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ハーレム四人目③

『鏡よ鏡、鏡さん、世界で一番美しいのはだあれ?』


 持っている手鏡をのぞきこんで、分かりきったことを呟いてみる。

 映っているのは自分の顔。二重で、強い色を宿す大きな瞳。長い睫毛、すっと通った小鼻、かたちのよい桜色の唇、凛とした眉、滑らかな肌。

 見慣れた、自分の顔だった。

 鏡に向かって問いかけてみたところで、返事なんて期待していない。

 でも、鏡が応えてくれなくても、周囲がいつだって応えてくれる。


『美園ちゃん可愛い』


『美園ちゃんキレイ』


『美園ちゃん結婚して』


 両親に蝶よ花よと育ててくれ、いつだって周囲はチヤホヤしてくれて、自分が世界で一番美しいだなんて当たり前の答えだと思っていた。女王様気取りでも、誰も咎めない、諌めない。私は、全てにおいて完璧なのだから。

 ――なのに、なんでだろうか。

 満たされたぬるま湯の世界は、全く、自分の心を満たしてなんかくれなかった。

 ならば自分は一体何が欲しいのだろうか。こんなにも高みにいるのに、それ以上の何を求めているのだろうか。

 もっと賞賛の言葉を? もっと美しいプロモーションを? もっと男を虜にすることを?

 満たされきった世界で飢えきった美園は、更なる高みの世界に行けば自分が満ち足りるかもしれないという結論に達した。

 だから、簡単にアイドルになってみせた。なんて適当な理由。

 でもアイドルになったところで、飢えた心は満たされない。

 乾いて乾いて乾ききって。

 このままじゃ、干からびちゃうよ、私。

 そんな日々に、一滴の雫を落としてくれた人物がいた。

 今でも鮮烈な映像として眼にやきついて、美園の心を縛り付けたまま離れない。

 入学した高校で、入学式に登場した、同じ新一年生の女の子。腰まである水色髪をさらりと揺らし、深く透き通った瞳で真っ直ぐに前を見据え、指先、足先まで洗練されきった、あどけない可憐な少女。

 彼女を見た瞬間、電撃が身体を駆け巡った。

 自分に足りなかったのは、賞賛の言葉でも体型を保つ努力でも男を魅了することでもなんでもない。

 彼女だ。

 自分以外の誰かを、はじめて美しいと思った。

 もう鏡なんていらない。

 自分じゃない誰かを心から、好きだと、手に入れたいと思った。

 初めての恋に落ちた瞬間から、美園は、戸惑いながらも心から彼女を欲した。何度も住まいへ足を運んで、なかなか訪ねていく勇気が持てなくて、遠くから見守る日々を繰り返していた。

 彼女が言葉を紡ぐたび、心が震える。

 彼女が笑いかけるたび、胸が締め付けられる。

 それなのに。

 今目の前にいる彼女は、走り去っていった彼女の大好きな人を見ている。眉を下げ、寂しそうに、見えなくなった姿だけをひたすら追っている。

 こんなにそばにいるのに、私には、彼女の心を手に入れることができない。

 悔しくて、切なくて、哀しくて、噛み切れる程に唇を強く結び、彼女の背中を見る。

 彼女の背負うリュックがもぞりと動いた。誰よりも彼女に近付こうと、彼女を知ろうとした美園は、リュックの中身がなんであるのかすらも知っているのだ。

 美園は、服屋の店先に歩いて行き、落ちていた紙袋を拾い上げる。中にはぐちゃぐちゃに潰れたアップルパイが入っていた。りんごの甘い香りが鼻腔をくすぐり、妖艶に目を細める。

 絶対に私の手に入らないのなら、壊してしまえばいいんだ。

 だから美園は魔女のように口の端を吊り上げ、彼女へと歩み寄り、その耳元で囁いた。


「……ねぇ、水知。昴の心を手に入れる方法を、教えてあげましょうか?」



***



 昴は咄嗟にその場から逃げ出してしまったものの、すぐに後悔が押し寄せてきていた。

 何も言わずに消えてしまったのは、さすがにマズイだろうか。多少は冷静さを取り戻しつつあったので、デパートの外に出てからようやく立ち止まる。

 立ち止まったまま、身動きが取れなくなってしまった。

 そのまま逃げてしまうことも、戻ることもできない。

 棒立ちになって自分のどうしようもなさに呆れさえ感じて、かなりの長い時間を消費してしまっていた。

 いい加減どうするのか決断しようと思い立った時、シャツの胸ポケットに入れていた携帯電話が鳴った。

 鼓動が跳ね上がる。恐る恐る取り出して確認してみると、着信相手は翔子だ。

 息を深く吐き出し、動悸を少し落ち着かせてから電話を取る。


「はい」


『あ、佐藤君ですか? どこに行っちゃったんでしょうか? お買い物も終わりそうなので、みんなでお昼ごはんでも食べようかって話してたんですけど……』


 翔子の平和な物言いからは、昴の現状に気付いている様子はなかった。女の子三人で服選びに夢中になっていたことを申し訳なく思っている節も、感じ取れる。

 昴は内心で安堵し、普通に話しかけてくれた翔子に感謝する。


「三人の方が楽しいだろうし、今日のところは、俺は帰る」


『えええ!? そ、そそ、そんな、困ります!』


「なんでだ? 女三人の方が気安いだろ。俺がいる意味がワカランし」


『分かるんです! 帰っちゃダメです! どこにいるんでしょうか、今からそっちに行きますから、待っててくれますか?』


「……なんでそんな必死になってるんだ?」


『だ、だって、だって、そのぅ……せ、せっかく美園ちゃんが選んでくれて、服、着替えたんです。その、とっても可愛い服を選んでくれて、嬉しくて、だから……』


 昴は首を傾げる。翔子がしどろもどろになっている意味が分からない。


「なんだ? 私服を俺に見てほしいってことか?」


『――ッ、そ、そんなドキッパリと! ち、ちちち違うんですよ!? 自分が可愛くなったなんて決して思ってないですけど! 服が可愛いんです服が!』


 声まで裏返して相変わらず言い訳がましい翔子の言葉に、昴は思わず吹き出してしまう。

 少しだけでも心が浮上していくのを感じる。今、この時、自分の抱える問題を思い起こす必要なんてない。美園、翔子、水知たちと楽しい一時を過ごしたら、きっと忘れられる。

 昴は意地悪く笑み、携帯電話に向かって囁く。


「じゃあ可愛い可愛い副委員長を拝みにいくとするか。どこにいるんだ? 俺がそっち行くわ」


『さっ、佐藤君はやっぱり意地悪です……』


 翔子が真っ赤になっているのが容易に想像がついてしまい、昴の顔はますます嬉しそうに緩む。


『でもですね、やっぱり私と美園ちゃんがそっちに行った方がいいと思います』


「なんでだ?」


『……水知ちゃんが、佐藤君を探しに走ってどこかに行っちゃって。心配はいらないと思うんですが、早く合流した方がいいかと』


 昴の緩んでいた表情が、途端に引き締まった。

 水知が一人でどこかへと消えた。その事実を耳にして、冷静ではいられなかった。


「心配いらない!? アイツは普通の状態じゃないんだよ!」


 思わず声を荒げてしまう。

 電話の向こうで翔子が息を呑む音が聞こえた。それほどに、鬼気迫る怒声になってしまっていた。


「普通の状態じゃない……? だ、だって水知ちゃん、とっても元気いっぱいでした、よ……?」


 舌打ちが漏れた。

 水知は普通の、人間のように、晴れた日に元気に歩き回っていられる存在ではないのだ。

 それに、自分は今一人でいるじゃないか。

 きっと、水知やイズミにとって、苦しい状態になってしまっているはず。

 今更その事実に気付いてしまい、浅はかな行動を取った自分自身を呪った。翔子に八つ当たりしてしまったことに、自己嫌悪した。


「とにかく探してみるから、一回切るぞ!」


『え、ちょっと、佐藤く――』


 翔子の言葉を待たずに、携帯電話を切る。

 顔を上げ、周囲に視線を巡らせる。

 デパートの入り口付近には若者たちが集っていたり、自動ドアの向こうに吸い込まれていく光景が見られる。

 更に視界をひろげていけば、併設する立体駐車場に道路から車が次々に入っていく。土曜日の駅前には多くの人間が、往来している。

 昴はその中で、水色の頭を探した。きょろきょろと眼鏡の奥の瞳を忙しなく動かし、次々に映る光景を切り替えていく。

 ――水色の髪の毛。

 その髪先が、ちらりと視界に入った。

 昴はそちらへと向き直る。水知の背中が見えた。制服姿のままの水知は、何かを一生懸命に探している様子だ。


「昴ぅ! すーばーるーぅー! すばるぅぅーっ!!」


 何を探しているのかなんて、一目瞭然だった。

 今までその声に気付かなかった自分を殴りつけたい気分に陥りながら、全速力で走っていく背中を追いかけた。

 水知は必死に走っていた。だから、昴も一生懸命に走らなければならなかった。

 背中に大声で呼びかければ気付いてもらえるのは想像がついたが、そんな恥ずかしいことはさすがに出来ない。何せ人通りが多い。しかも水知は目立ちすぎている。

 昴は走りに走り、ようやく水知の肩に手が触れそうな距離まで追いつく。


「水知、俺はここだ!」


 ようやく昴が声をかけると、水知がバッと瞬間で振り返ってきた。

 昴は急ブレーキをかけ、立ち止まる。すぐに大粒の汗が浮かんできた。水知も汗だくになって、色白の頬が真っ赤になってしまっている。その上涙目で、泣きそうな表情で。


「よ、よかった、よかったよ……昴、何処かに行っちゃったと思って……」


 安心したのか、ほんわりと表情を崩す。

 それはいつも見せてくれる、何もかもを蕩かすような最上の笑顔だ。

 昴は堪らなくなって、いつものように腹に力を込める。


「ば、バカかお前は。今生の別れでもあるまいに、あの叫びはなんだよ。クソッ恥ずかしすぎて他人だと思いたい」


 そう言葉を吐き出している間にも、往来の人々の無遠慮な視線がじろじろと身に刺さる。可憐過ぎる女の子が捜し求めていた意中の人として、注目を浴びてしまっていた。限りなく恥ずかしい。


「だってさ……昴、遠くにいっちゃいそうな気がして……あの人と、話してから、昴、すごく怖い顔してたよ」


「見てたのか」


「うん。あの人、昴のお母さんだよね。さっきわたし、少し話を――」


「あんなやつ、母親だと思ってない」


 昴は俯き、水知の言葉を遮って拒絶を示す。母親の話はしたくなかった。心の中を占めているのに、それを誰かと共有したくなかった。


「そっか。……そうだ昴、はいコレ」


 ずい、と水知が昴に紙袋を差し出してきた。

 咄嗟のことで反応できず、ぽかんとして水知を見つめることしかできない。


「とってもおいしかったよ。ごちそうさま」


 その言葉に嫌な予感がして、水知が差し出してきた紙袋の中を、恐る恐るのぞいてみる。

 紙袋の中は、空っぽになっていた。


「お前……まさか、コレ、食ったのか?」


「うん! やっぱり昴はお菓子作りの天才だね! おいしすぎて一人で全部ぺろりと!」


「馬鹿野郎! これ、これは、床に落ちてただろ!? ぐっちゃぐちゃに潰れて、汚くて、めちゃくちゃだっただろうが!」


「お腹に入っちゃえば関係ないね」


 ふふーんと何故か得意げな顔を見せる水知に、昴は頭を垂れてがっくりと脱力した。


「えっへっへ!……ア、レ?」


 いつもの笑いが耳に届く。

 外してしまった視界に、水色の髪の毛が見える。

 それがゆっくりと、ゆっくりとスローモーションのように、下に落ちていく。


「……え?」


 昴は顔を上げた。

 水知は、その場に倒れていた。苦しげに顔を歪め、荒い息を吐き出していた。

 これは現実なのだろうか、と呆然としている間も与えられず。

 彼女の指先が、嘘のように、紙切れにでも変わってしまったかのように、乾いていく。

 太陽が照りつける。広い空はどこまでも、どこまでも晴れている。


「水知!?」


 昴は悲痛な叫びを上げ、水知へと駆け寄っていった。






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