飲みかけのミルクティ
「よーチャーン」
「んー?」
椅子を引きとんとんと教科書、資料集、ノートを揃えているといつもの声に呼ばれる。振り返るとニカッと満面の笑みが視界に入る。
おれの席は真ん中の一番後ろ、彼がいるのは窓際の真ん中。
彼は授業が終わるとすぐに窓の枠に腰かけて机を足置きにしている。
彼の仲間も同じようにして窓際でたむろしている。
「自販、抹茶オレねー」
「うん」
そう言って彼は50円玉を弾いておれに飛ばした。
いつものこと。
「お、吉澤」
「おう」
自販機からガコン、と抹茶オレが出てくる。ちなみに缶ジュースは一本百円。
屈んでいると頭上からテノール。斜め後ろを見上げるとマっちゃんがいた。
「マっちゃん次」
屈んだままアヒルみたいにして場所を開ける。列が混んじゃう。
「ん」
チャリン、と百円玉投入。
上手くいかなかったのかまた釣銭のとこに硬貨が戻ってきた。
二三回繰り返しても落ちる百円。とうとうマっちゃんは舌打ちをしてジュースを買うのを諦めた。
「吉澤牛乳系好きだったっけ?」
マっちゃんと教室まで歩く。自販機のある一階はおれらの教室のある三階まで遠い。
「ううん」
「じゃ何で…って、ああアイツか?」
手元にある抹茶オレ…あと5分しかないけどべつにいいよね?
おれが頷くとマっちゃんは恨みの篭った目でどこかを見つめてた。
「なあ吉澤、それパシリだろ」
「そうなのか?」
お金くれるから違うと思ってた。パシリって、いじめられてる人が自腹切るイメージあったし。
それにさ。
「でもあの人飲み物半分おれにくれよーとするよ」
だから五十円しか払わないんだけど。
「ハア?」
マっちゃんの薄い眉毛が眉間に深い皺を刻んだ。同中同クラだったからわかる癖。キレてるんじゃない、理解できないときにやるんだ。
「あ…ついた、マっちゃんバイバイ」
教室の前到着。おれは三組マっちゃんは隣の四組だからここでサヨナラだ。
教室に入ろうとするとぎゅっと襟首を引っ張られた。ぐえ、と変な声が出て、振り向くとマっちゃんが真剣な顔をして『明日は俺もついてく』と言った。
「よっすいーおっせー!」
アイザワくんに抹茶ラテを渡すと軽く頭を小突かれた。
「混んでたんだー」
アイザワくんの小突き方はなんだか優しいからパシられてるって感じがしない。だから今まで気付かなかったんだろうけど。
「ハイ」
アイザワくんがタブを起こしておれに缶を返す。いっつもそうだ、まずおれに飲ませようとする。
「ごめんおれラテ系飲めない」
やんわり断ったつもりだったけど、アイザワくんはハ?と不機嫌そうな口の形をつくった。
「じゃあ言えよ、お前飲まねーなら百円も払わなきゃじゃん」
「うん」
アイザワくんの取り巻きもこのやり取りを見てかおれに向かって舌打ちを始めた。
これっておれが悪いの?
違うよね?
『うん、じゃねーよなぁ』
『アイザワ優しーから半額払ってんのに』
『最初に言えっつのー』
おわ…すごい罵倒。この人たちに買ってきたわけじゃないのに。
そして次の言葉にアイザワくんの顔色がさっと変わった。
『パシリのくせによ』
あ、そっか。
マっちゃんの言った通りおれパシリなんだ。
「そっか、おれアイザワくんのパシリか」
確かめるように呟くと、授業開始の鐘が鳴った。
アイザワくんは何も言わなかった。
翌日。
三時間目が終わった10分休み。
アイザワくんは無表情で「カフェラテ」と言っておれに百円を投げた。百円…半分こしないんだ。
今までにない無愛想な態度、そっかぁパシリだもんな、昨日アイザワくんの友達が明言したもんな、優しくしちゃダメなんだ。
ちょっと寂しかったけど、タイミング良く教室の入口にマっちゃんが現れたので気にしないことにした。パシリって言っても隣にマっちゃんみたいなコワイ人がいればそんなに惨めな気はしないし。
「マっちゃんさんきゅー」
「いーや」
カフェラテを買って、マっちゃんは緑茶。そーいや昨日アイザワくんは抹茶ラテだった。カテキンは牛乳と一緒になったら効果を失うんだよ、アイザワくん。
「あ、吉澤ストップ」
「んー」
教室の入口、窓際の遠くからアイザワくんがこっち見てる…。マっちゃんがプシュ、とタブを開ける。
「やる」
「え?」
聞き返すとマっちゃんは小声で「フリでいいから」と言った。
なんだかよく分からないけど緑茶は好きだ、言う通り缶を受けとってぐいっと喉を潤した。
「マっちゃんさんきゅ」
「いーさ…って、全部飲んでんじゃん!」
「へへ」
へらっと笑うとマっちゃんに頭をはたかれた。笑い返してくれると思ったのに急にマっちゃんの顔が険しくなる。
背後を振り向くとアイザワくんがいた。
「カフェラテは」
「あ…ごめん」
アイザワくん、おれが戻るの遅いから怒ってる…。名前も呼んでくれない。昨日だったらふざけてでもヨーちゃんとか、言ってくれた。少ししょんぼりしてカフェラテを渡す。
「吉澤、お茶うまかった?」
マっちゃんが急にそんなことを尋ねた。
「ん…おいしかった」
アイザワくんの手前、恐る恐る答えるとマっちゃんは続ける。
「だよなー、お前牛乳入ってんの飲めねえもんな」
「うん?」
マっちゃんはおれを見ない。頭上でアイザワくんと睨み合っている。見えない火花が散ってるみたいだ。ベルが鳴り、二人が睨み合いをやめるとおれはアイザワくんに背中を叩かれた。
アイザワくんの手、でかいから痛いよ。
「おい」
放課後、アイザワくんが人もまばらな教室でおれに近付いてきた。パシリに出させる時以外接点は皆無なのでこんなの珍しすぎる。
だけどおれはアイザワくんのパシリ、きっと金とかせびられるんだ。転落人生の始まりなんだ。
「よーチャン今日ヒマか」
アイザワくんはいつもみたいにあだ名で呼んでくれた。取り巻きがいないせいかな?
「ヒマだけど…アイザワくん部活は」
「さぼる」
アイザワくんはサッカー部。普段へらへらしてるけどサッカーにかける情熱は物凄いらしい。そんなギャップがいいんだって、廊下で女の子たちが騒いでた。
サボるなんてきっと初めてに違いない。そこまでしてパシリに一体何の用事だろう。
「なんか…喋れよ」
一階の自販機に着くまでおれは無言を貫いていた。アイザワくんだってなんも言わないからいいかと思って。
「うん、パシリから喋っていいのかなーって思って」
「…ッ」
アイザワくんの表情が暗くなる。なんか、苦しそう。どうした?発作?
「アイザワくん?」
「よーチャン」
手首を掴まれた。痛い。アイザワくんは器用に片手で財布を取り出し一万円札を抜き出す。躊躇いなく目の前の自販機へと挿入、ランプがついた。
「これ全部よーチャンにやる」
「へ?」
「よーチャンが飲めなかった分、だから全部押せ」
アイザワくんは何を言ってるんだろ。
「だって、パシリでしょ」
そーゆー関係だと思ってた。覚悟だってちょっとして付いていったのに。
「…違うからやるっつってんだろ!!」
急に怒鳴られた。なんなのこの人、こわいよ。涙ちょちょぎれるよ。
「こんな飲めないよ、それに牛乳系飲めない」
「いいから持って帰れ、牛乳系は俺が飲む」
両手には大量の缶。全種類アイザワくんのオゴリ。
「よーチャン」
「はい」
「明日から半分こ、それと俺も一緒にいく」
アイザワくんは缶を一つおれの手から取りプルタブを開けた。おれの飲めないミルクティーを。
「アイザワくん牛乳系好きなんだ」
「ああ」
ごめんね、牛乳系飲めなくて。
「よーチャン、全部半分こだからな、俺とだけな」
アイザワくんはミルクティーの缶を片手で揺らして言った。
おわり