チョコレートの3秒ルール
「そんでさあ」
放課後の教室で、帰宅部のおれらは久々に顔を突き合わせて話しをしていた。おれの数少ない友達の一人、マッちゃんは中学のときバスケ部だった。膝を故障してからは部活を辞め、独自で体を鍛えている。だからマッちゃんの腹は六つに割れてる。シックスパックだ、ムキムキだ。じゃないと飛び付いたおれを受け止められるわけもないけど。
「ねー、マッちゃん」
「なに」
会話をぶった切ってもマッちゃんは嫌な顔をしない。いつものことだと合わせてくれる。無意識でやっているので直せなくて、それでクラスの人とか、おれの彼氏の友達には空気が読めない奴って言われた。
「バレンタイン何個もらった? 去年」
無駄に倒置法を使うのも癖。主語が無いのも。マッちゃんはそれを吉澤語、と呼んでいる。通訳さんだ。
「あー…、二個かな」
「お母さんと妹?」
そう言ってニヤニヤ笑うとマッちゃんはバカヤロ、とおれを小突く。
「妹いねっての!」
「はいはーい」
じゃあ一つはお母さんってことだ。コワモテにお母さんって響きが似合わないので小さく吹き出した。
「ね、やっぱ手作り?」
「ああ、うん」
手作りっていうか溶かし直しな、と続けたのでなんとなく作り方が想像できた。なんだ、チョコ溶かして固めるだけじゃん。
難しそうじゃなかったのでホッとして、ぼんやり想像してたらマッちゃんは眉をひそめて何か考えごとを始めた。
「手作り貰ってどう? 嬉しかった?」
「普通に嬉しかったけど」
答えて、下からえぐるようにおれにうたぐる視線を向ける。
「……あのさあ、お前、もしかして」
こういう時のマッちゃんは、心底辟易したって顔をするからちょっとドキドキする。
「うん、作るか買うか迷ってて」
吐き出しちゃえば、がっくりした肩の具合が険しい表情とのギャップにおもしろくなるんだけどさ。
「うわ、お前…」
おれに、じゃなくその向こうに怪訝にした。
「え、駄目?」
「そういうのさあ、止めろとは言えねえけどよ。けどさあ」
「だってあの人欲しがってんだもん」
鈍いおれが分かるんだから周りから見たらきっと相当だ。そわそわしながら、俺チョコ食いたいなあ、とか去年のバレンタインはー、とか。これであげなかったら痛い目見るのはおれだし、不機嫌なアイザワくんはめちゃめちゃ怖い。
「めんどくさいなら止めろよ。つーか、そんな好きじゃないなら別れろって」
何で付き合ってんだよ、とマッちゃんはいつも言う。そんなのおれもわかんない。
「それはやだなー」
「なんで」
マッちゃんはおれが男と付き合っているのを理解はしてるけど良くは思っていない。それは、おれのアイザワくんへの気持ちがはっきりしてないからだろう。何回も抱かれて、アイザワくんからは、亭主関白だけどおれのことが好きって伝わってきて。
だけどおれはまだ、わからない。ままごとしているみたいだ。これって駄目なのかな?別れた方がいいの?
「なんとなく」
「……そっすか」
けど、なんとなく、だけど。宙ぶらりんのこのままで付き合うのでもいいやって。離れたらちょっと、てか、割と嫌。
マッちゃんはまた、しょうがねえ、って風にしておれが「一緒に材料買いに行こう」と提案すると額に皺を寄せて「勘弁」と一蹴した。
深夜、親が寝静まったころに部屋を抜けて、買っておいたチョコとポテチ、ラッピングの袋が入ったナイロン袋を手にリビングに降りた。マッちゃんと別れた後、スーパーに買いに行くと入口近くではバレンタインフェアとかでカートがチョコで山積みになっていた。高いチョコでもスーパーで買った、とか微妙だなあなんて思いながら材料と包装するものをカゴにつっこんでレジに並んだ。わかりやすい手作りキット(ポテチはわからないだろうけど)にパートのおばちゃんはおれにちょっと可哀相な視線を送ってきた。自分で作って貰ったふりでもすると思ってんのかな。
スナックの芋に、チョコをつけた菓子を以前食べたことがあったのでおれも同じものを作ろうと考えた。これならすぐにできそうだ。アイザワくんはどんなのが好きだろうか、どうせ女の子に貰ってるやつは見た目も包装もかわいいやつだ。そういう方が好きかな。
湯煎にボールをつけて刻んだチョコをぐるぐる溶かし、その中に筒状の容器から取り出したポテチを浸す。三十分くらいで完成して、冷蔵庫で冷やし、明日を楽しみに就寝した。
*
翌日、無事(?)包装を終えてかばんにそれを入れ、学校に向かう。朝っぱらからどこか男子は気にしてないってフリをしながらみんなそわそわして、女の子が提げている紙袋に目をやっていた。
今日、校内でいくつカップルができるんだろう。バレンチノさん、よかったね。今日はあなたの命日だもんな。報われてるよ。
おれは今日あげるだけだもんなー、なんてぼーっと席について突っ伏していたらアイザワくんと彼いわく金魚の糞が教室に入ってくるのが見えた。いつあげようか。
目の前で義理をたくさん貰っているアイザワくん。それが見えなくなったのは、席前に人が立ったから。視界を塞がれ視線を上げていくと、そこにいたのは赤井さんだった。
「吉澤くんおはよ」
「おはよー」
赤井さんはいい人だ。前に吉澤くんと話してみたいと言われてから仲良くなった。性格いいし、フワフワしててかわいいし、すき。
「ねえ、これ食べる?」
いきなり目の前に差し出されたのはピンクのリボンがついている透明の袋。端っこにはハートが印刷されている。形のいいトリュフが見えて、口内の唾液が一気に増えた。
「食べるならあげる」
いたずらした後のような言い方がかわいい。ふふ、と笑い茶色い髪が揺れてる。
「食べる!」
やったー、と赤井さんにお礼を言って早速目の前で開けて、もったいないので一つだけ手に取り口に含むと、それはおれが作ったチョコポテトなんて即座に霞む美味さだった。さらっと口の中でとけたトリュフは余韻を残して頬を緩ませる。
「うまいー。赤井さんこれ手作り?」
「そう。けっこういい材料つかったんだよ」
「超うまい、ありがとー!」
やだ、吉澤くん子供みたい!と、二人ではしゃいでいたら平行線上から殺気。ちらっと確認したら窓際のアイザワくんが恐ろしい顔しておれを睨んでいた(後でトリュフを取り上げられそうだったのでトイレに駆け込み一気に食べた)。
今日家に来るよな、って、放課後に威圧感のある笑顔で言われて頷いた。ここで行かない、なんて言ったら大変なことになる。大変の中身はわからないけどとにかく面倒なことになるのは必至だ。
無理矢理感がないわけじゃないけど、行事関係なしに人に物をあげるのってわくわくする。アイザワくんが部活を早めに切り上げてきて、待ち合わせしていた教室から二人で肩を並べて帰るときなんていつかばんの中のものをあげようか浮足立っていた。
彼の家につき、ソファに座ると当たり前みたいに腰に腕を回される。普通の会話をしてるのにこういうのは変な感じがする。アイザワくんは「いつの間にか」が、多い。いつの間にかおれを捕まえて、いつの間にか付き合ってて、いつの間にかチューして、いつの間にかやってる。流すのが上手いのかな。おれが雰囲気掴めないのかな。
そういう時はおれはアイザワくんの「物」みたいに扱われてる気がする。
「よーチャン見て」
「うん」
そんなん言ったら、怒られるかな。
考えながらカッターシャツを下のボタンから外して腹を見せてきたその人を見た。
「最近腹割れてきたんだ」
手を掴み、肌に触れさせる。ボコボコした筋肉の固まりが浮き上がっている。自慢げだ。触っていると同時にふと別のものも思い出したので、口にした。どうなるか、全く考えずに。
「ほんとだ。…あ、マッちゃんもだよ」
「え」
「六つに割れてんの。あの人すげえムキムキ」
心なしか声色に抑揚がついた。笑顔も付属して。
「…………あっそ」
さっと腰に回していた腕が離れた。シャツの前をすぐに合わせ、それで、地雷を踏んだと気付いた。アイザワくんの腹は六つに割れてない。そんなのでいちいち不機嫌になる。前はアイザワくんの身長がマッちゃんより三センチ低いのを教えたら不機嫌になった。
一気に空気が悪くなった室内。濁らせた雰囲気を纏いアイザワくんが立ち上がる。
「んなにアイツが好きならアイツんとこ行けよ」
「えっ、アイザワく……」
「外出てくる」
アイザワくんちなのに、何でアイザワくんが出てくんだよ。
とにかく引き止めなきゃって、学生かばんから慌ててラッピングした袋を取り出した。
「ま、待ってこれ」
押し付けるように渡そうとしたら「いらねえ」と腕を振り払われて、勢いでチョコポテチの入った袋が床に落ちた。ぱらぱらと楕円系のそれがフローリングに散らばる。袋の口にしたラッピングが緩かったみたいだ。
目を見開いたアイザワくんが散乱したポテチを一瞥し、リビングを出ていく。ガチャンと扉の閉まる音がして、おれは一人取り残されてしゃがみ込んだ。
「なんでだよ……」
(手抜きだけど)アイザワくんが言うからわざわざ親が寝るの待って、作って。マッちゃんでそんなに怒んなくてもいいじゃんか。意味わかんねーよ。
落ちたポテチを拾って口にしたら安いチョコのだるい甘さと、ポテチの塩が混ざって案外美味かった、美味かったから、もったいなくて、そんで、アイザワくんに作ったの自分で食ってるのが悲しくて。
ポテチ拾って袋に戻す作業をしゃがみ込んでゆっくり続けた。赤井さんみたいなトリュフだったら、床に落ちた時気にしてくれたのかな。
*
衝動的によーチャンを突き放して家を出た。一歩外に出た瞬間冷めていく体とほとぼりが俺を罪悪感で一杯にした。
赤井とよーチャンが盛り上がっていたからムカついて、そんで昼にそれを持ってどっかに走ってったからもっといらついて。あいつ、俺が取り上げるってわかってんだ。そんなに女がいいかよ。
さっきも、松本の方がスゴイって言われてるみたいだった。あいつはいちいち微妙に俺に勝ってるから釈に障る。第一、ジュースをよーチャンと半分こしてたあたりから鼻についたんだ。
決定打は、笑顔。おれといる時なんか何考えてるかわかんねえしぼんやりしてるだけなのに、松本の話になれば嬉しそうな面するし、赤井とだってあんなに盛り上がってた。俺は何なんだってカッときたけど、毎度ながら俺が悪い。
チョコだって俺が作らせた。遠回しに欲しいって言って。めんどくさがりなくせにちゃんと持ってきてた(しかも手作りでだ)。
「…っ…あー」
落ち着け。落ち着けよ。部屋戻ったら謝ろう、そんで床に落としちゃったチョコ(みたいなもの)食って……。おれが傷つけたんだからな。
出て行ったすぐに戻るのも少々気が引け、物音を立てないようこっそり引き返す。リビングの戸を開くとよーチャンの丸くなった背中が見え、小さく屈み込んだ後ろ姿が無防備で心臓がぎゅっとなる。鼠が食うようなちっちゃいポリポリとした音が聞こえてきて、それが俺が床に散らかした菓子だとわかると、もう引けなくなっていた。
「よーチャン」
俺もしゃがんで、なんだかいつもより小さくなった背中に抱き着いた。面倒臭かったのか無視してるのかはわからないけど、拒まれなかったので安心した。
「ごめん。ごめん、食わせて」
抱きしめたままよーチャンが握っていた袋に手を突っ込んで、一枚ポテチにチョコをつけた品を取って口にいれた。
「うまい」
よーチャンは何も言わない。どうやら機嫌取りに徹しなきゃいけないみたいだ。
俺にくれた時は、口には薄い水色のリボンがあった。ちゃんとラッピングしてくれてた。この、よーチャンがだ。女子から貰ったマフィンやチョコは、こんな豪快な菓子じゃなかったけど、不器用なよーチャンを思うとすごく愛おしくなる。
「よーチャン、ごめん。それ食べたい」
「……いらないんだろ」
小さい声で、ぼそぼそと。喋ってくれたからちょっとホッとして「食わせて下さい」と言うと無言で渡す。引っ付いたままそれをぼりぼり食ってるとよーチャンが身じろぎして申し訳なさでおれを追い詰める言葉を吐いた。
「アイザワくん欲しいって言うから作ったんだ」
「はい」
「いらないっていったから、じゃおれ女子のみたいなのにすればよかったって」
「……いや」
確かにちょっと、がっくりきたのはきたけども。
「いっつも勝手だよアイザワくん。ちょっとはおれのこと大事にしてよ」
「ああ」
勝手だ、と言われて頷いたのにここでキスしたら反省してないことなるのか。
「マッちゃんは友達だけどアイザワくんは彼氏じゃんか赤井さんも友達じゃんか」
ちょっとムキになるのはあまり見れなくて、感情が顕になるのが珍しく嬉しくなった。いまいち掴めていなかったよーチャンが、しっぽでも見つけられた気がして。
抱いたらよーチャンはちゃんとおれの物になる気がして何回もやった。強い独占欲に押し潰した。
大事にして、って響きに打たれたんだと思う。よーチャンの中身がやっとおれに見えてきたから。
嬉しくて、のしかかるみたいによーチャンに力をこめると、ぐらついて体勢を崩して床に倒れた。
「あ、また」
やっと顔が見えた。一人で高揚して自己完結させてたからよーチャンには襲ったと思われてそう。言ったこと聞いてねえだろって不満げにしてて、それだって今まで嫌だとか口にしたことなかったから本音なんだろうな。
「大事にすっから」
それだけ言って、頭を撫でると、よーチャンは不思議そうな顔をしていた。
「……んだよ」
じろじろなめ回すみたいにするので笑ったら、俺が馬鹿みたいに思える発言をやっぱりこいつはするわけで。
「そっか、三秒ルールじゃなきゃダメなんだ」
「は?」
雰囲気ぶち壊し。マジ、なんだこいつ。
「チョコポテ床に落としてけっこう経つの食ったからさ、だからアイザワくんそんなこと言うんだね」
「おま……」
一気に脱力して、ほんと、なんか悟っていた自分が恥ずかしい。食中毒にでもなったからおれがこんなん喋ってるってか。馬鹿だろ、チクショー。
いいよ、もうそのまんまで。
このまんまの雰囲気でチューしようかなって考えたけど止めだ。体を起き上がらせてよーチャンから離れた。
「チョコどーも」
と、ぼそりと吐いたら。
……やっぱ、さっきの取り消し。
「アイザワくん」
「あ?」
「そういうの好き」
「何が」
「今なんもしなかったから」
えへへ、と寝転がってだらし無い笑顔を向けるので、陥落。多分まだ許してはくれてないだろうけど、いいや。
あまのじゃくみたいによーチャンにチューしてやったら、なんだか塩とチョコのまざっただるい甘みが口の中を溶かした。俺らみたいだ……なんて甘いこと思ってみたり。
「……三秒ルール破ったからおれも変になってんのかな」
「は?」
「すきかも、アイザワくんのこと」
いや、しょっぱいのか。
食べ物がおかしくなんなきゃ俺のこと好きだってわかんねえのかよ。
おわり