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第7話

 何年そこにあったのか、ところどころ色のはげたベンチに腰をおろす。冷たさがズボン越しに感じられる。端っこに座ったぼくの隣にトオコさん、その隣にミオも座る。


 会話はなかった。だけど悪くない沈黙だ。少なくとも、ぼくにとっては。


 こんなことをいったら、彼女たちは気を悪くするかもしれないから口には出さないが、ぼくは彼女たちを前より身近に感じていた。あまり好意的に接さられた覚えはない。なのにどういうわけか、ぼくは彼女たちを憎めない。自分の状況に悪態はついても、その苛立ちをふたりに向けることはどうしてもできそうにない。


 ―――――ぼくはどうにかしてしまったのだろうか。


 「ぼくは、カズキじゃないって最初にいいましたよね」


 いつの間にか、ぼくは切り出していた。声色は自分でも驚くほどに穏やかだった。


 「戻ってきて欲しいですよね、彼に」


 「それは……」


 「消えた方がいいんですよね、ぼくは」


 化物じゃない。ぼくは人間だ。そう思いながらも、他でもない自分が自分を冷めた目付きで見下ろしている。


 いじわるな問いかけだ、と自嘲気味に思う。トオコさんは優しい人だ。少なくとも、ぼくに直接「消えてくれ」とはいえない性格をしているのは、ここ数日行動を共にしてわかっていることだ。それでも聞かずにはいられなかった。


 非難するミオの視線。彼女は素直に「消えてください」といってくれる気がする。


 沈黙が場に満ちて、誰も口を開こうとはしなかった。いつの間にか老婆と男性は姿を消している。手の中に感じていたぬくもりは、その熱を失っていた。


 「わたしはね、カズキが好きなの」


 身体からしぼり出すように、話し始める。


 「カズキがいないと寒いの。どこか欠けてしまっている気がする。どうしようもなく、寂しいの」


 ぼくは顔を歪めるしかなかった。それ以外に反応のしようがなかった。それでも、うめき声を上げるのは、気力でなんとかこらえることに成功した。


 聞かなきゃよかった、と腹の底から後悔する。好奇心は猫どころか、ぼくを殺しかけている。


 自分で聞いておいて、自らドツボにはまったようだ。


 いうな。それ以上いわないでほしい。まるで鋭利なナイフだ。どんなに受け流そうとしても、ざっくりと心に切り傷を与える。聞いてはいけない。でも聞かずにはいられない。苦しいと感じると共に嬉しく感じて仕方がない。苦いのと甘いのがいっぺんにやってきたみたいだった。切り傷は塩を塗りたくられ、そのあと優しく愛撫された。ぞくり、と体中に鳥肌が立つ。こらえようがない感情の奔流だった。快楽とも苦痛ともとれないそれは、麻薬のように頭に染み入る。相反するようでそうじゃないもの。必要でないようで、ぼくが心から欲していたもの。


 自分がまともでいられる自信がなかった。このまま、大声を上げて走り出したい気分だった。


 ぼくを正気に戻したのは、青白い顔をしたミオだった。彼女はぼくの手を小さな両手でつつみ込んでくれていた。


 「落ち着いて。大丈夫です。大丈夫」


 彼女の瞳をうっとりと見返す。「大丈夫」ぼくは危ない薬でもうたれた気分になった。「大丈夫、うん。大丈夫」


 忘れていた何かを思い出す。自分自身の大切なものだ。自分を自分たらしめている根っこのようなものだ。


 ぼくがどんなに嫌われようともかまわないのだ。傷つけられようともかまわないのだ。ただぼくは、誰かが苦しんでいるのを少しでも癒してあげたいと思っている。それでも痛いのは嫌だし苦しいのも嫌だ。これはわがままなのかもしれない。誰かを救うためには自分が傷つかなければならないときに、ぼくは必ず躊躇する。


 口では偉そうなことをいっておきながら、なんでぼくばかり割をくうのだ、と毒づいている。


 けれども大丈夫。

 

 大丈夫さ。


 内心はどんなに矮小で小汚いものであっても、それが表に出なければいいのだ。褒められたものじゃない偽善であっても、見かけだけは本物そっくりなのだ。


 「カズキさんはいい人だったんですよね? みんなに愛されるような人だったんですよね? 彼を待っている人はたくさんいるんですよね?」

 

 矢継ぎ早に質問して、けれどそれは返事を求めたものではなかった。


 記憶を思い出したわけじゃない。でも、自分が何をすべきかはわかった気がするんだ。


 「ぼくも協力します。カズキさんを無事に目覚めさせるために」


 まるで自分ではない人間がしゃべっているかのよう。思うまでもなく、意識するまでもなく、生まれたての仔馬がその瞬間に立ち上がろうとするような自然さだった。


 本当はすごく怖い。できることなら投げ出したかった。でもぼくの何かがそんなことを許さない。


 ミオはそんな心情を読み取ったのか、酷く苦しげな表情だった。彼女の気遣いは嬉しかった。同時に心苦しくも思った。どうやってもぼくは、人の好意を素直に受け取れない性質らしい。なんとも呆れることだ。


 「ありがとう。そうだ、ずっと迷ってたんだけど」


 そう前置きして、トオコさんはいう。


 「あなたのこと、どう呼べばいいのかな? カズキって呼ぶのはなんか違うと思うし……」


 いくらか親しみを感じる調子でいうものだから、ミオはいけないとばかりに「トオコさんっ、それは……!」と止めに入る。妹分のいいたいことが理解できていないのか、黒髪を揺らして彼女は不思議そうな顔をした。


 気苦労の多い少女だな、とぼくは思った。もちろんミオのことだ。人の心がわかりすぎるのも、ときとして困りものである。もっとひねくれていれば、多少はこの世界でも楽に生きていくことができただろうに。


 「特に不便はないですし、名前はいいですよ」


 努めて何でもなさそうにいったつもりだ。もうすぐ消えてなくなるんだから、ぼくには必要のないものなのだ。ミオはそこら辺を察してトオコさんを諌めようとしたのだろうが。余計な気遣いであると思う。ぼくの心を覗けるせいか、少し大げさ過ぎるほどの気のかけようだ。


 非情になりきれないのはいいことだと思う。世間一般に『平和』と称される時代に生きる少女なのだ。常人とは異なる世界を知っていたとしても、ぼくにはその方が好ましく思えた。


 「でも……」


 「ところで、いつにするんですか?」


 ピクニックに出かける予定日でも聞くように、彼女たちに問いかける。


 「え、いつって?」


 ぼくが消える日ですよ、といいかけてやめた。あまりにも無遠慮過ぎるからだ。これではまたトオコさんたちが気を悪くしてしまう。


 「カズキさんを呼び戻す日です」


 当たり障りないいい方に直すと、真剣な表情をしたトオコさんは「なるべく早い方がいいわ」と声のトーンを落として答えた。


 なるべく早く、か。


 ぼくを『化物』としか見られなかった当初ならば有無をいわさず実力行使できただろうが、現状ではそうもいかないだろう。彼女たちにとっては、あまり有利な状況だとはいえない。逆にぼくが渋れば、ある程度の引き伸ばしはできる。


 恐怖心と虚栄心とが一瞬斬り結んだ。


 だけど、ぼくはその決着を確認するまでもなく、声に出していた。


 「準備は必要なんですか?」


 「……特にはないです」


 そのときに術を行使するのはミオの役目らしい。なるほど、彼女ならば確実に成功させるだろう。


 「わたしはあくまで引き離しにかかりますが、重要なのは、あなたが自分から、その」


 少しうつむいて唇をかみしめながら、どの言葉を使えばいいのか逡巡したあと切り出した。


 「自分から出て行くのを望んでもらうことです」


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