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ハーレム四人目④

 周囲からもざわめきが上がった。人々の往来が多い昼下がり、幅の広い歩道に倒れたのは水色髪を持つ美少女だ。目立ってしまうのも仕方がない。

 人の良さそうな中年の男が、心配気な顔を見せて近付いてくる。


「おい、君、大丈夫かい?」


 おずおずと問いかけてくる男の視界からその姿を隠す為に、昴が水知の前へと庇うように立った。


「心配してくれなくても大丈夫だ。あっちへ行ってくれ」


 昴は眼鏡の奥からでも分かりすぎるくらいに鋭い瞳を、じろりと男へ向けた。親切心で声をかけたらしい男は、昴の拒絶に不快感を露にした表情で、舌打ちして去っていく。

 昴はもう誰も寄ってこないのを確認してから、水知へと向き直って腰を屈めた。


「大丈夫か水知」


 掠れた声を絞り出し、水知の肩に触れ、その身体を弱く揺する。爽やかな涼しい風が頬を撫でているのに、昴の額には大粒の汗が浮かんでいた。

 水知の方は、汗は完全にひいている。青白い顔に、嫌でも目に飛び込んでくる干からびた右手。身体も揺すってみても、実体なんてないんじゃないかと思うくらいに感覚がない。

 今の水知の状態を、人目につかせるのは非常にまずいと感じた。

 こんな街中でミイラ化なんてしてしまったら、確実に大騒ぎだ。


「クソ、どうすればいいんだよ!」


 病院なんて人外である水知を連れて行けるわけがない。昴はパニックを起こしそうな自分の状態をなんとか落ち着かせようと、唇を強く噛んだ。

 水知の瞼がわずかに上がった。どうやら意識が戻ってきたらしい。狭い視界の中に昴の姿を捉えていた。


「えへ。ごめん、なんか、迷惑かけてるね……」


「そんなこと今話すことじゃないだろうが。かなりマズイのか? 俺はどうすればいい?」


「えっ、と……とりあえず、水のある、場所」


 弱弱しく水知が言ってきたのを聞き届け、昴は意を決して水知を抱えあげた。まるで体重なんてない、それこそ本当に紙切れでも持っているような軽さだ。ますます昴の焦りは募っていく。


「クソッあのカッパだって油断するなって言ってただろうが! 大体この肝心な時にあのカッパはどこにいるんだよ!」


「……そいえば、いないね……」


 水知が苦しげに紡ぎだしながらも、なんとか周囲を見渡そうとしている。

 リュックをどこかに置いてきてしまったのだろうか。しかし今はイズミのことを心配している場合ではない。目の前にいる水知が、最大の危機を迎えているのだ。

 昴はがむしゃらに、走り出した。

 なんでもいい、水のある場所に連れていかなきゃ……!

 乾いた薄青色の空からは、雨の一滴だって降ってきそうにない。水のある場所に彼女を連れていかねばならない。水知は自宅にいる時も、いつだって水風呂に浸かっている様子だった。水に入れてやれば、今の状態を脱することは可能なのだ。

 息が乱れて、喘ぐように浅い呼吸を繰り返す。足が縺れる。昴はあらん限りの全速力で走る。引きこもりによって運動不足になっている体には、相当な酷使だった。筋肉が軋んでいるようだった。

 それでも走った。周囲なんて全く目に入らなくなるくらい、必死で、全力で、この腕の中で乾いていく女の子を、ただ助ける為に。

 目的地に定めていた公園が見えてきた。駅周辺にある広い公園内には、ありがたいことに噴水が設置されている。

 昴は全速力のまま、公園に立ち入っていく。

 休日の公園は、芝生で家族連れが遊んでいたり、カップルがバトミントンをしている光景が見られた。今の水知の状態とは天地の差ほどある、平和な光景だった。

 そんな長閑な休日の光景の中で。

昴は、おもむろに、水知を噴水へと投入した。

 ――ばしゃん、と大きな水の音があがった。公園内の人々が、一体何が起きたのかと、状況を理解できずに、ぽかんとした顔で噴水に注目を集める。

 昴は乱れきった息を吐き出し、全速力で走りすぎて嘔吐感が込み上げてくる状態で、噴水を見下ろした。


「水知、無事か……?」


 乱れた呼吸の合間合間に、噴水に投入した水知へとなんとか言葉をかける。

 水知の身体は、力なく水の中に沈んでいた。水にユラユラと髪の毛だけが浮いていて、まるで水死体のように見えてしまって、昴はゾッと心臓が冷えるのを感じた。


「お、おい、みず――」


「ぷはー!」


 おもむろに、水知が水の外へと顔をあげてきた。


「強引だよ昴。まさか投げ入れられるとは思わなかったよ」


 浅い噴水内で水知は四つんばいの姿勢でいる。恨みがましい半目がじっと見つめてきて、昴はほーっと安堵の息を漏らした。

 その場へとずるずる腰をおろしていく。


「もう、大丈夫なんだよな?」


 ずぶ濡れ状態ながら、ミイラ化していない可愛らしい水知の顔を見て、完全に力が抜けてしまった。昴は弱弱しく問いかける。


「……そうでもない、みたい」


 水知が気まずそうに苦笑し、言ってきた。

 昴は目をむく。


「え、だって、お前は水の中に入れば――」


 大丈夫なんだろ? という問いかけは途中で止まってしまう。

 水知が立ち上がり、ざばざばと昴の方へと近付いてくる。


「ほら」


 右の手のひらを眼前に突き出してきた。

 その手は、先ほどみた時と全く同じ状態だった。老人のようにしわくちゃに乾ききって、簡単にぽきりと折れてしまいそうな、干からびた醜い指先のままだった。


「な、んで……」


 水知は困ったように眉を下げ、それでも笑顔を浮かべている。


「えっへっへ。どうやらわたし、もう限界みたいだね」


「限界ってなんだよ。お前は、俺がハーレム状態だったら元気だって言」


「わたしに必要なのは、昴との夫婦の繋がりなんだよ」


 水知が昴の弱弱しい声音を叩き潰すように、言葉をかぶせてきた。


「ハーレム状態が必要なのは、イズミちゃん。わたしが必要なのは、昴との夫婦の繋がりなんだよ」


 噴水の中と外で会話を交わす二人へと、公園内の人々の注目が集まってきてしまっているのを感じた。

 昴は気まずそうに眼鏡の縁をいじり、水知を直視できずにうろうろと視線を泳がす。


「な、なんだよそれ……」


「ごめんね、今まできちんと話さなくて。わたしのこの体の乾きを止めるには、昴との夫婦の繋がりが必要なんだよ」


「……」


 愕然とし、その言葉を聞いていた。

 だって、そんな、じゃあ――


「俺と繋がろうとしてたのは、その為だったってことか……?」


「そうなるね。渇くのを止めるには、その方法しかないから。わたしとイズミちゃんは主従関係で繋がってるから、イズミちゃんのパワーが強くなればわたしも元気ではいられるんだけど。でも、この体質を止める方法は、その一つしかないんだよ」


 諦めたように、水知が言ってくる。


「お前を助ける為には、え、と、その、俺と、その……」


「せっくすするしかないね」


「ハッキリ言うな! ここは健全な公園内だぞ!?」


「なりふり構ってられないから。わたしには、もう、時間がない」


 水に入っても干からびたままの手を見てしまうと、水知の言葉に重みを感じる。

 昴は俯く。


「……お、お前の命が助かるんだったら……」


 あまりに恥ずかしくて、顔から火が噴出しそうだった。肯定の言葉もうまく紡げずに、しどろもどろになってしまう。


「昴、わたしと夫婦の繋がりを持ってくれるの?」


「――っ、し、しょうがないだろ!? 人の命がかかってんだぞ! 人間じゃないけどな!」


「わたしに触れるの、怖くないの?」


「そ、そんなの、やってみなくちゃ、わかんねぇよ……」


 心の底から、彼女を抱き締めたいという衝動はいつだってある。輝く笑顔を見るたび、胸が締め付けられて、鼓動が高鳴って、自分はこの少女のことが大好きなんだと嫌でも思い知らされるのだ。それでも、

 実際、身が竦んでいるのは確かだった。

 干からびた右手を見て、畏れを抱き、彼女の存在自体にすら感じる恐怖は拭えない。


「じゃあ、証拠、見せてくれる……?」


 珍しく水知の声に力がなかった。

 噴水の中に入ったままの水知は、昴をおそるおそるといった様子で見つめている。その顔にはいつもの、真っ直ぐな瞳も、真っ直ぐな笑顔もない。


「証拠って、なんだよ」


「今ここで、キスして」


 水知の言葉に、今度こそ完全に固まってしまった。

 しばらく、呆然と水知を眺めてしまっていた。水知は恥ずかしげもなく、表情一つ崩さず、試すような瞳で昴を見ている。

 なんで水知は、さっきから笑ってないんだろうか、なんて思考の片隅で考えた。


「キスしてくれたら、昴がわたしのこと怖くないって信じられる。わたしのこと助けてくれるって、信じられる」


「……ここじゃなくてもいいだろ」


「ここじゃなきゃ嫌だ。今すぐじゃなきゃ嫌だ」


 じっとりと手汗が滲み、昴は拳を握り締めた。

 駄々っ子のように言ってくる水知の顔はいまだに真剣そのもので、噴水の中から出てこようともしない。注目は程よく集まりまくっている。この状況で、公衆の面前で、引きこもり不登校の自分が女の子にキスをするなんて、できるわけが――


「やればいいんだろ」


 プツッ、とどこかの線が飛んでしまったらしい。目は完全にすわってしまっている。

 それは、水知の瞳の中に、哀しげな色を見てしまったからだった。

 彼女を救えるのは、自分しかいない。だったら、こんな自分でも、何かできるんだったら。

 昴は覚悟を決めた。もう周囲の目は気にしないことにする。視界をシャットダウンし、目の前で瞳を揺らす水知だけを見つめる。

 一歩、彼女へと近付く。

 ざり、と地面が靴音を立てる。

 びくり、と水知が身体を強張らせる。その両肩を、掴んだ。

 折れてしまいそうな、華奢な肩だった。髪の毛から滴り落ちてくる雫が、昴の手の甲を濡らす。

 肩を掴む指先が震えてしまっていた。水知の身体も、震えているように感じた。


「す、昴、本気?」


「ここまで来て引けるかよ」


 おずおずと見上げてきた水知のあどけない顔が可愛すぎて、人目や恐怖心以前に、その誘惑に逆らえそうになかった。大丈夫だ、水知は怖くない。水知は、怖くなんかない。

 自分に言い聞かせながら、ゆっくりと顔を近付けていく。ふっくらとした唇が見えた。

 それが触れ合う寸前、昴は目を閉じる。

 ――なのに。

 胸を強く、どん、と押された。


「うぁっ?」


 正面からの唐突すぎる攻撃に、昴は抗うことが一切できずにその場にしりもちをついた。


「なにすんだ!」


 目を開けて、水知を見上げた。水知は、既にくしゃくしゃに泣いてしまっていた。


「ごめんなさい、ごめんなさい……」


 子供のように泣きじゃくり、次から次に溢れてくる涙を手の甲で拭っている。その手の甲は、健康的なものに戻っていた。昴はすぐにその事実に気付いて目を見開いていく。


「ごめんなさい……嘘、ついて、ごめんなさい……」


「嘘?」


「昴の気持ちを試したくって、わざと、ピンチなフリしてた。本当は、全然元気なのに」


「だってお前、実際干からびて……」


「こんなことだってできるんだよ」


 水知が言葉を発した瞬間だった。噴水の中にいる水知が、その全てが瞬時にミイラ化した。昴はひっと息を呑む。瞬きの間に、水知は元の姿に戻っていた。公園内の人も、一瞬のミイラ化状態は目の錯覚くらいに思っただろう。


「昴に心配してほしくて、わざと倒れたんだよ。わざと、手を乾かしたんだよ。昴の気持ちを手に入れたくて、だから、あんなこと……」


「夫婦の繋がり云々って話も、でたらめか?」


 水知が手の中に顔を埋めたままで、首を振る。


「ううん、わたしの渇きを止める為に昴に近付いたのは、繋がりが必要なのは本当だよ。でも、こんな風に試して、嘘で固めて、そんなの、やっぱり嫌だよ……だったら、もう――」


「いくじなし」


 唐突に、言葉が差し挟まれた。

 昴は声の聞こえた方を見遣る。水知も顔を上げて、昴の視線を追いかけてきた。

 盛り上がった胸にカッパのぬいぐるみを抱いて立っていたのは、美園だった。厳しい眼が、水知を見ている。


「あなた、死にたいの? なりふり構ってられないんじゃないの? 今更怖気づいて、逃げるの?」


 ずんずんと美園が近付いてくる。

 昴は混乱極まって、棒立ちになるしかなかった。

 何故美園が突然現れたのか、何故美園は、イズミを抱えているのか、翔子が見当たらないがどこにいるのか、何故美園は、事情を知っている口ぶりなのか――


「毒リンゴを口に入れてあげたのに。王子様の救出を待たずにそれを飲み込んで、あなたは死のうっていうのね」


「おい、美園、お前は何を言って――」


「そんなのは絶対に許さないわ」


 美園が強く言ってくる。水知は俯き、頬にはまだ涙が伝っている。

 イズミはぬいぐるみのフリでもしてるのか、カチコチになっていた。しかし美園の迫力が恐ろしいのか、わずかに震えている。


「昴に近付いたのは、自分が助かる為。昴をハーレム状態にしたいのも、自分が助かる為。キレイごとなんてもういいから。いい加減認めなさいよ」


 美園の言葉は、昴の胸にも突き刺さった。深く鋭い棘のように、チクチクと胸を苛む。


「……もう、君の許可なんていらないわ」


 美園は強く宣言し、横に立つ昴を射殺すような眼差しで見上げてきた。


「な、なんだよ許可って――」


 おもむろに、だった。

 美園が、昴の唇に、自身の唇を強く押し付けてきた。


「――!?」


 あまりに突然のことで、頭が真っ白になる。

 その間、数秒ほど。昴にとっては、とてつもなく長い時間に感じられた。

 寄り添ってきていた美園がすぐ様身体を離し、いかにも嫌そうに唇をごしごしと拭っている。頬は真っ赤に染まっていた。

 大胆かつ乱暴な口付けは、あまりにぎこちなさすぎて、見た目は遊んでいるように見えるが、実はキス経験すらないのではないかと感じた。

 もちろん、昴にとってもはじめてのキスだった。


「強制入場したから。これで私もハーレムの一員よ」


「……」


 もう、ぽかん、として美園を見るしかなかった。





更新が遅くて申し訳ないです。

残すは最終話のみです!ノロノロ更新かもしれませんが、最後まで付き合ってくださると幸いです!

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