こっちの方が1票の格差問題
大阪都構想がどうのという、言ってしまえば政治家を選出する訳でも無いものが話題となりました。
その出口調査が以下の通り。
反対 70万5585票
賛成 69万4844票
20~50代の『過半数が賛成』。
60代が半々。
70代以上が「3分の2以上が反対」。
70代以上だから、80や90代の人も含まれる。
そういう人たちの意見が通って、過半数の『若者』や労働者の意見は反映されない。
「じゃあ、若い人間は政治に無関心でいいじゃん。
だって、意見通らないって証明されたよね」
そういう若者が出ても、もう責められないような先例になってしまったんじゃないか。
私自身は、選挙権は絶対に行使しています。理由はごく単純で、坂本龍馬にかぶれてしまったから。ああいう人間が身近にいたがために、中江兆民なんかが民主主義に傾倒するのは、よく分かる。
坂本竜馬を出したのは、
「藩なんぞ捨て去れ」
ということを考えねばならない事態になっているかもしれないから。
1票の格差という問題は、議席1つに対しての人口云々というもの。人口が多いところで通らなかった人物だが、地方の通った人物よりも票数を得たら変ですよね、と教わった。
比例代表制にも関わるけど、本稿とは縁がない。
今回の市民投票が、それを『世代間』で見事に表したように思える。
世代間での意見が分かれた時に、
「年寄りの方が人数多いので、そちらを取ります」
こうなってしまう。
投票率が低いからと言って、どんどん若い人間に選挙権をやる。
それで、若者がどんなに団結しても、数の暴力で老人の意見が通る。
余計に、若者の政治離れを起こしても不思議ではない。
健全的に言うならば、リーダー的存在が必要不可欠とし、リーダー教育をする。少なくとも、同世代で意見が割れないようにする。
そうなれば、良い方向には行くかもしれない。
単純に手っ取り早い方法ならば、
「年寄りの意見が通る地方には住まない」
というものになる。
「藩なんぞ捨て去れ」ということ。
地方自治においては、各地方ごとにかなり特色が違う。
子育てに重点を置くところもあれば、老人介護を重視するところもある。
幸いにも、脱藩が罪になる時代じゃあございませんので、自分の住みやすいところを選べる。
1票の格差で、己の意見が通らないなら、そんな所なんざ離れれば良い。
過疎化で、限界集落が社会問題になっているのに、若者をさらに引き離す。
地方における1票の格差を是正するよりも、世代別の人口比から1票の価値を訂正する方がマシにみえる。
1票の格差問題というよりは、高齢社会問題に属する。
ただ、長寿の国だと、1票の格差が生じたまま、何十回と選挙をやることになる。
・老人が選挙に行って、自分たちの安心を決める社会
・老人が選挙に行かなくても、安心して暮らせる社会
この両者では、どっちが良いのだろうか。
老いて、自分たちのことを自分たちで決める。
老いて、自分の生殺与奪を次の世代に任せる。
後者の方が、若い世代への信頼感はあるということかもしれない。
まあ、信頼感だけで腹が膨れるわけじゃあないが。
自分が生きることを優先するために、若い人間に苦労をかける。
(おばすてやま)
姨捨山 というよりも、子捨て山だろうか。
コインロッカーベイビーという社会問題の延長線とは思いたくない。
気になるのは、投票に行かなかった者はどう思うのだろうか。
『行かない』というのも意思表示の一つだし、間違っているわけではない。
無関心というのも、一つの選択ではある。
ただ、『無害』ということでは断じてない。
人間はどうしたって何かの『害』になる。
どの選択が、『より害が少ないのか』というのも生きる指針の一つではある。
天下になくては成らぬ人になるか
有ってはならぬ人となれ
沈香もたけ屁もこけ
牛羊となって人の血や肉に化してしまうか
豺狼となって人間の血や肉をくらいつくすかどちらかとなれ
河井継之助の言葉にて、締めくくる。