夢想、その一
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俺はお前の絶望。
そして、お前は俺の絶望。
そして俺達の後ろには、もう一人いる。
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クダラナイことで怒り、クダラナイことで悩み、クダラナイことで立ち止まる。
その度に、考えていた。
妙なことに拘らず、落ち着いてリズムを崩さない、そんなおおらかな性格だったら良かったのだろうか?
そんな自分だったら、こんなにも迷惑をかけずに済んだのだろうか?
ジョークと言っていいのか微妙な飲み会トークも、朗らかに楽しく笑い合えたのだろうか?
もっとひとに、好かれたのだろうか?選んで貰えたのだろうか?
答えはYesだ。
俺が大人しく引っ込んで、アイツが自分になればいい。
たった、それだけのことだ。
アイツとは、俺の意識下にいるもう一人の男。
誰の心にだって、多かれ少なかれ居るだろう?
もう一人の自分ってやつが。
アイツなら地に足をつけた生活をすることを、難しいとは思わないだろう。
なのに何故、アイツに自分を譲らないのか?
それは、アイツが大嫌いだからだ。
……そしてアイツも、文句を言ってこないからだ。
何故、アイツが文句を言ってこないのか?
それには、相応の理由がある。
ただの妄想なのか本当なのかは分からないが、アイツは過去生の人格だったらしい。
つまり、俺の前世ってことになるわけだが…そこらへんの真偽はどうでもいい。
問題はその前世での、アイツの死に様だ。
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彼女の名は、あの青い星の名と同じだった。
あの青い星の名は、地球ではない。勿論、Earthでもない。
彼女は僕の主君であり、そして大切な友人でもあった。
少年少女の頃に出会い、友情はやがて淡い慕情になり。
けれどそれは、確かにときめきでありながら、それでも穏やかな感情だった。
麗しい世継ぎの姫君の周りには、純愛を秘めた者も欲望を顕にする者も沢山いた。
僕はそういった者達の中で、抜きに出た存在になろうとは特に思わなかった。
ただ、信の置けない者達も多いのかな、信の置ける家臣の一人であろうと考えていた。
彼女と特別な関係になりたいと、ぼんやりと夢想することはあった。
けれど、彼女のことを真剣に想う一握りの者達を押し退けてまで、どうこうなりたいとは思えなかった。
一握りの者達とは、少年少女の頃からの彼女…そして僕の友人達である。
家族のように親い僕達の友情に沿う誰かが、彼女を得ればいいと漠然と考えていた。
仲間全員との友情と彼女への慕情を天秤にかけ、全員との友情を既に選んでいたのだ。
勿論、その友情の中には、彼女も含まれている。
けれど、選ばれたのは僕だった。
妙齢になった彼女は、年老いた家臣達にせっつかれ、誰かしら選ばなければならなかった。
だから、友情を守るために無難な選択をしたのだろうと、そう思っていた。
実際、仲間達との友情は何も変わらなかった。
恋慕の情を抱いていた者達も、彼女の友人に戻っていた。
……今にして思えば、その事にもっと疑問を持つべきだったのだ。
彼女の気持ちにも、仲間達の真意にも気付かぬまま、僕は彼女の伴侶になった。
彼女との生活は、暖かで順調で…
子宝に恵まれないことだけが問題だったが、まだ若かったこともあり悩むほどではなかった。
科学技術の発展の末、星全体でシステムが緻密に構築された世界。
王も家臣も国民も、気負うことなく割り振られた役割を果たす。
ただ、それだけで、平穏無事な毎日が続いていく…そう、皆が思っていた。
皆が異変に気付いたときには、もう手の施しようのない状態だった。
復旧シーケンスも途中で止まり、その原因すら分からなかった。
星のシステムは、長い歴史を経て永遠不滅のものに昇華されているのだと、誰もが信じていた。
けれど実際は、何百何千の変換の上に成り立った、とても脆いものなのだと漸く気付いたのだ。
星の滅亡を食い止められなかったこと自体に関しては、悲しいと思うが悔しさの類いはない。
王の伴侶として一抹の責任は感じるが、我々だけでどうこうできる規模の問題ではなかった。
長い歴史のなかで、もう何世代も前から危機感が失われ、知らぬ間に歪みが蓄積していたのだ。
そして、隈無く文明で覆い尽くしたこの星では、後戻りもやり直しも不可能だった。
それでも、もっと小さな範囲…家族とか仲間内とか夫婦とか、そういったレベルなら抗う術はあったのかも知れない。
けれど、あの時の僕は、特に抗いたいとは思わなかった。
だから、皆に最後の日まで心穏やかに生活することを説く彼女に、ただ賛同し協力して過ごしていた。
今にして思えば、あれは彼女の王としての顔であり、一人の女性としての心情はまた別だった。
それは彼女だけではなく、彼女に恋慕していた仲間達も同じだったのだろう。
抗う術が無いと分かっていても、諦めきれずに藻掻いていたのだ。
けれど結局、よい手だてなど得られるはずもなく、ただ毎日を精一杯なごやかに過ごしていた。
誰もが、内心の苦悩を隠していた。
僕だけがそれに、気付かずにいた。
星の滅亡とは何なのかということなど、考えもしなかった。
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星は、命の循環である生態系と、魂の循環である輪廻転生を内包している。
私の名は、この星の名。
そして、この星が一つの国となった時から、代々の王に引き継がれてきた名前。
この星にまだ複数の国が存在した時代、文明は環境と生態系にのみ干渉していた。
けれど、いつしか信仰や哲学と科学の境が無くなり、この星は一つのシステムとなった。
誰でも神との対話が可能となり、それが逆に人々の神への関心を希薄にしていった。
今では日々、神々と対話をしているのは、それを勤めとする王家の者ぐらいだ。
私は成人と同時に結婚した。
婚姻の時期は王族ゆけだが、相手は私の望みで選んだ。
私と彼は、望み望まれ夫婦となった。
私の伴侶となり王族となった彼は、私と共に神々との対話が勤めとなる。
彼は、私の幼い頃からの学友の一人だ。
つまり元々、王族の伴侶の候補だったのだ。
だから、神々との対話の方法を心得ているのは、当然といえば当然だった。
けれど、それを差し引いても、彼は取り分け神々に愛された。
彼は神々を崇拝してはいないのだろう。
奉るようなことはせず、とても気さくに接していた。
その様子は、私に対するより時に親しげで、心の距離を感じさせなかった。
私とて、彼に愛されていないわけではない。
寧ろ、結婚してから何年経っても大事にされ、周囲から冷やかされる程だ。
とてもとても、大事にされている。
そして…王として、忠誠を尽くされてもいた。
結婚したばかりの頃、私はまだ恋に恋する乙女だった。
彼が私の気持ちを受け入れてくれたのは、私と同じ気持ちだからだと信じて疑わなかった。
けれど、よくよく思い返してみれば、最初から互いの気持ちに温度差があったのかも知れない。
それにそもそも、彼は現実との距離が遠い人なのだ。
幼なじみ皆がそう感じているし、いつだか本人もそう言っていた。
この微妙にもどかしい距離感も、だから今迄あまり気にならなかった。
けれど、神々と対話する様子を間近で見ていると、だんだん不安が募ってくるのでした。
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滅亡までの最後の一週間は、祝日となった。
皆、思い思い友人や家族と過ごした。
僕は昼間は仲間とお茶をのみ、夜は家族と過ごした。
そして、朝は神々との会話に費やした。
この期に及んで、職務も義務もなかったのだが…
事ここに至って、雄弁になった神々の話しが面白かったのだ。
そうとは知らない友人達には、律儀なものだと言われていたが、
実際には不謹慎なくらい興味本意であった。
そしていよいよ、明日か明後日かとなった日のこと。
『…さて、そろそろ、妾も身の振り方を考えねばな。』
この女神様は、歯に衣を着せぬ物言いをする小気味いい御方だ。
「我々と運命を共にして下さらないのですか?」
冗談混じりに聞いてみる。
『うむ。心中も心惹かれるところだが……
そもそも妾は異邦の神ゆえ、もろとも消えゆくことは叶わぬ。』
「貴女様は箒星でしたね。どこかの惑星の衛星にでもなられては?
いつまでもフラフラされていると、そのうち恒星にぶつかりますよ。」
『この妾に、どこぞの重力に囚われろと申すか。』
「安住の地を定められてはと申し上げているのです。」
『安住の地…か。主らを懐かしみながら、暫し落ち着くのも悪くないのう。』
「そうですとも。貴女様に覚えていて頂ければ、我々の魂の慰めともなりましょう。」
『しみったれたことを申すな。して、主らはどうするつもりじゃ?』
「どうもこうも御座いません。
我々の命はこの星の一部なれば、運命を共にするまでです。」
『時間逆行ぐらい出来よう。歴史を作り直してみてはどうじゃ?』
「それも面白そうですが…罪深いことです。
それに、実体依存の高い過去の世界で生きる逞しさもありません。」
『そうか。それは残念じゃ。』
そして、この女神にしては珍しく難しい顔をすると、こんなことを言い出した。
『のう、主。妾に主の魂を預けてはみないか?』
「魂を…ですか。」
『そうじゃ。器と命は生まれた星に帰す他ないが…
魂の一つぐらい、どうとでもなろう。』
「一つぐらい…ということは、全員は難しいということでしょうか?」
『それはそうじゃ。この星の人間で、妾の声に応えたのは主だけ。
縁浅き者にまで恩恵を齎せる程、神とは都合の良いものではないぞ。』
「暖かいお心遣い、ありがとう御座います。されど、お断り致します。
わたくしは、伴侶や同胞達と共にありたいのです。最後まで…」
『…そうか。確かに、そのほうが幸せかも知れぬの』
この時の僕は、自身の全てが母なる星と共に滅ぶという未知の事象に、どこか期待感すら抱いていた。
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「不思議ね。…こんな時はやっぱり、みんな神様にお祈りするのね。」
彼女が、まるで女神のように微笑んだ。
「それは…流石に、星が無くなるなんて初めてだからね。
輪廻転生が解明されて久しいとはいえ、不安なんだろう。」
僕も彼女に微笑みかえす。
「そういう貴方は、あまり不安そうではないのね。」
彼女が小首を傾げる。
「今さら不安がっても、仕方ないだろう?」
「それも、そうね。」
いよいよという、その日。
彼女と僕は、揃って祭壇の前にいた。
国中の民が、この星の母なる女神に祈る思念の声が響く。
消極的な集団心中という独特の空気の中、彼女はまるで、母なる女神その御方ご自身かのように振る舞っていた。
刻限が迫り、僕は彼女を抱き寄せた。
僕の腕の中で、彼女は顔をあげ告げる。
「…私ね、嬉しいの。貴方とこうしていられることが」
「僕もだよ。」
彼女は目を細めて微笑むと、俯いて僕の胸に額を寄せた。
「ねぇ。貴方は、一緒に消えるのが私で、本当に良かったの?」
僕は少し屈んで、彼女の額に自分の額をつけ、言った。
「全てが消えさるこの時に、共にあるのが貴女で、本当に良かったと思うよ。」
「……そう。」
彼女は顔をあげ、じっと僕の目を覗きこんでいた。
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私は、最後の最後まで迷っていた。
かの箒星は、約束してくれた。
私が最後の瞬間まで望むというのなら、彼の魂を他の星に連れていってくれると。
けれど、こうも言われた。
想い人を真実、自分のモノに出来る、最初で最後のチャンスではないかと。
ここ数日の私は、自分でも平静ではないと思う。
何故なら、物陰に隠れては、彼と神々や友人との会話を盗み聞きしていたのだ。
私はどうしても、彼の心が知りたかった。
「最後まで御供いたします。我が君…」
私をあやすように抱き寄せながら、彼が囁く。
「…大丈夫。みんな一緒ですから。」
彼の声は、どこまでも甘やかで、やさしくて…
だから私は、不安だった。
「ねぇ。生まれ変わっても、また私と一緒にいてくれる?」
彼はキョトンとしながら言った。
「僕たちの魂は一つに帰るのだから、もう離れるようなことはありませんよ。」
彼が微笑む。
「この星の全ての魂は、一つに帰るのだから……」
彼の微笑みはまるで、おとぎ話に出てくる王子様のように綺麗で…
きっとだから、彼の心は誰のものでもないのだと、唐突に腑に落ちたのです。
私は全てが終わろうという、この時になって…幸せな夢から覚めてしまった。
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どちらからともなく、口付けをかわす。
瞼を開くと、彼女の瞳から涙が零れていた。
「…貴方に、私達の希望を託したいの」
そう言うと、僕の腕の中からスルリと離れていった。
「えっ…」
一体、何が起きたのか、分からなかった。
「愛しているわ。」
彼女が、城が、星が、急速に遠退いてゆく。
僕は何かに、猛烈な速度で引っ張られていた。
そして、そうこうしている内に、星が、粉々に砕けて消えた。
彼女も、彼女との日々も、最後の涙も…粉々になってしまった。
僕は、僕の魂は…一人、弾き出されたのだ。
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僕の魂は、あれから何度も何度も生まれ変わった。
少しずつ違う何人もの人格達が、愛しい人を求め、約束を交わした。
そして、誰も彼もが、幸せに手が届かなかった。
口付けを交わすどころか、指一本すら触れることも出来ず。
愛を告げることさえ封じられて…
それでも尚、生まれ変わっては足掻き、藻掻き、求め続ける。
そんな切ない彼らを魂の片隅に抱きながら…
僕もまた、生まれ変わるのでした。