スサノオとの対決に備えるようにする事。
等が決まった。という訳でここに、日本史上初の男装が行われる事になった。
しかも、尊き三貴子が一柱にして、太陽神たる女神アマテラスの手によって。
**********
武器庫にアマテラスが入って、一辰刻(註:二時間くらい)が経過した。
中からガチャガチャと具足を履くなど、様々な物々しい音が鳴り響いたが、それもやがて終わる。
タヂカラオが出迎えると、そこには勇壮な男武者もかくやと唸るほど、凛々しく完全武装したアマテラスが立っていた。
彼女はその美しい御髪をほどき、男神のように角髪を結っていた。髪飾りである鬘にも、左右の腕にも無数の勾玉を通した玉飾りを巻き付けている。
背と脇腹にも、すさまじい数の矢を入れた靫(註:矢を入れて携行する武具)を身に着けていた。
「……あ、アマテラス様……?」
「どう? タヂカラオ。似合ってる?」
「いや、まあ……その手の趣味がある神が見たら、一生涯忠誠を誓いそうなくらいよくお似合いだが。
いくらなんでも気合い入れすぎじゃあねえか、ヒメサマ? 矢をどんだけ靫の中に詰め込んでるんです?」
「背中の奴には一千本! 脇腹の奴には五百本入れといたわ!
オモイカネが鍛冶の神に頼んで作った特注品で、いくらでも矢が入るし、重さも感じない優れモノよ!」
「そういう話じゃなくて!
さっきまでヒメサマ、スサノオの事を信じ切ってる風でしたのに……
もう完全に敵として見做してる武装じゃあねえですかい?」
アマテラスの様子は尋常ではない。
タヂカラオが思わず丁寧語になっている事からも、それが伺えよう。
不安いっぱいのタヂカラオの指摘に、アマテラスは……フッと不敵な笑みを浮かべた。不穏すぎる。
「身支度を整えている内に……わたし思ったのよ、タヂカラオ」
「な、何をですかい……?」
「貴方やタケミカヅチの言う通り……スサノオは、敵よ!」
「は、はァ!?」
「スサノオを信じようとした、わたしが間違ってたわ!
きっとあの子、高天原を乗っ取りに来たのよ。
ここに籠って準備していたら、段々そんな気がしてきちゃって……
でも心配しないでタヂカラオ。このアマテラスが、命に代えても守るから! 高天原を!!」
(ちょ、ヒメサマ……! あっさりと雰囲気に飲まれすぎでしょう!?)
「それに見て見て! この鞆を!」
アマテラスは左手首に巻いた、弓の弦が当たるのを防ぐ革製の防具を見せびらかした。玩具を前に目を輝かせる無邪気な子供のようだった。
「さっき何本か矢を試し撃ちしたんだけど、すっごくいい音がするのよコレ!」
どうやら、タヂカラオの助言が完全に仇となってしまったようだ。
アマテラスは武器庫に籠り、戦いのための武装をしている間に高揚し、好戦的な気分に支配されてしまったらしい。
もはや彼女の心は、外敵から国を守るため立ち上がる、気高き女勇者のそれであった。
タヂカラオは良かれと思って忠告した事を激しく後悔した。だがもうどうしようもない。
これでも彼女は尊き三貴子が一柱であり、高天原を総べる最高神なのだ。
一度こうなってしまったら、もはや誰にも止められない。
「ふふふふ、見てなさいよスサノオ!
アンタの邪悪なる野望! このわたしが木端微塵に打ち砕いてくれるわッ!!」
「ちょ、ちょっと待ってくれヒメサマ! 早まるなッ!?
誰かッ! 誰でもいい! アマテラス様をお止めしろォーッ!!」
先走るアマテラスを遠くに見ながら、タヂカラオの絶叫が虚しく響いた。
**********
高天原に入るため、スサノオが天安川のほとりに差し掛かった時。
ヒュカカカカッ!!
彼の足元に突如として八本の矢が突き刺さった。
「なッ…………!?」
それがただの矢ではない事をスサノオは本能的に見抜き、慌てて飛び退った。
キュドッ!!
次の瞬間、八本の矢から目映い光が膨れ上がり、凄まじい爆音と高熱を放って周囲を爆砕した!
「熱ちちちちちッ!? 何だよ、これッ…………!」
飛び散った火の粉を懸命に払い、爆発した跡を見やると……河原の石はグツグツと煮えたぎる溶岩の塊と化し、川面に注いでジュウジュウと嫌な音を立て、大量の湯気を吹いている。
もしアレが自分に命中していたら──想像しただけで、スサノオは背筋が凍てつく思いだった。
反対側の川岸から、尋常ならざる轟音を立ててやってくる者の気配がする。
天安川に漂っていた湯気が晴れ、スサノオが見たものは。
仰々しく弓を振り立て、大腿部がめり込まんばかりに地面を踏みしだき、彼女の通った道の土は、さながら淡雪のごとく蹴り散らかされ……と、いちいち描写するのも億劫になるほど。
威風堂々たる歴戦の鎧武者の魂でも乗り移ったのかと思えるぐらい、興奮状態となった実の姉の姿であった。
「……あ、姉上……!? 何だそのスゲェ恰好……!」
「ここで会ったが百年目よ、スサノオ大魔王!
高天原は、この正義の女神アマテラスが守ってみせる!!」
「ちょ、何勘違いしてるの!? つーか何だよ『大魔王』って!
……もしかして今の八本の矢。姉上が撃ったのか……?」
スサノオが恐る恐る問うと、アマテラスは得意げに胸を張って鼻を鳴らした。
「そうよ! 凄かったでしょ? でも安心して。今のはただの威嚇だから!」
「威嚇で矢に神力込めるとか、実の弟に向かって容赦なさすぎない!?
当たったらどーすんだァ!」
「大丈夫よ! 千五百本全部を撃ち尽くしても余力が残るよう、神力は抑制しといたから!」
当たれば余裕で手足が消し飛ぶ熱量なのに、力は抑えているらしい。
いかな三貴子といえど、威力の基準がおかしい。
というか千五百本も矢を用意して全弾撃ち尽くす事を想定している時点で、スサノオを殺すつもりだとしか思えなかった。
「誤解だ姉上! オレは戦いに来たんじゃねーし!」
「だったら何しに来たっていうのよ! 正直に言いなさい!
お姉ちゃん怒らないから! 素直に罪を懺悔して!!」
「いや、だからオレは……黄泉の国に行くって報告しに来ただけで……!」
いつの間にか、アマテラスは眼に大粒の涙を浮かべていた。
姉の潤んだ泣き顔を目の当たりにし、思わず言葉に詰まるスサノオ。
「……スサノオ? どうして本当の事を言ってくれないの?
お姉ちゃんとっても悲しい……!」
「……本当の事なんだけど……」
「分かった。言いたくないなら仕方ないわ。
弟の罪は姉であるわたしの罪よ……!」
「お願いだから話をちゃんと聞いて姉上」
「スサノオの事は信じてるわ。だからせめて、わたしの手で葬ってあげる!
矢ガモならぬ矢スサノオになって、高天原の皆に詫びましょう!」
「言ってる事滅茶苦茶っつーか、一片たりとも信じてねーだろ!?
それに姉上の矢に当たったら矢スサノオどころか、木端微塵に吹っ飛んじまうっつーの!」
言葉とは裏腹に疑心暗鬼に駆られまくりのアマテラスの態度に、スサノオは半分涙目になりながら、仕方なく誓約の話を持ち出した。
結果としてスサノオの「邪心はない」という言い分は認められ、何とか事無きを得たのは……皆様も御存知の通り。だがもし事前に、イザナミから誓約をするよう助言されていなかったら、今頃どうなっていた事やら……
(余話・了)
物語の補完をするために書いたんだけど……なんだこれは。たまげたなぁ。
というか、実際の古事記の記述もノリノリすぎて、アマテラスさんもこんな風だったとしか思えなくなってしまったから困るorz




