第12話
『彼』と『ぼく』とが分離する。ぼくが歩んできた道を、彼は追体験してしまったのだろう、そう理解する。彼はカズキと名乗った。ぼくを処分するためにやってきたのだという。不思議ではない、と納得する。いまでは数を減らしてしまったようだが、昔からそういった仕事を専門にする人間は存在していた。現代になっても、非科学的な存在が生き残っていたのだと思うと、なんだかほっとした気持ちになった。
ぼくとカズキは向かい合うように闇の中に浮かんでいる。よく目を凝らすと、彼の姿は霞んでいるようだった。
「さすがに無傷とはいかなかったよ」
ぼくが溜め込んだ怨念と妖気は、彼の精神に致命的なダメージを与えていた。
また人を傷つけてしまった。どうしようもない後悔に支配される。孤独に狂い、誰かを呪わずにはいられなかった。だけど、こうして実際にそれが起こったとき、味わったのは途方も無い苦味だけだ。
ぼくはあのまま消えてなくなるべきだったのだ。それなら、誰も傷つけずに済んだはずなのに。
「そんなこというな。おまえは消えていいわけないだろ」
どうしてか、彼は真剣な表情でいいきった。
「いまだからわかる。おまえはずっと頑張ってきたんだ。辛くて、苦しくても、負けずにやってきたんじゃないか」
でも、人を傷つけてしまったんだ。それは、やってはいけないことだ。
確かにな、と彼は同意した。
「でもそれは、おまえの意思だったといえるのか? 孤独の果てに起こってしまった事故じゃないのか? ずっと苦しい思いをしてきたのに報われず、ひとりぼっちになって、誰かを傷つけてしまった。それを罪の一言で片付けていいのか?」
ぼくはうまく言葉を返すことができなかった。ただでさえ生まれて初めての会話だ。しかもカズキはぼくを慮ってくれていた。いままで誰にも気づいてもらえなかったぼくを見てくれている。ぼくの苦しみを理解してくれている。
彼はぼくが報われていない、といったけど、それは違う。
彼と出会った瞬間、彼に優しく声をかえてもらえた瞬間、ぼくの人生は報われていたのだ。
「でも、おまえを助けるなんてたいそうなこといったけど、この状況じゃ、おれにはどうしようもないな……」
苦り切った表情でカズキはそうもらした。
ぼくは考える。ここはぼくの精神世界といっていい。カズキは引きずりこまれた形でこの場所にいる。その上、ぼくに接触したせいで精神はダメージを負っているから、このまま身体に戻すのは危険だ。
ぼくが経験した数百年という時間は、人間には耐え切れない。『ぼく』という枠から彼が覗いた状態だったから、記憶の追体験を乗り切ることができたに過ぎない。
もし、精神状態が傷だらけのまま覚醒したら、その数百年ぶんの情報が一挙に襲いかかってくる。確実にカズキは廃人になってしまうだろう。
彼には時間が必要だ。少なくとも、完全に精神が治りきるまでは外に出ない方が無難だろう。
だが、そうなると問題が出てくる。どうやって彼をカバーするか、である。そのまま戻すわけにはいかないから、この状況ではぼくがどうにかする他ない。
カサブタの役割をぼくがするしかないだろう、とカズキに伝える。
「カサブタか。なるほどな。……でも、おまえを助けるっていっておいて、助けられるとは情けないな……」
声色から落ち込んだ様子が伝わってくる。
ぼくは続けた。カズキが傷を癒している間、ぼくが前面に出つつ、彼を治癒すること。その間はぼくの人格がカズキの身体を支配することになる。
得体の知れないものに身体を奪われるのは遠慮したいんじゃないか、と尋ねると、怒ったように彼は切り返してきた。
「あまり自分を卑下するなよ。おまえがそうしてくれなきゃ、おれも助からないんだ。感謝こそすれ、誰が嫌がったりするもんか」
そうだろ、と彼はぼくにいい聞かせる。それから真っ直ぐな表情で、にへら、と笑った。
まったく、彼には敵わない。つられてぼくも苦笑する。変な気分だ。状況は最悪といってもいいはずなのに、生まれてから一番楽しい時間だと断言できる。
ぼくも初めてのことだから、これから先どうなるかわからない。そう前置きする。彼は覚悟している、とばかりに力強くうなづいた。その様子はぼくを勇気づけてくれる。彼が一緒ならどうにかなりそうな気がした。
少し前には消え去る運命しかなかったのに。
不思議な人だ、と思う。
「安心しろよ。目覚めてからは、きっとおれの仲間が助けてくれる。トオコは恋人なんだけどな、これがまた美人なんだ」
それから、と。
「妹もなんだか気難しい年頃なのか、つっけんどんだけど悪いヤツじゃない。むしろおれより頼りになるだろうさ」
その表情からは、信頼感がうかがわれた。その他にも、エイジという親友も頼るといい、とアドバイスされる。
「みんないいヤツだ。おまえによくしてくれるよ。おれが回復するまで、身体は好きに使ってくれて構わない」
それから、と彼は照れたように頬をかいた。
「おれだけじゃない。おまえも一緒に助かる方法を探そうぜ。おれたちだけじゃ思いつかなくても、みんなで考えればきっと大丈夫さ」
うん、と満ち足りた表情で追従する。ぼくは人生でようやく、友達を得た気がしていた。彼は裏表の少ない人物だ。こうして精神世界で話しているからよくわかる。ぼくを一個人として扱ってくれている。名前もない、得体の知れないぼくに、優しくしてくれている。
ねえ、と彼に語りかける。無事にカズキも傷が癒えて、トオコさんやミオさん、エイジさんがぼくの友達になってくれて。カズキもぼくも一緒にいられる未来が訪れたのなら。
―――――いままで、何かを心から望むことはなかった。
それが無駄だと理解していたからだ。だけど、もし。もしもカズキがいうような、素晴らしい未来が得られたのだとしたら。
『ぼくに、名前をつけてほしいんだ』
彼は驚いた顔をして、それから何かに耐えるように沈黙する。だけど次の瞬間には穏やかな微笑を浮かべていた。
「まかせろ。おれが、いや、違うな」
ううむ、と芝居かかった様子で、
「トオコとミオ、エイジ。みんなでおまえの名前をつけてやる。覚悟しとけよ? かっけー名前をつけてやる」
そうしてぼくらは闇を払って、外を目指す。
カズキと一緒なら、なんだって出来る気がした。外と触れ合うのは初めてだけど、不思議と恐れは感じなかった。
これが、ぼくの始まりだった。