9,「揺蕩う歌」
これで第一章終了です。
そうして、和に連れられて、久しぶりに僕は屋外に出たのだが…
「えっと、病院にこれはいいのかな…?」
病院内にあるとは思えない、強く根付いている(・・・・・・・・)一本の木。
「俊兄、なにか駄目なとこあるの?」
「いや、病院に木って、『根付く』から『寝付く』が連想されるから縁起が悪いって言われるんだけど。」
「まあ、俊兄もうすぐ退院だし、もともとあったんだし大丈夫だよ。」
そう言って和はニコニコと笑う。
「そういえばさぁ。」
その笑い声が止まった頃合いを見計らって和に質問を投げかける。
「なに?俊兄。」
「一つ、気になってることがあるんだけど聞いていいか?」
「別にいいけど。
そんな改まった顔してどうしたの。
俊兄らしくないよ。」
今週に入ってから、和に何回か話そうと思ったがその都度挫折し、結局話せなかった言葉。
これが最後の機会だ。
「僕が男(お兄ちゃん)から女(お姉ちゃん)に変わったことを気持ち悪い、とか思わなかったのか?」
僕の渾身の一言は…
「別に何とも思ってないよ?」
和の単純な一言で粉々に砕かれてしまった…。
そして、膝から崩れ落ちるようにしてペタンと座ってしまう僕。
「言うまでに悩んで、苦しんでたのに…。」
「いや、だってさぁ。」
放心してしまったように落ち込んでいる僕に慌てて駆け寄った和は何とも言えないようにいう。
「だってさ、俊兄は俊兄で変わらないでしょ。」
今日一番の微笑みを浮かべて言う和。
その言葉に、曇っていた視界が急に晴れていくように思えた。
「そうか、そうだな。」
しっかりとした言葉を放つ。
「僕は、僕だ。」
性別が変わったことは仕方ないことだと思おう。
少なくとも僕は僕、それは変わりないのだから…
「それに俊兄、もともと女の子っぽかったし。」
「ぐはっ。」
きれいな〆を台無しにするような和の発言。
それに、今までの苦悩以上に心にダメージを受ける。
「可愛いもの好きだし、家事得意だし、料理上手いし。
男のときから私より女子力高かったもん。」
やめてくれ…僕のHPはもうゼロだ…
「地味に今も女の子座りしてるし…」
はっと正気に返り、慌てて立ち上がる。
「もういいだろ、なんでもするからこれ以上僕の傷口をえぐるのはやめてくれ。」
「俊兄、何でもするって言ったよね。」
ニヤリと笑う顔。
これはイヤな顔だ…。
こちらにとって不利な願い事を口に出すときに和はよくこんな顔をする。
僕の顔にタラリと冷たい汗が流れ落ちる。
そして、和が僕と身長のあまり違わない身体を近づけながら言った一言。
「じゃあ……歌ってくれる(・・・・・・)?」
その言葉は僕の想像の範疇を越えるものだった。
なぜそんなこと思いつかなかったんだろうか。
声が出るということは今まで道理に歌えるということじゃないか。
今まで全くそんなことに気を留めていなかったことに頭を抱えたくなる。
「えっと、もしかして声戻ってから一度もやってなかった?」
困惑したように和が聞いてくる。
「考えたこともなかった…」
「まっ、まあ俊兄も性別変わったり、入院してたしね…」
お願いを出したはずの和からのフォローが一番つらかった…。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
色々と自虐的なダメージは負ったもののなんとか立ち直ることの出来た。
それに今までの自分にはしたくてもできなかった事ができるのだと思うと気持ちに余裕が出てくる。
「和は何の曲が聴きたい?
事故のことで迷惑もかけたし、リクエストとして一曲だけ歌ってあげるよ。」
「ホント?よっしゃー!」
大ぶりにガッツポーズをとる和。
「さすがに歌ったことない曲は勘弁してよ。
僕だって久しぶりなんだから慣れてる曲のほうがいいし。」
その様子に苦笑しつつ、無茶振りをしないように釘をさしておく。
悩んだ末に和が言ったのは…。
「おまかせってあり?」
「結局、そこまで時間かけて考えておまかせなの?」
「だってさ、俊兄の歌えるレパートリーをちゃんと知ってるわけでもないし。
それに、兄の復帰第一号は自分で選ばせてあげようという可愛い妹からのプレゼントだよ。」
前者の言い分はともかく、後者は後付けのいいわけであるうことが丸分かりである。
いちいちそんなことも気にしてもしょうがないので、とりあえず自分で曲を選ぼうと頭の中に今歌えそうな曲をリストアップさせる。
病院だから暗い歌は嫌だし、逆に明るすぎるのも場所にそぐわないと思う。
そう考えていくうちに一曲自分の中でピンとした曲があった。
宗教曲ではあるけれど、場にそわないこともないだろう。
僕がなにか決めたような顔をしたのが分かったのか、和は聴きやすいように少し離れたベンチに腰掛ける。
それを見届けた後、一つだけ大きな深呼吸。
そうして、言葉を紡ぐように奏でる。
~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~
選曲したのは「Ave Maria」。
讃美歌のひとつだ。
~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~
聖母マリアを称える歌で、生と死を象徴するような歌詞である。
~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~
その歌詞に自分の生への喜びと再び願っていた歌が歌えるということへの感謝の気持ちを込めながら歌詞を紡ぐ。
~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~
久しぶりの歌だが、自分の思った以上に声が出る。
失語病にかかっていたのが悪い夢であったかのように…。
~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~
そうして、僕が喜びに満ち溢れてながら歌っていたので、名も知らぬ一人の少女がその歌に聞き惚れていたことを知る由もなかったし、彼女たちとの出会いが僕の生活を一変させるだなんてことは考えてすらいなかった。
ただ、僕は自分の中から大事なものが蘇ってきていたことに、ただ純粋に歓喜していたのだから。
これにて一区切りです。
といっても、三部構成の一つが終了しただけでまだまだ話は続くのですが…。
ただ、しばらくリアルが忙しくなる(一月から大学の学期末テストやサークルの原稿があります…Orz)ので、次の更新は来年の1月の半ばになるかなと思います。
時間が開いてしまいますがこれからも応援して下さるとありがたいです。
この後は、幕間として「俊」の相方であったギター少女の話を入れた後、
第二章「仲間集め編」が始まる予定です。