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第11話

 カズキは己の不手際を呪った。


 依頼人から聞かされていた情報に偽りはなかったものの、いざ現場について見たものは予想よりも強い妖力を宿した代物だった。しかしながら、手に負えないほどでもない。そう判断したのが運の尽きだった。


 彼は慢心していたのかもしれない。仕事を始めてある程度実績もつき、トオコというパートナーをもつに至った。彼自身、自分の能力に信頼を置いていたし、そこら辺の魑魅魍魎には遅れを取らないと自負していた。


 それがこのザマである。


 一瞬にして身体を乗っ取られたあげく、精神は深いダメージを負ってしまっていた。トオコが顔面蒼白で呼びかける声は聞こえるし見えているのだが、指先ひとつ動かせない。それどころか、まるで幽体離脱してしまったかのように、倒れている自分を見下ろしていた。


 カズキは自身に起こった現象をいまいち理解できないでいた。精神系術法に通じる妹なら、何かしら答えを授けてくれるかもしれない。だが、この場にはその妹は居合わせていない。トオコでは荷が重い状況である。自分のミスのせいで、彼女に迷惑をかえているのだと思うと、カズキは己をぶん殴ってやりたくなった。


 「……?」


 ふと気づくと、目の前にヒトガタが現れていた。いや、よく目を凝らすとそれはさらに丸みを帯びて、彼のひざ下くらいの背格好になった。


 ―――――それは、地蔵だった。


 灰色の表面はどこか冷たい感想を抱かせる。淡く微笑んでいるはずの表情も、カズキの目には到底その通りには見えなかった。むしろこいつは悲しんでいるのだ、と思った。


 これがあのヒトガタの正体だったのだ。しかしどうしたことだろうか、とカズキは目の前の地蔵とヒトガタを比べて思う。両者はまったくの別物といっていい。そもそも材質からして異なる。地蔵はもちろん石造りだが、カズキが接触したヒトガタは木彫りだ。どういった経緯で姿形を変えたのだろうか。


 もしかしたら、それが重要なことなのかもしれない。そう思ったのが引き金になった。地蔵に強く意識を傾けた瞬間、カズキの意識は途方も無い引力に飲み込まれていく。抵抗する間もなかった。坂の上から転げ落ちるように揉みくちゃになったカズキは、そのとき、精神を『それ』に同調させられていた。

 

 ―――――カズキは『ぼく』となって、このどうしようもない世界に生まれ落ちていた。

 

 ぼくがこの世に生まれたとき、世界には戦乱が満ちていた。朝廷は南朝方と北朝方に別れて、血で血を争う泥沼の戦いを続けていた。本来ならば戦とは無関係のはずの民草まで被害が及ぶのが戦の常である。略奪や殺人が頻発し、無法が人々を支配していた。


 そんな世情の中で、人々の恨みや辛みを肩代わりするために創りだされたのがぼくだった。寺の住職によって造られた身代わり地蔵であるぼくは、人々の悪意を一身に受ける存在として生まれ落ちた。


 不幸だったのは、ぼくのその身に分不相応な霊格を備えていたことだ。そのために、ぼくには明確な意識があった。だけどそれを外に示す手段はもっていなかった。だから、人々の話すことは理解できても応答することは一切できなかった。


 そして、最大の不幸が、感情や感覚をもっていたことだ。


 身代わり地蔵であるぼくは、人々の悪意や病気、怪我を癒す。その代わりに、本来人々が受けるはずだった悪意や痛みをぼくが受けることになる。これは一種の儀式だったのだ。奇跡は対価なしでは起こり得ない。癒しの代償として、ぼくは苦痛をその身に受け続けることになった。


 身代わりの効果は本物だった。


 ―――――あるうらぶれた村には、病気を癒してくれるお地蔵様がいる。


 世に病気や怪我が絶えることのない乱世だ、ぼくの噂は広く伝わった。毎日多くの人々が訪れ、ぼくを拝んでは苦痛を与えていった。病気はその患部を触ることによって、怪我は同じ部位を傷つけることによって癒しはもたらされた。


 ひとり怪我人を癒すたびに、ぼくは傷ついていった。


 ひとり病人を癒すたびに、ぼくはその苦痛を味わった。


 叫び声をあげる口がなかったから、常に苛まれる痛みに耐えるしかなかった。ぼくは悪意さえも癒すことができたから、その人の恨みや憎しみを追体験することになった。常人ならとっくに狂い死にしているはずなのに、ぼくは自分の義務を放棄することを許されなかった。


 人々を救うのだ、という崇高な想いは、僅か一ヶ月で様変わりした。自分が生まれたことを恨んだ。苦しみを伝えることができない身体を恨んだ。どんなに苦しくても辛くても、口に出すことはできなかった。誰もぼくの苦境をわかってくれる人は現れなかった。誰もがぼくを拝み、感謝し、傷つけていった。


 なぜこんな目に合うんだ、と泣き言をいわない日はなかった。毎日のように、ぼくは虚ろな目を救われたいとやって来る人々に向ける。誰も気づく人はいない。


 そうして、数百年とたち、ぼくは未だに片田舎で人々の身代わりを続けていた。


 生みの親はとっくに入滅し、彼の子孫は細々と寺を維持していた。


 ぼくはこれ以上有名になる様子はなかった。力は本物なのだが、癒しを受けた人々が誇張していいふらすものだから、かえって胡散臭いと思われたようだ。ぼくにはそれがありがたかった。これ以上大量に来られても、身がもたない。


 長い時を悪意にさらされ続けたのだが、しぶとくぼくは存在している。傷つけられ、これ以上破壊する場所がない、とまでなったときは、また新しい身体が与えられた。ボロボロになり、これでやっと報われる、と思った矢先に新しい身体で目覚めたときは、一日中泣き喚いた。


 本来なら妖怪化してもおかしくはない状況であるのに、ぼくはなお、地蔵として人々を癒している。


 自分が善なる存在だと思ったことはない。無邪気にぼくを傷つける人々を恨んでいたし、自分から彼らが癒されてほしいと思ったことはなかった。できることなら役割を変わってほしい。できることなら全てを終わらせてほしい。


 人々はぼくを傷つける存在でしかない。


 そうであったなら、迷うことなく暗い闇の底に転げ落ちていけたかもしれないのに。


 ありがとう、とお供え物を備えてく老人。


 ありがとう、と汚れた身体を水で流してくれる中年の女性。


 ありがとう、と舌足らずに純粋な感謝を向けてくる男の子。


 彼らはいずれも、ぼくに苦痛をもたらした存在だった。それは腰の痛みだったり、足の捻挫だったり、風邪だったりした。ぼくにとっては敵ともいえる人々だ。


 それなのに、彼らは心から感謝を述べるのだ。


 ぼくは恨む対象をなくしていた。憎みながらも、彼らを愛おしく思わずにはいられなかった。これは存在したときから育んできた呪いともいえるものだった。愛情と憎悪がぐるぐると渦になってぼくの中をかき乱していた。気持ちのいいものではなかった。息苦しさを感じさせる類のものだった。


 そして、悪くはない、と思える類のものだった。


 それからも、ぼくの人生は続いていた。訪れる人が少なくなったあとも、愛情と憎悪を人々に感じながら義務を果たし続けていた。それだけが自分に残されたものだった。他には何ひとつもち得てはいない。


 戦乱は続き、多くの人は死んでいった。


 ぼくは彼らを悼み、そして羨んだ。人として死ねる彼らを羨望した。一切口には出さずに、それでも想いは心中を駆け巡っていた。


 やがて、世界は科学を受け入れる時代を迎える。


 ぼくの役割はついに終わろうとしていた。訪れる人はまったくいなくなり、寺社も忘れ去られたように朽ちていく一方だった。ぼくの何度目かの身体は、もはや地蔵としての格好を成していない。おぼろげに人型だとわかるだけだ。


 寺社の片隅に打ち捨てられたぼくは、久しく感じていない人々の悪意や苦しみ、感謝や尊敬に焦がれていた。かつてはあれほど煩わしいと思っていたものだったのに。

 

 ぼくはひとりぼっちだった。


 何もなく、何も起こらないのは最大の恐怖だった。


 意識は眠ることなく、幾星霜、ぼくは誰からも気づいてもらえず、存在していることすら認識してもらえていない。


 ああ、これが絶望なのだ。


 傷つけられ、悪意を向けられても、犯されることのなかった『ぼく』が、絶望に食い殺されようとしている。孤独という猛毒に耐え切れず、人々を心の底から憎悪しようとしている。


 ―――――ぼくは、こんなにも頑張ったのに、なぜ報われないのだ。


 負の想いは妖気となし、あれほど待ち焦がれた人との出会いを台無しにした。自分で自分を抑えきることができなくなっていた。寺社の取り壊しにきた作業員に怪我を負わせてしまったのだ。それは偶然に近いものだったけど、人を傷つけたのは間違いなかった。


 ぼくの存在意義は、人を救うことだったのに。


 もうお終いだ、とそのとき理解した。自ら存在意義を破ってしまった。これほどまでに長い間、守り続けたものだったのに。本当はどうでもいいことだったけど、これだけは誇れるものだったのに。

 

 自壊していく。 


 内側から腐敗していく。見た目はそのままに、いつだってそのままだったぼくは、傍目には気付かれずに死んでいく。


 そんなとき、彼に出会ったのだ。


 『―――――なら、助けてやるよ』


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