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弱点の弱点

※大学生になりました。未来設定


ただ今、ベッドの上で絶賛悶絶中だ。

 あったかい手の平が円を描くようにおれのお腹を撫でている。撫でられると逆に刺激になるので両手で掴んで動きを止めた。臍より指一本分だけ下に固定すると、人肌の温かさが気持ちよかった。これでしばらくしていればお腹も収まってくれるかな。

 横になって見上げた彼の表情は固い。不機嫌になってしまったのかそれとも何か考えているのか。けれど、本当に機嫌が悪い時は一方的にブチ切れて出ていくから、たぶんそれじゃない。

 ちくちく刺すような腹痛の波が訪れて、海老みたいに丸まった。冷や汗がぶわっと噴きだす。間抜けな要因で、こんなに苦しいのが馬鹿みたいだ。


「よーチャン」


 申し訳なさそうにおれの名前を呼び、続けて「ごめん」って。小さく首を振り、アイザワくんのせいじゃないよって示す。


「俺がシチューに牛乳入れたから」


 今日の夜ごはんはシチューだった。いつもは水でルーを溶かすのだけど、コクが出るからと言ってアイザワくんがガンガン牛乳を入れたのだ。おれも、たぶん温めれば平気だろうし、野菜も入っているから成分も薄まるかなあ、なんて思って口にしたらこんなことになっている。乳糖不耐症に牛乳パック半分のクリームシチューはキツかった。

 お腹を壊して、ずっとトイレとベッドを行ったり来たりしている。その度アイザワくんがベッドの上で座って待ち、お腹をあっためてくれる。おれが催すタイミングを知られるけれど、なりふりかまってられない。

 そうして、ようやく落ち着いたのは最初の腹痛から三時間後だった。


 ぐったりして寝ころぶおれの後ろにはアイザワくんがいて、いつもよりずっと優しい手つきでまだお腹を撫でてくれている。もう腹痛は収まったので、ゆっくり触られると今度は内臓の中まで落ち着く気がする。


「しばらくやれねーな」


 ぼそりと頭のてっぺんにかけられた言葉に、内心喜んだ。アイザワくんと暮らし始めてからはおれの体が休まる日があまりなかったのだ。おれがバイトで遅くなっても大抵待っているし、飲み会があってもアイザワくんはうちに帰ってくる。深酒してしまったときはしないけれど、そうじゃないとき。つまり殆ど毎日。エッチに至るものも至らないものも含めて、おれはアイザワくんの好きなようにされていた。

 しばらく無理ってことにして、一週間くらいお休みしよう。




 三日が過ぎても、解禁をしないおれに苛立つかと思ったらアイザワくんは優しくて拍子抜けした。お腹の調子は大分落ち着いていて、トイレに行く回数もかなり減った。唸っていたおれを見ていたからなのか、アイザワくんは一緒に寝るときにまだお腹をさすってくれる。それが結構心地良いので、快適な睡眠を得ていた。

 ぴったり寄り添えるのが満足なのか、不満はないようだ。しばらくこれはこれでいいのかもしれない。

「あったかくてきもちー」

「お」

 さらさらした布団の中で、体温のある方に近づくとより発熱される。何もされないのがわかっていたら、好きなだけ温もりに触れようって気分になる。正面から彼の肩付近に頭をぐりぐり寄せて体ごと近づけたら、やるときとは違うゆっくり伝わる温かさが心地よかった。

「珍しい……」

 ちゅーは別に求めてなかった。激しくないやつだ――頬とか、でことかにキスされる。それ以上はやっぱりないので、安心して十秒で眠りに落ちた。


 そんなことを一週間どころか十日続けていたら、習慣化していた。あったかいのでアイザワくんにひっついて寝る。充実した睡眠ライフにお肌もつやつやだ。

講義だって寝ずにちゃんと話を聞いている。そのせいか普段なら全く気にならないのに、前の席に座っている二人組が小声で話しているのが耳に障る。

「最近やらせてくんねーんだよなあ」

 講義中になんて話してんだ。って思うけど、すげー気になる。だって若いから、頭の中の関心ごとって恋愛とかセックスとかそれくらいだ。おれはもう、そっちの女の子との方はしばらく無いはずなので余計に気になる。普通の付き合いってどんなもんなんだろう。どういう性生活なんだろう。

「それもう飽きてるんじゃねえの?」

「でも一緒には寝るんだって」

「はは、都合いい男じゃん」

 別に飽きてるんじゃなく、単にやるのがだるいんじゃないのかって、言ってあげたい。って、そうか。普通はいれる側だもんな、やりたいよな。

 なんて、男の心理を今さら取り戻してしまった。もしかしたら、アイザワくんもおんなじことを考えてたりするのかもな。おれが飽きてるとか、都合いいって解釈になってたり、とか。そんなこと……あのアイザワくんが考えるだろうか。

 いや、今までの彼の行いを思い出してもそんな弱気なはずがない。おれが嫌って言っても流して流して、付き合うのも流れでいつの間にか同棲だもん。それってある意味、飽きるっていうのを考えさせないで、関係を継続させる腕があるってことなのかもしれない。

 ぼんやり付き合い続けていたけれど、彼はいつも本気で怒るし我儘も相変わらずだった。エッチするペースもずっと変わらなかったから、最近手を出してこないのはもしかしたら体調を気遣うということじゃなくて、おれたちの関わり方が変化し始めた印なのかもしれない。それがどんな方向にかはおれにはわからない。

 珍しく焦燥感に駆られるのは、五分前に提出した経済史のレポート以来だ。今日は早く帰って、先にご飯でも作って待ってようかな。そういう古風なのあの人好きだし、喜んでる顔を見たらたぶんおれが安心できる気がする。




 今日はバイトがないので、スーパーに寄り食材を買って帰り主婦気分で台所に立つ。煮込みハンバーグという手の込んだ高度な料理を作ってみるんだから、中々気合いが入っている。普段の食生活は正直ひどい。二人ともあんまり料理はしないし、帰る時間がお互いばらばらなので勝手に食べたりしている。

おれが廃棄の弁当やパン、おにぎりを持って帰るとそれを夕飯や朝ごはんにすることも多々ある。時間が合う時にたまに、カレーなんかの簡単なものをつくるくらいで。

ソースができたところで、携帯のメールの着信音がした。受信ボックスを開くとアイザワくん。今日は急な飲み会で遅くなるから寝てていいよって。(おれはいつも先に寝るけれど)

「なんだよー」

 張り切った意味ないじゃん。

 作ったのはいいけれど自分で食べるのも空しいからハンバーグは鍋の中に入れっぱなしにしよう、きっと明日になったらソースが中まで滲みて美味しくなってるはずだ。それに明日食べたほうがおれの機嫌的にも美味しく食べられる。

 あまりなにかされてもむかつくことがない分、たまに不機嫌になると表に出やすいらしい。もめごとは避けたいので、先に寝るに限る。ふて寝してやろうとベッドに入り瞼を落とした。

 まあ、その三時間後には、物音で聞き起こされてしまうんだけれど。



「アイザワくんちってここなんだあ」

 ……玄関の方でがたがた物音がする。眠りが浅くてすぐに目が覚めた。部屋の電気をつけっぱなしにしていたせいで、蛍光灯で目がしょぼしょぼする。

「お前酔いすぎ、タクシー呼んでやるから帰れって」

「やだもう無理、寝せてってー」

 あ、女子。

「つうか男の家簡単に上がろうとしてんじゃねえよ」

「えーあたし的にはアイザワくんなら全然いいよ」

 泥酔してんのかー、なんてベッドの上でぼんやり聞いていた。ていうかアイザワくんてすげー、女子に攻められてる。やってもいいって向こうから言われるなんて世の男性が聞いたら羨ましがるに違いない。

 おれの今の状況ときたらなんなんだろう、言い寄られる男の、全然言い寄られない彼氏って。アイザワくんが女の子を家に上げてしまったらおれはどこに居ればいいかなあ。

 玄関での押し問答。修羅場ちっくなのは二人で住んでから初めてだ。暇な午後に見る昼ドラを思い出してちょっとわくわくした。ここでおれが出て行って、「誰その女!」なんて言って飛び出してすれ違いなんて起こったらまさにドラマなんだけどなあ。まあ実際鉢合わせしたら、女の子にビビるに決まっているけれど。

あいにくベッドから動くだけの能動性は、目覚めたての体にはないのだ。頭の中だけ妄想がフル回転だ。


「好きな奴じゃないと無理。玄関で吐かれたら困るからとりあえず外出て」

「何それうけるー」


 いらついて低くなる、淡々とした声の調子はおれの知ってる怒り方じゃない。いつもカーッと頭に血が上っている方が怖くない。

 まさか高校生のときみたいにいきなり家から締め出すってことはないはず。……って、思っていた数秒後にはドアが悲鳴を上げ、部屋が振動で震えた。おれもつられてびくっとしてしまう。冷静な語調だけれど、限界に達すると、やることは昔と変わっていなかったみたいだ。


「ただいま」

「おかえり。アイザワくん今の……」

「駅同じだからってついてきたんだよ。クソ、まじうぜえ」


 ベッドの上に乗り、おれを抱き寄せたアイザワくんはすっかりいつものアイザワくんだ。さすがに今は女の子に多少は優しくなったようだけど、さっきの調子だと根本的には同じなのか。酔っているせいなのか、今週はずっと見せなかったいつもの俺様の部分が現れている気がする。おれの首元や耳の後ろを犬みたいにくんくん嗅いで、甘噛みする。酒くさくて押しのけたら、それが気に食わなかったらしく肩に手をかけて倒された。


「お前、腹の調子どうなんだよ」

「え。あー、前よりはいいかなあ」

 ぎくりとして濁す。さすがに十日以上経っていて、治っていないわけがない。けれど元気だと言ってしまうとこの流れだと彼の逆鱗に触れそうだ。ちゃんと言えとか、そんなにしたくなかったのかとか。


「あっそ」


 眠いのか相手にもしたくないのか。隣に倒れて目をつむったアイザワくんはそれ以上なにも言わなかった。地雷を踏まなかった安堵に、それ以上刺激しないよう少し距離を置いて布団をかぶった。

まだ眠りに落ちているかどうかわからない状況で、おれだけ布団を独占しているのも決まりが悪い。風邪を引かれるのもなんだか嫌だし、酒臭さを我慢して結局自分から近づき温さを共有した。当初のおれの不機嫌は、先ほどの騒動によってだいぶかき消されていた。

 アイザワくん、と小さく声をかけて確かめる。返事がないので、残りの不機嫌分を声にしてやった。


「明日朝具合悪くてもハンバーグだからね。女の子連れて帰ってくるのが悪いんだ」

「意味わかんね……」

 あ、起きてる。

「おれ珍しく作ったんだよー。だから明日絶対それね」

 嫌がらせのつもりでそう呟くと、背を向けていたアイザワくんがぐるりと肩を動かしこちらを睨んだ。

「よーチャン」

「んー」

「……なんでもねえよ」


 怒られないと焦る、というのはなにか間違ってるかな。最後まで言い切らないなんて珍しい。ほんの少しひっかかっても、それを突き止める手段は知らない。いきなり腕が腰に回され、元々寄り添っていたのに更に密着する。強引なのはいつものはずなのに、違ったのは、そこに伴われるのが、鈍感なおれでもわかる重い空気だってこと。


「食わないで待ってた?」

「うん」


 完全にホールドされてるので顔が見えない。首元に向けて返事をする。正しくは待ってたわけじゃくなく、作りっぱなしでふて寝してただけなんだけど。


「むかつく」

「ええ」

「俺がやらないとくっついてくるし、俺から行くと離れるよな。たまにそうやってメシ作って待ってくれたのも、嬉しいけどこういうタイミングだし」

 何を考えてるかわからないのはお互い様だ。おれは相変わらず、肝心なときにアイザワくんの言っていることが理解できない。

「よーチャン、やったら駄目かよ? そしたらお前くっついてきたりとか飯つくったりとかしなくなんの? ……つーかまだ腹の調子悪かったりする?」


 唸るようにもらした投げかけの連続と、ちらりと見える不安。飲みこんで、とらえるまでしばらく時間がかかった。

――おれがどうだって気にしなかった俺様なアイザワくんが、あのアイザワくんが、我慢をしていたのだ。

 それに気付き、軽く感動を覚えたのは、昔飼っていた言うことを聞かないペソ(雑種の犬)が待てをできるようになったのと似ている。


「えっと」


 つまずいて、ぐるぐる頭の中に構成した文章は口でどう言っていいかわからなくなる。確かに、セックスすることがないのがわかっていたから密着したけれど、だからってアイザワくんとセックスすること自体はそんなに嫌ってわけでもない。ただ単に、次の日に動けなくなるのが辛いってだけだ。説明をどう伝えたらいいのか悩み、結果全部飛ばしてしまった。


「いいよ」


 話をぶっとばして、なぜだか誘いをかけてしまった。と同時に、一方的に抱きつかれる体勢が苦しくて、手を彼の肩甲骨のあたりに回したら空気がシリアスなものになった。意味なく色々やらかして、よく誤解をされるのはいつものことだ。

 撤回するのも変だし、「いいよ」というのが、アイザワくんが怒っているからおれがそう言ったのではないと思わせるためにもなにか違う言い回しで挽回をしなきゃいけない。


「お腹いいよ、大丈夫だよ。アイザワくん何もしてこないからそれでいいかなって思ってた」

「お前なあ……」

 さっと服をまくり上げ、差し込む手の平の感触は久々で肌の表面が粟立った。





 超我慢してた、と言うアイザワくんはどうやら一人でもしていなかったらしい。いつもはおれがいるから必要なかったのだと聞き、「おれオナホールならぬアナホールだね」とかましたら、しこたま怒られた。

 たぶん、女の子に言っていた「好きな奴とじゃないと」って、こういうことでいいんだろうか。それがおれのことなら、彼はとんでもない変態かもしれない。


 しばらくぶりにやられて、布団の中でぐったりだ。刺激で頭がくらくらするっておじいちゃんみたい。アイザワくんが水を持ってきてくれたので、布団をかぶったまま体を起こしてちびちび啜ると、動物みたいだと笑われる。

「もっかいしていい?」

「無理、おれしぬもん」

「優しくするって」

「嘘だ。前疲れ過ぎておれ寝たし」

「あれイッたんじゃねえのかよ!」

 付き合っている期間は長いし、高校生のころから何回もした。当時からマグロなおれとやって何が楽しいのか正直わからない。徐々に知識はつけさせられたし、弱いところなんかも発見された。けど。

「あのさ」

「ん?」

「アイザワくん、やるとき女の子じゃなくておれで大丈夫なの?」

「それ今更すぎんだろ。よーチャンだっておれとやってどうなんだよ。おれのこと好きだから、やれるんじゃねえの」

 そもそも最初が無理矢理じゃんか、ってつっこみはしないでおく。

「や……、飽きないのかなって」

「好きだったらしてえじゃん。そしたらべつに飽きるとかねえよ」

「はあ」

 アイザワくんにとってのおれとのエッチは、たぶんめちゃくちゃライトなものなんだろう。チューするみたいなレベルの愛情表現と一緒なのかもしれない。それって性に奔放なのかそうじゃないのか謎だ。

 昼間考えていた、関係がちょっと変わったんじゃないかって想像は杞憂で、珍しくそんな真面目なことを考えたせいか安堵でどっと眠気が押し寄せる。

「アイザワくん明日何時に帰る?」

「九時。……って寝んの?」

「んー」


 アイザワくんの肩に頭をもたれて手を取る。体温が高いのか、彼の手はいつ触っても温かい。手が冷たい人は心が温かいなんて言うよなあ。それの逆って、意味も逆になるかな?

 ホッカイロがわりに彼の手のひらを腹にあてた。


「これが一番きもちいー」

「お前さあ……」


 愛情を示すなら、腹を壊すおれのためにこうしてくれたら助かるのになあ。

 そんなことをぼんやり思ってうとうとしていたら、恐ろしい言葉が隣から聞こえてくる。


「じゃあ料理作るときは牛乳混ぜてやる。そしたらいつもこうだろ」

「ひどい……。アイザワくんよりトイレと仲良くなるね」

「さみしいだろ」

「エッチもできないね」

「…………」


 無言ののち、布団を拳で叩くアイザワくん。舌打ちをして、おれの意思なんか関係なく再びベッドに沈める。ただ、気を遣ったのか押し倒しただけで何もしてこない。ほっとしたのもつかの間、次には脅し文句。


「メシに乳製品混ぜられたくなかったら、俺選べ」


 開き直って目が据わっている。その形相での、毒入りごはんを作る宣言に恐怖を覚え、思わず首を縦に振っていた。




おわり


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