ハーレム?人目①
遅くなってしまって申し訳ないです……
最終話突入です。
久しぶりの更新が、一番暗黒シーンって。最終話はやはり一気に読んでほしい。なるべく早めに完結まで更新していく努力をしてみます!
先ほどからアパートの玄関ドアを叩く音が、何度も聞こえる。
それでも昴は布団を頭まですっぽりとかぶったまま、そこから顔を出すことすらしなかった。厚い布団の向こうから、最初に聞こえてきたのは呼び鈴。続いて、ドアをはげしく叩く音。
「すばる、出ちゃダメなの……?」
布団の横で、柚季が寂しそうな元気のない声を出している。昴にその姿は見えなかったが、きっと眉は下がり、いつもぴょこぴょこ揺れている触角髪ですらぺたん、としてしまっていそうな覇気のない声だった。
「出るな」
昴はそれでも、容赦なくぴしゃりと告げる。
先ほど呼び鈴が聞こえてきた時と、同じトーンのまま。
――これで三日目になる。
三日前、水知が倒れて昴は必死の思いで彼女を助けようとした。それが水知の嘘であったと知り、美園が意味不明なハーレム参加表明をして。
昴は、限界を迎えた。その場から逃げ出して、そのまま自室の布団の中にこもり、必要最低限以外に布団の外に出なくなった。
バイトもずっと無断欠勤を続けている。姉も最初は無理矢理に昴の布団を引き剥がそうとしたけれど、あまりに頑なな態度に、諦めてしまった。この状態の昴に柚季を預けることを心配していたが、柚季自身が「昴といっしょにいたいの」と姉に告げているのを聞いた。
だから、昼下がりの今も、布団の横で柚季がちょこんと座っている気配はずっと感じている。寂しそうに、それでも、多くの言葉はかけてこない。ただ、そばにいてくれていた。
ここ最近の自分がアクティブすぎたのだ。浮かれきって、バカみたいにはしゃいで。
本来の自分は、こんな奴だ。
誰かと仲良くなりたいなんて夢を見ていたのは、やっぱり夢でしかなくて。
人とのコミュニケーションが煩わしくて、そんな自分には一人が似合っている。そう思っていたはずなのに。
それなのに、他人との繋がりなんて目には見えない不確かなものを信じて、動いて、そしてやっぱり裏切られた。
……あの時。
ぼろぼろ涙をこぼす水知から、自分の気持ちを手に入れる為にこんな手段を取ったのだ、と聞いた時に、胸が締め付けられるように苦しくなった。心が、メチャクチャに踏みにじられた気分になった。
だって、知っているから。
水知は昴の願いによって現れた存在で。彼女は自分を無条件に好きで、何を言っても笑顔を絶やさず、怒らない、傷つかない、他の女の子と一緒にいても平気で、それを応援すらしてくれる。……なんて都合のいい存在。
でも、それすらも嘘なのかもしれなかった。水知は自分の身体を治す為に近付いた、と言っていた。
もう誰の言葉も信じられない。誰の言葉も、響かない。
昴は身体を可能な限りちぢこませて、布団を更に目深にかぶる。梅雨前のこの時期、気温は日に日に高くなってきている。厚い布団をかぶっていると、汗が滲んでくる。それでも昴はそこから出ない。出られない。
思い知ってしまった。
結局、全員、両親と一緒じゃないか。昴が求めても、結局は昴のことなんか見てやしないのだ。誰しも自分が大切なんだ。他人に踏み込んだって傷つくだけじゃないか。
閉鎖された暗闇の中で、息苦しさに吐息が漏れる。この場所は安息なんて全くなくて、それでも、もうこんな場所に逃げ込むしかなかった。
まるで昴自身みたいな、暗闇の中。
自身の息遣いと心臓の音だけが聞こえてくる。
――もういらない。何も必要ない。みんな消えればいい。みんないなくなればいい。
ずっと、そうしていた。幼稚園から帰ってきた柚季だけがそばにいてくれていたけれど、あの日から水知がどうなったかは知らなかった。こういう時押しかけて騒ぎそうなイズミも、姿を見せない。
時折不安が押し寄せて心配になったが、すぐに振り払った。
もう関わりたくない。これ以上関わって、傷つきたくない。
携帯電話も電源を落としたままなので、唯一の友達登録されている翔子からの連絡もない。
今ドアを叩いている人物は、三日前からしつこく何度も押しかけてきているのだが、昴は彼女の呼びかけに反応する気もさらさらなかった。
「開けなさいよ昴! 開けなさいって言ってるのがわからないの!? ふざけんなー!!」
愛らしい高い声が、自分を何度も呼んでいる。
アパートの安っぽくて薄いドアの向こうからの声は、布団の中の昴にもかすかに届いていた。だから、三日前からこの時間になると誰が来ているのかは知っていた。
美園が、必死に昴を呼んでいた。
でもそれがなんの為であるのかも知っている。自分の為じゃない。彼女は全ての事情を知っている様子だった。だから水知を助ける為に、ハーレムに入ると言ってきたのだ。そんなのはいくら鈍い自分でも、ちょっと考えてみればわかることだった。
布団の中でそっと唇に触れてみる。
乱暴に押し付けられた唇の感触は、まだ残っている。それを思い出す度、動悸が早まる。でも、その昴の純情ですら利用されたにすぎないことを思えば、強く唇を噛んでその記憶を消し去りたいと思うだけだ。
引きこもりの自分がハーレムなんてちゃんちゃらおかしいと思っていたけど、おかしいどころか、こんなこと全て嘘だったのだ。騙されていたのだ。
「やっぱり……誰も、俺を好きじゃないじゃないか」
ぼそ、と呟きが漏れた。
ハーレム作る宣言されて、幼い柚季が意味もわからず入ってきて、自分の力を取り戻す為にイズミが入ってきて、その場の勢いで翔子を無理矢理入れて、水知を助けたい為だけに美園が参入して。
ハーレムを作るって言っていた本人も、自分の身体を治す為で。
バイト先も、クラスメイトも、教師も、両親も、誰も自分を見ていない。
昴のハーレムには、最初から誰もいなかった。
自嘲気味に笑みが漏れた。
……俺、生きてる意味があるのか?
自分が他の人よりコミュニケーションを取るのが苦手だと知ったのは、小学生の時だった。
物心ついた頃から両親に笑いかけられたことがなくて、話しかけられても応えてくれなくて、必要最低限の生活の世話を面倒そうにこなしている母親の鬱気な横顔ばかり、見上げていた。
年の離れた姉は昴より少しだけ生き方が上手で、両親に対しては諦めていて、外に人との繋がりを求めていた。小さい昴の面倒は見てくれていたが、彼女もどうやって人と接するのかうまくは分かっていなかった。だから昴に答えはくれなかった。
どうやって話しかければいいんだろう?
なんでみんな、笑っているんだろう?
どうやって笑えばいいんだろう?
どうすれば、好きになってくれるんだろう?
考えても、考えてもわからない。誰も答えてくれない。
沈んでいく。
心がどんどん沈んでいく。水の中で溺れているみたいだった。何もつかむものがなくて、全身をばたつかせて水しぶきをあげてなんとか浮上しようとしても、水分を含んだ身体がどんどん重たくなっていく。
いつも俯いていて、誰かが話しかけてもうまく応えられなくて、同級生たちは離れていく。大人は眉をひそめる。
たった一人の自分を守る為に、ただ乱暴な言葉だけを身につけた。そしてまた孤立していった。
沈んでいく、沈んでいく。
もう頭も身体も、すっぽり水の中だった。息が苦しくて、酸素が欲しくて、水の上に這い上がろうとしても、伸ばした手は届かない。
両親は昔から不仲で、まともな会話をしているのは聞いたことがなかった。たまに話していると、お互いを罵りあう汚い言葉ばかりだった。成長するうち、なんであんなに仲が悪いのに一緒にいるんだろうって疑問すら芽生えた。離婚という単語も覚えていたので、母親に『なんで離婚しないんだよ?』と乱暴に聞いてみたことがある。
『あなたがいるから離婚しないのよ』
忌々しげにそう言われた時、昴の心はくしゃくしゃに握りつぶされたみたいだった。
沈んでいく、沈んでいく、沈んでいく――
それでも愛のない両親は限界を迎え、離婚をすることになった。どちらと住むのか聞かれた昴は答えが出せずに姉の家に逃げ込んだ。学校からも逃げ出した。
そして、今も。
もう水上には上がれないほどに、沈んでしまっていて、
全てから逃げ出した昴は布団の中に引きこもって、
ドアの向こうから何度も自分を呼ぶ声を無視して、
助けようとしていた少女の存在を、自分の中から消すことに必死で、
唇が震えて何度も切れそうなほど強く噛んでいて、
汗が滲んで苦しくて、
それでも布団の外に出るのが怖くて、
恰好悪すぎるくらいずっと涙が止まらなくて、
「すばる、大好きなの」
そんな中で聞こえてきた小さな声が、
自分の中に少しずつ、少しずつ、沁みこんでいった。