ピンク空に願い事
マっちゃん。おれのすきなマっちゃん。抹茶。マっちゃん。
「吉澤」
えへへー、とニヤついていたら不気味そうな顔をされた。相手はマっちゃん。アイザワくんの宿敵マっちゃん。そんでおれの大事な友達。
「おまえ何笑ってんの」
「ん?マっちゃんと話すの久しぶりだから嬉しくて」
おれのへらへら笑いにマっちゃんはため息を漏らす。
「…はいはい。じゃ彼氏何とかしてくれよ、お前とマトモに話せねえじゃん」
多分ため息は男に走った友人に対してのもの。彼氏って言い回しは諦めと妥協。
マっちゃんはアイザワくんに嫌われている。ふらふらしてるおれの数少ない友人を嫌わないで欲しいんだけど、アイザワくんはおれがマっちゃんの半径1メートル内に寄っただけで喧嘩が勃発するし、たいていその次の日はケツが痛くなるのでなるべくおれは機嫌を損ねないようにする。テーシュカンパクってやつだ。
マっちゃんの『マトモに話せねえじゃん』が必要とされてるみたいで嬉しくて、おれはマっちゃんに飛び付いた。マっちゃんは久しぶりのスキンシップを犬の飼い主みたいに受け止める。
マっちゃんすき。
アイザワくんも仲良くしてくれたら三人で遊べるじゃんな。
な?だからおれは風邪で休みのアイザワくんちにお見舞いもかねて持ち掛けてみる事にした。
「ハア?ふざけんな」
――…案の定おれは風邪で潰れた声を出すアイザワくんに抱き潰されてしまった。
最近じゃこっちのが多い、てゆうか部活ばっかだから家デートで、結局エッチになる。セフレってやつかも。パシリとセフレってどっちがマシかな。
ベッドの縁に座り煙草をふかす背中に聞いてみようと思ったけど、いきなり振り返ったアイザワくんにキスされたので止めた。
「よーチャン、キモチかった?」
「うん」
さっきまで不機嫌だったのに一言答えるだけで笑顔になる。サッカーのエースのくせに煙草なんて吸ってるアイザワくんは最低な選手だ。
「アイザワくん最低だね」
言葉を簡略化し過ぎるのがおれの悪い癖。
『アイザワくん選手として煙草吸うの最低だね。止めなよ』
おれはこんなニュアンスを篭めたんだ。
更に。
「マっちゃんと仲良くしてよ」
話が飛躍し過ぎとも突飛過ぎるともよく言われる。小学生のときは通信簿の担任からの欄に六年間毎年同じことを書かれた。
協調性が無いようです。もっと人の気持ちを考えましょう。
中学生のときはマっちゃんがいつも側にいてくれて、生じる誤解を上手く執り成してくれたり言葉を付け足してくれたからそんな評価はなかった。
でも今、マっちゃんはいない。
自分で言葉を見つけなきゃ。
「…よーチャンあいつのこと好きなのかよ」
恨めしそうに顔をしかめてアイザワくんが低く唸る。
「うん、すき」
ダメだった。もうひとつ。
おれは、空気が読めない。
*
「…お前なぁ、それ」
放課後。誰もいない教室でマっちゃんにそのことを話すと本当に呆れられた。
「何でオレお前とデキてることになってんだよ…」
深々と頭を垂れる気落ちした様子のマっちゃん。あの事からずっとアイザワくんはおれを無視するようになっていた。吉澤、に戻って、ちょっと悲しくて。でもおれは何がいけなかったのかわからなくて。一週間放置したら、アイザワくんは彼女を作った。マネージャー、すんごいカワイイこ。
やっと今理由がわかり愕然とする。
「アイザワくんとマっちゃん仲良くしてほしかったんだよう…」
がくん、とうなだれるおれにマっちゃんはしょうがねえなって顔してめちゃくちゃ嫌そーうにアドバイスをくれた。
正直こんなんで大丈夫なのか不安だけどおれの恩人の言葉だ、実行するだけやってみる。
おれには人を好きになるの、よくわかんない。我が儘言わない分相手の心も見つけられないから恋愛出来ないんだろう。
今だってマっちゃんいなきゃ全然だったし。
アイザワくんのこと、おれは実際のとこ好きかわからない。
けど、いまさら吉澤って呼ばれるのはすごく悲しい。よーチャンって呼んでほしい。その呼び名のとき、アイザワくん楽しそうな顔してるから。
……寂しいよー。
アイザワ君宅。ていうかお宅前、なんだけど。
入口の石づくりの塀の前でしゃがんで彼を待つ。これも作戦だ。マっちゃんが言うにはケナゲさが大事、らしいから。あと三時間、アイザワ君が帰ってくるまでおれは置物になる。
塀と同化しよう、そんな事を思いしゃがみ込んで日が暮れるまで待っていたら案外時間は早く過ぎ。暮色に染まる空にうとうとしていると話し声が近付いてきた。
息を潜めたらそれはおれの元カレと例のカワイイ一年生の高い声。
どんどん近付いてくる。
膝をかかえてちっちゃくなろうとしたけど無理だった。
「お前なにしてんの…」
見上げたら、そこにいたのはコワイ顔したアイザワくんで。ついでにカワイイ彼女の「先輩この人だれー?」なんて追い討ち。
「…待ってた」
「俺を?」
「ん」
彼女の奇異な眼差しが降り注ぐ。よれたシャツがもっと皺くちゃになった気がした。
「迷惑。ミキ、行こ。ちなみこいつパシリだから」
アイザワくんは目の前でミキチャンの肩を抱いて、ミキチャンはへえ、とおもしろそうにおれを見下ろしてアイザワくんにべったりしながら家の中へと消えて行った。
おれは一人ぼっちになる。石塀の前で立ち上がる気力もなく俯いて泣いた。わけもわからずぼたぼた垂れる涙はアスファルトに染み込んでく。地面を濡らし増していく涙の量が実感を伴わないから不思議に思ったら雨だった。降水確率何パーだっけ、ミキチャン傘もってた。激しさを増す中身動きせず打たれているとどぶねずみにでもなったような気分だった。全身あっという間に雨と、顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった。
今頃家の中では二人してバコバコやってるんだ。アイザワくん手、早いもん。おれに無いおっぱい揉んだり、柔らかい体触ってズコバコやってんだ。
ミキチャン、だろ。やりたい女子No.1じゃん。
ああ、おれもやりたいのか、劣等感なのか嫉妬なのかよくわかんなくなってきた。けど…パシリって響き、今更になってこんな泣けるなんて。
「げ!まだいた」
「どうした?」
どれくらい経ったんだろう、やることやり終えたんだろう。やりたい…じゃない、家から出てきたミキチャンがえげつない声でおれを見下してるのがわかる。きっと隣でアイザワくんも。いいもん、汚いもんおれ。近くに 水溜まりできてるしゴミ袋みたいに丸まってるし。汚いものを見る視線がつむじにささり、次にいつもの理不尽なあの人の怒鳴り声が飛んできた。
「……貸せ」
「え?」
「いいから貸せよ!」
降り注ぐものが無くなり、ぐちゃぐちゃの顔のまんま見上げるとアイザワくんがピンクの傘をさしてくれてた。
「これかりる」
「え、ちょ!」
「貸りるから」
ピンクのミキチャンの傘。ミキチャンを雨に打たせたままアイザワくんは玄関までたった数メートル濡れないがために傘を奪いミキチャンを放置した。アイザワくんに腕を引かれ家に押し込まれる。アイザワくんが玄関先でピンクの傘をミキチャンに放り投げると呆然としているのか立ち尽くしていて目の前で黄土色の水溜まりに沈没してた。
怒声を背にしてしっかり扉に鍵をかけるアイザワくん。
振り向いた瞬間また噴き出す不可解なおれの涙にうろたえて泣くな、と抱きしめた。
「アイザワく…おれ、パシリ?」
「違う」
「セフ…」
「違うって」
汚い顔なのに後頭部に手をあてて肩口にうずめさしてくれる。
「おれ、マっちゃん好きで、アイザワぐんも好きだがら二人…仲良くしでほしかっ、だ、最低は、煙草止めろって言いたぐ、で…」
鼻水をすすってると言葉がわけわかんなくなる。羅列するとアイザワくんにいいから、と止められた。
「よーチャン、雨気付かなくてごめん」「…ううん」
「…でも好きって、初めて聞いた」
へばり付いた髪を流してアイザワくんがおれの頬を両脇から固定する。冷たい体に温かさが浸みた。
撥ねた泥の小石が裾に溜まってる、シャツは汗と体にへばりついて、髪の毛は雨で滴るし鼻水はすすりっぱなし、頬は涙の跡とむくみで最悪だ。こんな汚いカッコなのに、躊躇わずキスするアイザワくんは本物の俺様だ。
*
「仲良じ」
鼻風邪ひいて、変な声。手を繋いで自販機に行く。右にはアイザワくん。左にはマっちゃん。二人なら変だけど三人ならいい気がする。行く人の視線を交わしぶんぶん腕を振り上機嫌でいるとやっぱり口論が始まった。
「テメーが早く家にいれねーから吉澤風邪ひいてんだろ」
「は、元はと言えばテメよーチャンに近付きすぎなんだよ」
「二人共、おれらホモの痴話喧嘩みたいだから止めようぜ」
突っ込んでみたら両脇から軽く平手が飛んできた。実際痴話喧嘩なんだけどね。
仲良くなったアイザワくんとマっちゃんで、次のステップは飲み回しだ。
おわり