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ハーレム一人目②

「たっだいまー」


 がちゃがちゃと鍵を開ける音の後、ドアが開いて姉の由梨絵が顔を出した。

 居間でテレビを見ていた昴はスーツ姿の姉を一瞥したが、愛想よく言葉を返すことはしない。姉も昴の性格は把握しきっているのか、特に何も言ってこない。

 由梨絵はうつむきがちな柚季の手を握っていた。

 いつも同じ、決められた時間。夕刻に差し掛かる少し前に柚季は姉に連れられて帰ってくる。

 灰色の雲が厚く空一面を覆っている本日も、変わらず同じ。柚季は幼稚園の黄色い帽子の下に顔を隠すようにして、靴をもそもそと脱いでいた。平日の見慣れた動作。柚季は決して昴に声をかけない。昴も柚季に何を言っていいのかわからない。

 由梨絵が玄関で腰を屈め、柚季と目線の高さを同じにしている。昴はその様子を見て、すぐに視線を逸らした。


「じゃあ仕事に戻るから、柚季はおじちゃんと遊んで待っててね」


「おじちゃん言うな。俺はまだ高校二年生だ」


 特に興味のないワイドショーに目を向けたままで、突っ込みを入れる。


「高校にも行ってないニートが何を偉そうに」


 由梨絵の辛らつな言葉に、昴は眼鏡越しに睨みをきかす。由梨絵は昴同様の鋭い眼の持ち主であるから、睨みあうと結局昴が先に折れる。昴も姉だけには敵わないのだ。


「働いて生活費は入れてるだろ。だからニートとは言えないね」


 負け犬の遠吠え状態で、弱弱しく反論するしかない。


「高校に行くのか、それともやめて働くのか、いつまでもウダウダしてないでそこらへんをはっきりさせなさいよ。いつまでもうちで引き取るわけにもいかないんだから」


「……わかってるよ」


「柚季のこと、頼んだからね。きちんと面倒見てなかったら、即刻追い出す」


「はいはい」


 適当な返事をして、手をひらひら振っておく。

 嘆息しているのが聞こえてきて、ちらりと目線を遣ると由梨絵は柚季をぎゅうぎゅう抱き締めていた。

 一通りハグしつくした後でようやく出て行く。

 柚季は普通の子供なのだ。そして由梨絵も普通の母親だ。昴はその光景を見る度に普通じゃない自分を思い知らされて、胸がギュッと締め付けられる。だから直視ができなかった。

 ドアが閉まった音。柚季は名残惜しそうに、玄関の方を見たままだ。

 なんだかんだで由梨絵は面倒見がいいのだ。年の離れた昴のことを、幼い頃からずっと面倒を見てくれていたのも由梨絵だ。その点からも昴は姉には頭が上がらない。こうして今居候させてくれているのだって、由梨絵の好意に甘えてのことだ。結婚して出て行った姉にとって、もう佐藤家の問題は関係ないというのに、言葉はキツイけれど昴のことを心配してくれている。共働きでギリギリの生活をしている家庭に高校生一人抱える余裕なんて、本当はないだろうに。

 その姉の子供なのだから、やはり仲良くせねばいけない。とは思うのだ。

 洗面所で手洗いを済ませた柚季が、居間へと入ってくる。帽子は取っていた。トレードマークの触覚が揺れている。

 昴は寝転んでいた身を起こし、改めてじっくりと柚季へと目を向けた。父親似なのだろう、姉には似ていないどんぐり眼だ。昴の視線から逃げるようにして、部屋のすみっこに膝をたてて座る。

 隠れるようにして絵本を読み出した。昴が部屋にこもっている時間帯は、父親や母親とはしゃいでいる柚季の声が聞こえてきたりする。しかし昴との時間を過ごす柚季はどこまでも陰気だ。

 今日の天気のような、重たい雰囲気が部屋の中を支配している。


「おい」


 今日こそは少しでも重い空気を緩和させてみようと、昴は思い切って柚季に声をかけてみた。

 柚季がびくり、と顔を上げる。

 ぐりぐりの瞳が昴を見つめてくる。自分の姪ながら、将来が楽しみな可愛らしい女の子だと思う。


「何読んでるんだよ?」


 うわずった声で訊ねながら、腰をあげて近付いて行った。

 柚季の表情がわかりやすく強張った。


「なにも、よんでないの」


「読んでないって、本見てるだろ?」


 柚季が無言でぶんぶんと首を振る。こっちに来ないで。幼い瞳が訴えている。

 それでも距離を縮めなければという思いが先立ち、昴は更に一歩近付く。


「その絵本、俺が読んで――」


 読んでやろうか、と言おうとした言葉は止まってしまう。

 柚季が投げつけてきた本が、身体にあたったからだ。小さな女の子が投げつけてくる力なんて、大したものじゃない。胸元にあたった本は、ぱさり、と床に落ちていく。

 それでも、昴の表情はやはり険しくなってしまう。

 完全に、拒絶されている。

 そのことが、どうしようもなく昴の心を追い詰める。

 柚季の方は思わずやってしまった行為に、おびえた瞳が揺れていた。怒られるとでも思ったのか、眉を下げて小さな身体を更に縮こませている。


「そんなに俺が嫌いかよ」


 柚季は唇を噛み、応えない。


「そんなに嫌いだったら、出てってやるよ。お前も俺も結局一人ぼっちが性に合ってるんだ。一人で留守番してろ」


 冷たく言い放つ。

 柚季の瞳から、ぼろり、と涙がこぼれ落ちていった。



***



 何もかもがうまくいかない。

 行くあてもなく滅茶苦茶に原付を走らせ、舌打ちばかりが出た。湿気を帯びた空気がまとわりついてきて、原付に乗っていることすらうんざりする。

 お気に入りのグラビア雑誌を買おうと思い立ち、目に入った小さな本屋に入っていく。

 近所に位置しているが、入ったこともない本屋の中で意外な人物と鉢合わせた。


「きゃああ! 出た!」


 雑誌コーナーにたどりついた昴に向けて、悲鳴がぶつかってきた。

 ここではまだ何もしてないぞ。昴は沈痛な面持ちで、悲鳴を上げてきた人物を見る。

 長い三つ編みと貧相ながっかり体型に見覚えがある。数日前にも目にしていた。


「ああ、どうも副委員長さん」


 昴が声をかけると、副委員長の宮代翔子は分厚い眼鏡をちゃきちゃきと何度もかけなおしている。よっぽど動揺させてしまったらしい。


「こ、こここ、こんにちは佐藤君」


 それでも怯えた声で一生懸命な挨拶が返ってきた。

 雑誌コーナーの前に立つと、自然に翔子の横に並ぶかたちになってしまう。

 翔子がわかりやすく一定の距離を開けた。数日前の昴の言葉は、かなり効力があったようだ。翔子はもう昴に寄りつく気は一切ない様子だった。少しガッカリしなかったこともない。

 翔子は胸に雑誌を抱えていた。女子高生が好みそうなファッション雑誌だった。表紙には昴の好みではないモデルの女の子がポーズを取っている。


「へぇ。副委員長さん、そんな雑誌読むんだ。意外だな」


 他意はなく、言ってみたのだが。

 翔子の顔が真っ赤に染まっていく。ふるふると震えていた。


「悪いですか?」


「あ、いや別に悪いっていうか……」


「私がこういう雑誌読むのは変だって言いたいんですか!」


 しまった。どうやら、地雷を踏んでしまったらしい。感情的になっている翔子を前にして、昴は落ち着きなく視線を泳がす。

 今日はとことんダメな日だ。毎日ダメな日が続いている気もする。

 しかし翔子の噴火は、すぐにおさまった。

 怒らせていた肩もがっくりと落ち、雑誌を元の場所に戻している。ホッと胸を撫で下ろした。


「いいんです。わかってるんです。私だってこんな雑誌、本当は全く興味なんてないんですから気にしないでください」


 そう言っている割に、翔子は名残惜しそうに雑誌をチラチラ盗み見ている気がする。


「佐藤君は何を買いに?」


「グラビア雑誌」


 即答すると、翔子の口元が引き攣った。


「そ、そうですか……」


 昴は視線を雑誌コーナーへと向け、グラビアアイドルてんこもりのまさにハーレムへと気持ちをダイブさせる。現実なんてもう興味ない。アイドルの笑顔に埋もれて夢の世界へようこそだ。

 自然と不気味な笑みが浮かんだ。

 立ち去る機会を逃してしまった翔子が、隣でひぃっと悲鳴を漏らした。何か見てはいけないものを見てしまったようだ。

 お気に入りのグラビアアイドルが特集されている雑誌を見つけて、ほくほくしながらそれを手に取る。


「あ、その女の子って」


 翔子が雑誌の表紙をのぞき見て、眼鏡をかけ直しながら確認している。


「なんだ副委員長、ファッション雑誌に続いてグラビアアイドルにも興味があるのか」


「ファッション雑誌には決して興味はないです! さっきのことは忘れてください! ……じゃなくて、その女の子、うちの学校の子ですよね」


「……は?」


 何言ってるんだこの眼鏡かぶってるキャラは。

 昴は怪訝な表情で翔子を見遣る。

 翔子が青ざめて後ずさる。


「何か悪いこと言いましたか!? 私もその子のことは全く知らないんですけど、今年の新入生の注目株の一人ってみんな言って――ひぃいぃいこっちに来ないでくださいいぃ!」


 後ずさる翔子に構わず、昴は翔子へとずんずん迫り、その両肩をがっしり掴んだ。

 至近距離で翔子を見下ろす。顔は青ざめ、眼鏡の奥のキレイな瞳が可哀相なくらい潤んでいた。


「それは、本当の話か?」


「な、何がでしょう!? お金は持っていません今月のお小遣いは全て服やアクセサリー代に消えてしまったんですぅ! なにとぞご勘弁を! 堪忍してくださいぃ」


「カツアゲしてるわけじゃない。このグラビアアイドル、鳥居(とりい)美園(みその)は同じ学校だったのか!? って聞いてるんだよ!」


 雑誌をつきつけて、表紙をばんばん叩いて昴は言い放つ。

 笑顔のアイドルはばんばん叩かれても笑顔のままだ。


「は、はいそうです。そういえば佐藤君は新一年生の入学式の日から、学校に来なくなったから知らなかったんですね。みんな大騒ぎだったんですよ。何せ有名なアイドルがうちの高校に入学してきたんですから。元々地元だったみたいですけど、雑誌とかに出るようになったのは最近みたいですね。まぁアイドルですから、学校は休みがちですけど……すごい騒ぎになってたのに、誰からも聞かなかったんですか?」


「俺には友達がいないから誰からも聞いてないな。ねちねちと反撃しているのかそうかそうか」


「違います! 決して佐藤君に友達がいないことを責めているんじゃありませんよ!?」


 いっぱいいっぱいな翔子の言葉は、胸に容赦なくグサグサとくる。

 昴はがっくりと頭を項垂れた。

 しかし、今日初めての明るい話題も耳にした。気分が浮き立った部分の方が大きい。

 現実に、光が差してきたかもしれない。

 まさか鳥居美園が、同じ学校の生徒だったなんて。わざわざペラペラの紙に印刷された鳥居美園を購入せずとも、学校に行けば、鳥居美園に会えるんじゃないか。天使の笑顔が昴を現実世界へと呼んでいた。

 そこまで考えて、しかしすぐに気持ちが沈みこんだ。

 ……学校には、行きたくない。

 翔子の前で気分を浮き沈みさせていた昴だったが、表情はほとんど変わらず険しいままだ。

 それでも察する部分があったのか、翔子が昴を見上げてきた。


「佐藤君が、新入生の入学式の日に何をしたのかは私も見てました。見てたから、だから、佐藤君に学校に来てほしいんです」


 あの日言った言葉を、翔子がもう一度紡いでくる。

 誠実で、真っ直ぐで、嘘偽りない言葉だと感じる。翔子の真面目な雰囲気が、余計にそう感じさせた。


「だって佐藤君は何も悪くないんです。ただ少し雰囲気が怖いのと、不器用なだけで」


「……」


「学校に来れば、鳥居さんにも会えますよ……?」


 魅力的な提案だ。思わず頷いてしまいそうなほど。

 翔子の気持ちは嬉しくもあった。そんな風に言ってくれる人は、昴の周囲にはいないのだ。

 けど、昴は頷けない。ぐっと拳を握り締めた。

 そんなに簡単じゃないんだ。

 気持ちは、言葉に出来ない。

 結局なんの言葉も出てこない役立たずな口をきゅっと結び、昴は翔子から背を向ける。現実からも目を背ける。


「佐藤君、あの、」


「帰る」


「……そうですか」


 昴は振り返らなかった。

 翔子の声が寂しそうに聞こえたのは、気のせいだったのだろうか。



***



 ――雨が降り出したので急いで帰宅したら、柚季がいなくなっていた。

 胸がざわつく。

 昴は顔を強張らせて、いつも以上に眉間に皺を寄せて、柚季の姿を捜す。

 どこにもいない。居間にも、台所にも、寝室にも、昴が使っている部屋にも、押入れもゴミ箱も全てすみずみまで探し尽くした。

 後悔が胸に押し寄せた。心臓が締め付けられる。

 柚季を一人にしてしまったこと。ひどい言葉を投げつけたこと。

 幼い女の子を泣かせてしまったこと。


「俺は最低だ……!」


 昴は外へと飛び出す。

 どうしたらいい、と視線を巡らすと、隣の家のドアが開いていることに気付いた。

 誘いこむように、わずかに。

 ドアに近付いてみると、玄関に見覚えのある靴が置いてあった。小さな靴。柚季が今日履いていた靴だ。

 喉がごくり、と鳴った。

 昴は意を決し、隣の住居へと踏み込んでいく。

 本降りになりだした雨の音が、世界を支配している。

 ――そして。

 水色髪の女の子が居間の大きな窓にもたれかかって、座っていた。

 その瞳は一点に雨を見ている。まだ昴の侵入に気付いた様子はない。

 水色少女の足元には、柚季が縛られて、転がされていた。





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