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第10話

 初日に見たような光景だ、とぼくは思った。両親をはじめとして、見覚えのある面々が一堂に会している。


 ぼくは短い間お世話になった病室をあとにして、特別に広い部屋に移されていた。おかげで窮屈感はないものの、普通の病室の3倍はあろうかという中に、ぽつんと据え置かれているベッドに違和感を感じてならない。


 相変わらず普段着と化した寝間着をまとったぼくは、手持ち無沙汰にそのときをまっている。


 昨夜は当然のように眠れなかった。照明が落ちた病室で、膝を抱えながらぼくは一夜を明かした。まるで刑の執行を待つ死刑囚のような気分だった。


 まったく寝ていないというのに、目は冴えて精神も高ぶっている。身体は落ち着きなく揺れているし、緊張のせいか喉がかわいて仕方がない。


 視点はなるべく一点を見るように心がけている。


 太陽は早くも沈み、あたりには夜の気配が漂ってきていた。影法師を眺めるのに飽きたぼくは、さっきまでなるべく耳に入れないようにしていた音も受け入れることにする。

 

 トオコの声。ミオの声。先生の声に親父とお袋の声。エイジの声に自分の声。


 聞きなれたはずの声だというのに、話し合っている内容はぼくを消すための算段だ。あの中の誰かが、ぼくを消すのに反対してくれないだろうか。消すのはあまりにも酷いから、と助けてはくれないだろうか。


 怖いよ、怖いよ、と心はまるで意気地がない。熱を失っているような感覚。ぼくが努めているのは、恐怖心を顔に出さないこと。彼らに怯えを悟らせないこと。


 特に、ミオには躊躇させてはならないのだ。


 内心はすでにお見通しだろう。だけどぼくの意を汲みとってくれているに違いない彼女に、これ以上負担をかけるわけにはいかない。


 時刻はすでに逢魔ヶ刻。


 人と魔が出会う刻限だ。


 ぼくは身体をいわれていたようにベッドに投げ出す。この術法において、ぼくが行うことはたったひとつ。


 自らの消滅を願うことだ。


 なんとも無茶なことを要求してくれるものだ、と思う。あいにく、ぼくは死にたいとは思っていない。残念なことに、まだ生きていたいと思っている。


 彼らは一様にぼくを見据え、『得体の知れないもの』が消えるのはまだかまだか、と待ち望んでいる。もっとも、トオコやミオは、多少の罪悪感を感じてくれていると思う。そうであって欲しい、と思う。


 「では、初めます……」


 小さな手を合わせ、凛とした声で彼女は宣言する。肉眼では捉えられない、不可思議な力が発せられる。ぼくは投げ出された手足を緊張で硬直させ、向けられる得体の知れないものに絡め取られた。


 怖い。


 とても怖い。


 なぜぼくがこんな目にあわなきゃならないんだ、と誰かを呪う。嫌な汗は止めどなく流れてくる。不快な感覚はじりじりと精神を焦がす。


 ちくしょう。最悪だ。ぼくの人生は最悪だ。


 これほど意味のない生が他に存在するだろうか。ぼくは消されるために生まれてきたようなものではないか。理不尽な目にあうためだけに、この世に生まれ落ちたようなものではないか。


 ああ、誰か助けてください。


 ぼくを救ってください。


 「……さあ、」


 けれど、人を恨む気持ちは。誰かを呪う気持ちは。この少女の悲しい瞳を見たことで抑えこまれていった。


 トオコはやり切れない眼差しを向けてくれている。ミオは我が事のように身を引き裂かれる思いをしている。


 ぼくは、彼女たちには哀れまれたくないと思っていた。


 ぼくを消そうとしている人たちに同情などされたくないと思っていた。


 だけど、だけど、さ。


 ぼくはどうしようもなく、彼女たちに惜しまれるのが嬉しいと感じてしまっているのだ。


 「さあ、―――――化物よ」


 ありがとう。ぼくの意を汲んでくれてありがとう。ぼくは消えなければならない。それはきっと、自分だけでは成し得ないことなんだ。だから、ミオに辛い役割を押し付けてしまっている。


 化物よ。


 名前のない化け物よ。


 ぼくは思う。ぼくが消え去ったあとで、兄や恋人を取り戻して笑顔を見せる彼女たちのことを思う。恐怖と絶望とを捻り潰して、ただ許されざる自分のことを憎む。


 怖いよ。とても怖い。


 「消えなさい」


 消えろ。


 「消えなさい」


 消えるんだ。


 「消えなさい!」


 さあ、いまこそ誰かのためにぼくの命を捨てるんだ。


 何事にも代えがたい、大切なものが抜け落ちる感覚。直感的に、これが死だと理解した。術法は正しく発動して、ぼくを完全に消し去るだろう。一瞬ごとにこぼれ落ちていく。自分自身がぐずぐずになっていく。なのに感覚は鋭敏になっていく。これが生地獄か。時間は引き伸ばされ、消滅の瞬間は途方も無く続いていく。自分の叫び声すら置き去りにして、消失の苦痛は精神を犯す。


 何もかもが焼き尽くされる。


 誰かの哀れみと、誰かの憐憫も灰になっていく。


 もはや少しの記憶すら失って、それでも、ぼくは幸福を願った。


 自分を化物と呼んだ人々の幸福を。


 自分を殺した人々の幸福を。


 自分を消し去った人々の幸福を。


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