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ハーレム一人目①

 ぽかぽかとした午後の陽射しが窓から差し込む、六畳の和室。

 万年床となっているぺったんこの布団の上にパジャマのままで寝転がり、佐藤昴は眼鏡の奥に見える瞳を、限りなく細く眇めていた。眼差しだけで人を殺せそうな、殺意すらこもっていそうな目線の先には、水着の女の子が笑顔で艶やかなポーズを取っている。

 仰向けになって、眼鏡を光らせ、真剣な眼差し。顔だけ見ればシリアスな修羅場にでもいるような状態だ。

 はたしてどの角度から見れば、水着の中身が見えるのであろうか。

 頭の中は、そんな状態だった。

 お気に入りのグラビアアイドルを縦にしたり横にしたり斜めにしたりして、なんとか小さな布切れに包まれた先にある秘境にたどりつこうとしている。胸は豊満なのに、顔は幼い美少女。昴の好みドストライクな彼女は、こんな自分にも天使の笑顔を向けてくれる素晴らしい女の子だ。

 そうして昴にとっての有意義な時間を過ごしていると、焦がすような熱い視線を感じた。

 プライベートを守る為にピッチリと閉めていたはずの襖に、気付けば隙間が出来ている。

 隙間に目を向ける。

 大きなどんぐり眼が、自分をひたすらに純粋に観察していた。この世の穢れをまだ一切知らないであろう、透明かつ深みのある瞳だ。

 グラビアアイドルに萌えてしまってごめんなさい、と謝らなければいけない気分に陥りながら、グラビア雑誌を布団の上におろした。お気に入りのグラビアアイドルのページが開いたままになっている。天使な笑顔が全然違う方を見ている。

 そして今自分を見つめている丸い瞳の持ち主は――国生(こくしょう)柚季(ゆずき)だ。


「なんだよ?」


 昴は身体を起こし、柚季に向けて低く問いかける。

 と、幼い少女は昴のきつい視線に臆したように、顔を横に向けた。

 頭頂部で二つの触角のように縛ってもらっている髪の毛が揺れた。


「……すばるに、おきゃくさまなの」


 少女の口は重い。昴に向けてうまく言葉を紡げず、どこか違う方向へと呟いている。

 自然にため息が漏れた。

 昴には、わかっている。

 自分を見つめていた少女、柚季がとてつもなく自分を怖がっているということ。わかってはいるけれど、どう接していいのかなんてことは、わからないのだ。同世代ですらうまくコミュニケーションが取れない自分が、五歳の幼女といい関係なんて築けるわけない。同居を始めて一ヶ月あまりになるが、彼女の名前すら呼んだことがない。

 柚季は幼稚園の制服姿のままだった。視線を泳がして立ち尽くしている。


「俺に客だったら早く言えよ」


 昴の口から繰り出される言葉は、結局厳しいものだった。

 柚季がパタパタと小さな足音をたてて逃げていった。罪悪感に苛まれるのはいつものことだ。

 昴はぼさぼさに乱れた後頭部をかきながら、立ち上がった。はだけたままのパジャマだったが、わざわざ着替えるのも面倒だった。バイトの時間まではまだ時間がある。

 欠伸をかましつつ、狭い居間を通り過ぎて、玄関前の廊下に出る。柚季の姿は見えない。狭いアパートの住居の中、隠れられる場所なんて限定されているというのに、柚季はよく行方不明になった。きっと昴と一緒の空間に、息苦しさを感じているのだろう。

 どうせ怖がらせるだけなので柚季の姿を捜すのはやめて、玄関の前に立った。

 そういえば自分に訪問客なんて、どういった珍事だろうか。

 昴は簡素なドアノブに手をかけながら、頭の片隅で考える。

 友達だって恋人だって親しいなんて呼べる相手は、誰一人としていやしないのに。

 どうせセールスか何かだろう。

 と、軽い気持ちでドアを開け放った。


「あ、や、……こんにちは、さ、佐藤君!」


 セールスにしては若すぎた。そして見覚えのある制服を着ていた。

 昴は眉間の皺を深くし、制服の女の子を無言で見つめる。

 女の子は分厚い眼鏡に隠された表情までは窺えないが、既に真っ青になっていたし、震えて直立不動になっていた。

 きつくひっつめて横にたらした、長い三つ編み。黒縁の分厚い眼鏡。凹凸があまりないやせ細った残念な体型。全く着こなせていない野暮ったいブレザー制服。彼女自身に見覚えがあることに、ようやく気付く。おもに体型を見てから気付いた。


「ああ、アンタ確か同じクラスの……副委員長か」


 息を吐きながらのついでに漏らした言葉に、女の子がびくりと大きく反応する。

 進級してすぐのクラス委員長決めの際、推薦という名ばかりの貧乏クジを引かされていた地味な女の子だった。見た目から真面目真面目しているので、面倒ごとを押し付けられやすいタイプだ。


「は、はい! 宮代(みやしろ)翔子(しょうこ)って言います。今日はあの、佐藤君にたまったプリントを渡しに……」


 昴のクラスの副委員長、翔子はおずおずと持っていた紙袋を差し出してきた。受け取って紙袋の中をのぞくと、大量のプリント類が入っていた。推薦したクラスメイトの判断は正しかったのか、翔子はやはり真面目な人物らしい。煩わしい雑事をきっちりこなそうとしている。


「こんなものわざわざ持ってこなくてもいいのに。アンタも大変だな」


「い、いえいえ! 持ってくるのが遅くなってしまってごめんなさい! まさか佐藤君が引越してるなんて思わなくてですね」


 紙袋を見下ろしていた昴の指先が、ぴくり、と反応を示す。


「ここって佐藤君のお姉さんのおうちなんですよね。一ヶ月前からここにいるって聞いて、来たんです。こっちの方が私の家からはすごく近いので、助かりました。あ、そうそう、それにこの家の隣に――」


「誰に聞いたんだよ?」


 昴は顔を上げて、翔子を睨んでいた。

 普段から怒っているような表情の昴が睨みをきかせると、相手は泣いて許しを請う程のレベルにまで達する。

 翔子も言葉を止め、凍り付いてしまっていた。


「俺がここにいること、誰に聞いた?」


 その翔子に向かって、容赦なく問いかける。


「あ、あ、あの……佐藤君の、お母さんに、です」


 消え入る寸前の声で、言ってきた。

 少し考えてみればわかることだった。不登校の息子に対して母親は放置を決め込んでいるけれど、クラスの副委員長がわざわざ足を運んでくれば、それなりの対応はするのだろう。露骨に顔が歪む。


「もう用はないだろ。さっさと帰れ」


 言って、開け放ったままだったドアノブに手をかける。

 固まったままの副委員長が至近距離になる。

 髪の毛からシャンプーの甘い香りがし、髪の毛の隙間からわずかに首元がのぞけた。なんで女の子はこんなにいい匂いがするのだろうか、なんてどうでもいいことに思考がとらわれた。


「あの! 佐藤君!」


 せいいっぱいの勇気を振り絞った、といった雰囲気の翔子が顔を上げて、近くで昴を見つめてきた。あまりの近さに鼓動がドキリと跳ねた。翔子の眼鏡の奥の瞳まで、はっきりと見えた。きれいな形の瞳だった。想像の範囲内だけれど、おそらく眼鏡を外せば美人の部類だ。


「がっ、学校に、来て、くれないですか……!?」


「アンタに関係ないだろ」


 冷ややかな目と、冷ややかな言葉しか出てこない。母親云々のくだりから、気分は最悪になっている。

 それでも五歳児よりは少しだけ強いのか、翔子は視線を逸らさなかった。


「関係なくないです! 一緒のクラスですから! 一緒のクラスの人がずっと学校に来てないと、気になってしまうんです! みんなも絶対、気にしてるはずですっ佐藤君のこと、待ってると、思うんですっ」


「ふぅん」


 昴はドアにもたれかかり、至近距離で翔子を見下ろす。翔子はそんなに背が低い方ではないが、背丈では確実に昴が勝っている。

 昴のはだけたパジャマから胸元がのぞけることに気付いたのか、さすがに顔が横を向いた。頬が真っ赤に染まっている。


「そんなに俺のことが気になるのかアンタ」


「あ、ちが、副委員長の責任っていうか……」


「関係なくない関係になりたいわけ?」


 翔子は震えている。

 何故だろうか。昴は泣きそうな女の子を見ると、すぐたたみかけてしまうのだ。

 更に自分が嫌いになるように。

 二度と近付いてこないように。

 どうせ、傷つけてしまう。だったら、最初から近付けなければいいのだ。

 究極の後悔に襲われるのはいつものことだった。

 女の子が大好きで近付きたい願望は人一倍なのに、うまく立ち回れない。そんな自分に苛立つ。そうして更に顔が凶悪になっていく。

 翔子の燃え上がるように真っ赤になった耳が見えた。

 その耳元に、口を寄せる。


「そんなに関係なくない関係になりたいなら、犯してやろうか? 副委員長」


 息を吹きかけながら、囁いた。


「……っ、」


 真っ赤になって口をぱくぱくさせている翔子から、結局なんの言葉も出てこなかった。背を向けて一目散に逃げ出した。

 昴はアパートの通路にその背が見えなくなってから、深くため息を吐き出した。

 自分のことを本当に意地悪な人間だな、と思う。きっと翔子のことは泣かせてしまったのだろう。女の子を泣かせることに慣れてしまって、どうしたら究極に嫌われるのかその方法だけは詳しくなってしまった。

 ドアを閉めようと身を引っ込めかけて、隣の住人が少しだけドアを開けていることに気付いた。

 昴がそちらに視線を遣ると、隣人はすぐにドアを閉めた。その際、一瞬だけ水色の何かが見えたのは気のせいだろうか。

 ここに住みはじめて一ヶ月、隣人も自分同様に必要最低限にしか外にでない人間なのだろうか、一度も顔を合わせたことがない。

 姉に尋ねてみたこともある。

 姉曰く「父親と娘の二人暮らしみたいだけど、私も全然会ったことないから知らない」なんて居候をはじめてすぐの時に聞いた。

 昴はさっさとグラビアアイドルの元に戻ろうと思考を切り替えて、素早く振り返った。現実逃避とも言う。


「おわっ」


 柚季が気付けば背後に立っていた。

 柚季自身もまさか昴がそんなに早く振り返ると思ってなかったのか、目を白黒させて立ち尽くしている。短い手足が逃げ出す寸前にうずうずと動いていた。

 しかし食い殺してくる狼の射程距離にでも入ってしまったとでも思ったのか、どうやら逃げ出すことすら出来ない様子だ。うるうるの瞳が助けを求めて昴を見上げてくる。

 子供には笑顔で手を指し伸ばしてやればいいんだろう。

 実際、姉に娘を怖がらせるなと何度も跳び膝蹴りを食らっている。

 働きに出ている姉に代わってこの時間帯の柚季の面倒を見るのが、居候の条件なのだ。

 少しは距離を縮めねば、このままでは姉に追い出されかねない。

 それに、幼女だって立派な女の子だ。やっぱり女の子には、好かれたい。

 同世代女の子攻略の前に、まずは姪っ子攻略を頑張ってみよう。

 穏やかに、穏やかに。心の中で呟き、言い聞かせる。

 昴は自分の限界まで口元を吊り上げ、笑っていない目を柚季に向けた。

 眼鏡がキラリと光った。


「そんなに怖がらなくても、取って食べやしないさ。子羊ちゃん」


 言うと、

 柚季の顔が、この世の終わりを見たみたいに蒼白になった。


「たべないでぇぇ!! 鬼ぃいいい!!」


 絶叫して、やっぱり逃げられた。






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