夢想、その三
幼き者と年老いた者は、ある意味において似ているという。
それと同じで、赤子の如き感情と輪廻を重ねる魂は、似ているのかも知れない。
果てしなく真っ白な空間。
あらゆる輪郭が曖昧になる中、そんなことだけがくっきりと浮かび上がってくる。
天界の最も地上に近い場所。
何度か人に生まれ変わりはしたものの…私は今も、ここに居る。
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遠い昔、神世の時代。
神はもっと人間じみていて、人はもっと神秘に近かった。
父なる神は、妻であった女神との仲が冷めると、二柱でもうけた子等への愛情も冷めていった。
それは女神も同じで、闇に閉ざされたおす国へ行ったきり、誰の前にも姿を現さなくなった。
風の便りに聞くと、人形達に仮初の命を与え暮らしているのだとか。
そして父なる神は、自らの魂を映しとり、分身のような御子をもうけた。
…それが、私というわけだ。
父の心変わりを寂しく思う兄弟姉妹からすれば、羨ましく思うのかも知れない。
けれど私は、深く暗い海底に沈みながら、その大海すべてを手に入れたような…
溺れているのか満たされているのか、判然としない心地に酷く戸惑った。
だからなのだろう。
生を受ける時、あなたと命を分けあった。
深い海底よりも暗い宇宙の闇に、あなたは真っ直ぐ向かっていた。
私はすれ違いざまに、その背中を引き留めた。
あなたは、母なる女神に作られた人形の成れの果て。
母より自由を賜ったと、あなたは言うけれど…見捨てられたのだと、私は思う。
私もまた、父の操り人形も同然なのでしょう。
けれど、その御霊が父なる神の映しにすぎないのだとしても…
この世に生まれ落ちた私は、あなたの双子の片割れなのです。
まるで外海に揺蕩う波のような、父の気配から逃れ…
あなたと二人、風のように軽やかな心地を謳歌した。
そんな幸せな箱庭は、けれど私達を海原へいざなう川面に浮かぶ小舟だったようだ。
たどり着いた先で、私はやはり父の映し身なのでした。
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俺の存在自体…俺自身の思い込みに過ぎないのかも知れない。
我思うゆえに、我あり。
矛盾しているのは自覚しているが、そうとしか言い表せない気分なのだ。
始まりは、人形の家。
満天の星空、ぽっかりと浮かぶ月、小高い丘の上にある小さなログハウス。
その窓辺には温かな光が灯り、庭には可憐な花々が咲き乱れている。
鮮やかな緑…草木は瑞々しく、枯れ草や枯れ葉は一つもない。
母様は穏やかな夜が好きだ。
だから、ここには夜しかこない。
気紛れな月が、白々しく満ち欠けを繰り返すだけ。
…朝がやって来ることはない。
何故ならここは、母様の為だけの世界。
唯々、やさしいだけの世界。
俺達は母様が作った人形。
永遠に大人になることのない子供達。
それでも、俺達は幸せだった。
母様がとても、やさしかったから。
ずっとずっと、母様の側に居たかった。
…だから、気付きたくなかったんだ。
いや。本当は皆、とっくに気付いていたのかも知れない。
それでも、気付かないふりをしていた。
けれど俺は、駄目だった。
全てを諦めてなお美しいその女神に、とうとう言ってしまったのだ。
自分はもう子供じゃない…と
そんな筈はないと、彼女は言った。
無茶な話だ。
いくらここが彼女の為の閉ざされた箱庭だろうと、どうやったって時は忍び込んでくる。
塞き止めることなど、誰にも出来はしない。
それでも、彼女なりに俺を引き留めようとしてくれたのだろう。
彼女の側に居られるなら、何もかもが嘘でいい。
心底、そう思った。けれど…
そう思う時点で、純粋な子供でも無垢な人形でもなかったのだ。
それでも彼女は、やさしかった。
だから俺に、自由をくれた。与えられる唯一のものだと言って。
彼女の家のある小高い丘からは、一本道が続いていた。
草原の一本道を下りながら、星空を見上げる。
きっと俺は、どこにも辿り着けない…そう思った。
不思議と悲しくなかった。
夜空のもと一人ぼっちで消えゆくのだとしても、彼女がくれた自由という宝物がこの手にある。
だから、歩き続けた。
どこにも繋がっていないであろう、その道を…
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命を得る戸惑いを分かち合った、二人。
だからといって、生きていく不安を分かち合えるとは限らない。
まして、孤独を分かち合えるとは、限らない。
そんな当たり前のことに、その頃の私は気付いていなかった。
遠い昔、父なる神と母なる女神は愛し合い、数多の神々が誕生した。
地上に国を成す人々も、そういった神々の子孫である。
父なる神こそ子孫等にも無関心だが、神々は人々と深く関わりあっていた。
父なる神と母なる女神は、なに故に袂を分かつことになったのか…
その本当のところは、当事者である父と女神の他、誰にも分らない。
直に命を賜った兄弟姉妹の神々にも…勿論、私にもだ。
けれど、全ての命の始まりと脈絡と続くであろう営みは、この地上において肯である。
故に、真相は謎のまま、嘗ての父と女神が齎した光と愛が語り継がれた。
それはつまり、神々…特に年長の兄弟姉妹等の思い出話である。
遠い日の思い出というのは、得てして美しい物語となる。
父なる神の無関心を寂しく思う人々は、そんな御伽話に思いをはせ胸を躍らせた。
また、母なる女神の音沙汰のなさも、神々と人々に虚しさを募らせた。
それを拭うかのように、美しい御伽話は真実として人々に広まってゆくのでした。
私とあなたの誕生は、そんな折だったのです。
父なる神のいらえだと、人々が信じたのは無理もないことでしょう。
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湖面に浮かぶ細波のように、人々の心がざわめく。
私が大人に近づくにつれ、そのざわめきは大きくなってゆく。
胸苦しさが増していく。
それと同時に、仄かな喜びも感じていた。
父が子等に無関心になったのは、女神との別離ばかりが理由ではない。
誰が何を思いどうするのか…見ずとも予測できたのだ。
そして、その予測が外れることはなかった。
私ですら、現人神たる王の座に就く頃には、人の考えや物事の流れが読めるようになった。
そういったこともあり、私は益々あなたにしか興味を持てなかった。
父たる神の身代わりに、人々が最も願うこと…
それは、母たる女神の身代わりとの契りである。
万能感を感じ始めていた私は、そんな人々の思惑など躱せると思っていた。
けれど、ことはそう簡単ではなかったのです。
私が現人神として強い霊力を持ち得るのは、父の映し身と見做されているからであり…
そこから外れれば外れるほど、非力な只人となり、逆らう力も削がれてしまう。
そして、非力な只人となった私を待ち受けていたのは、生々しい欲望だったのです。
結局、私は運命から逃れようがない。
細波のような視線の向こうに、外海に揺蕩う波のような視線を感じた。
まるで私が、父と同じく絶望に堕ちるのを待っているかのようだ。
…なんと、無意味なことだろう。
仮に私が父の思惑通りになったとして、それから一体どうなるというのか。
憎もうが、愛そうが、憐れもうが…行着く先は、殺し合いしかない。
私が父と同じ運命を辿るということは、そういうことに他ならない。
何故なら、寸分違わず同じ魂が、二つ存在することはあり得ないからだ。
もし、それを許してしまえば最早、その魂は人でも神でもない。
ただの、人形になり果ててしまう。
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縁というのは、常に矛盾を孕んでいる。
愛は憎しみを生み。
好意は悪意に変わり。
永遠を望めば望むほど、それは刹那でしかない。
だから、おす国の兄弟達は、人形だと嘯き続けた。
俺は母様の人形であることをやめた。
けれど、本当は兄弟達だって、とうに人形などではなかった。
たとえ仮初でも、命を得てしまった以上、永遠に変わらないものなど無い。
それでも永遠を望むのは、刹那に得たそれが、かけがえのないものだからだ。
父なる神と母なる女神は、解を得ることはなかった。
神々を生み出した後、二柱の間に何があったかは分からない。
けれど、そういうことなのだろう。
…理想は得た瞬間に、失せてしまうのだから。
ならば、だから、俺が…
貴方に、貴方の国の人々に、解を与えよう。
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あなたを得るには、抗う力がいる。
けれど、力を得るには、あなたを諦めなければならない。
私一人では、この矛盾はどうにもできない。
あなたに私を無理矢理、さらって欲しかった。
他に答えなど、無いと思っていた。
だから、分からなかった。
あなたが一体、何を考えているのか。
何故、敵対するのか。
あなたは言った。
自分は母なる女神を裏切り、死に追いやった者。
そして、人々から神を奪い取る者だと。
人々は戦慄した。
そして、正義に沸き立った。
あなたは挑発するように、父なる神の人々への無関心を指摘した。
対して人々は、それは父なる神から与えられた試練だと唱えた。
あなたは現人神たる王を、まるで人々の贄だと言った。
私は否定した。
否定する為に、母なる女神の身代わりとの契りを拒んだ。
それは正義として、人々に受け入れられた。
人々の信仰心で、私の霊力は絶対者といえるほど高まっていった。
いつしか、あなたは魔王と呼ばれーー
王の役割は、父なる神の映し身から、正義の根拠と変わっていた。
魔王は、平安を乱すことばかり行う。
心を試された人々は、時に命さえ削られ…
けれど、あなたの言うことは、すべて真実でもあった。
だからこそ、人々は恐怖し、神々は畏怖の念を強めた。
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今にして思うと、あいつは…父なる神は、意外と短気だった。
いや、違うな。未練がましいと言ったほうが正しいか。
母様の存在も神々の気持ちも人々の願いも、あいつは無視し続けた。
貴方の事さえも、高みの見物を決め込んでいた。
そのくせ、自らの手の内からすり抜けてゆくことが、許せなかったらしい。
魔王との闘いは、世界を変えていった。
人々は英雄を育て、神々は真実に踏み込む。
そんな人々と神々にとって、中心たる神は共に戦う貴方に他ならず。
…そして母様は、本当に黄泉に旅立たれた。
俺は魔王となる時、母様を死に追いやったと宣った。
裏切ったのは、ある意味、本当だが…
その後、母様がどうなったのか、実のところ知らなかった。
母様は全てを諦めていたのだから、時間の問題だったのだ。
けれど、俺を見送って直ぐの事だったとなると、やはり切欠は俺なのだろう。
人形達を皆連れて、静かに黄泉に消えていったそうだ。
あいつが、父なる神が、母様と同じ気持ちを抱いていたのなら…
もしかしたら、貴方に切欠を求めていたのかも知れない。
俺のことを許容したのも、貴方に運命の残酷さをより深く理解させる為だったのだろう。
けれど世界は、独り歩きを始めた。
貴方との縁を一旦、断ち切り、そして強く結びなおす。
俺が敵対を決めたのは、ひとえにその為だ。
双子の兄弟としての縁では、どれほど時を重ねても思いを遂げる日は来ない。
だから、現人神の対である魔王となったのだが…
結果、人々や神々は、自らの根源たる父たる神よりも、明日を齎す勇者を求めるようになった。
中心たる神は創造主ではなく、正義の根拠たる貴方となった。
父なる神だけが、運命の残酷さに取り残された。
魔王として神々にすら畏怖され、俺は調子に乗っていたのかも知れない。
いや、忘れていたのだ。俺に命を与えたのは、貴方だから…
だから、貴方に人々に、世界の全てに命を与えているのが誰なのかを失念した。
あいつは俺を世界の外に放り出した。
父なる神の存在を忘れていた人々は、あいつを新たな魔王と見做した。
貴方も神々も人々に味方して…もろとも全て、無に帰した。
なんとも、あっけなかった。
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世界は作り直される。
創造主は、貴方を二つに分けた。
一つは男神、一つは女神。
創造主は、貴方に神々と生命を生ませた。
俺も神と魔王の縁に導かれ、貴方の世界に降り立つ。
けれど、絶望を抱える創造主も、また魔王であった。
俺が人々に齎す恐怖は、実のところ俺自身が抱える恐怖でしかない。
根源たる創造主が抱える闇の深さに、本来ならば敵うはずもない。
人格が魂に、本来ならば敵わないように…