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ハーレム三人目④

 昴は数分もの間、その場に呆然と突っ立っていた。

 パニックの極みとはいえ、自分は先ほど、憧れの女の子になんと言ったのだ?

 思い起こせば思い起こすほど、嫌な汗がじっとりと全身に浮かぶ。身動き一つ取れない状態だ。

 悶え死にそうな時間を体験した後、驚いたことに、再びドアが開いた。

 ばあん、と、ものすごい勢いで開いたドアの先。

 そこには、バスタオルを一枚巻いただけの水知が立っていた。


「なっ、おま、なん、その恰好……!?」


 落ち着いてきていた動悸が、再び激しく脈打つ。ほぼ言葉にならない絶句状態で、昴は水知を凝視してしまう。


「よかったぁ、まだいたぁ」


 とろけそうな笑顔を浮かべた水知は、やはりいつも通り、全身濡れている。細っこい二の腕や、水色の長い髪に水滴が付着して、地面に垂れ落ちていく。自分の身なりにも気がいかない程に、慌てていたらしい。昴の顔を見て、ようやく安堵した様子だ。


「今美園ちゃんがね、昴が家に来た、って声かけてくれたから、慌ててお風呂上がってきたんだよ」


 水知の言葉が耳に届き、昴はやっとのことで我にかえる。

 慌ててすぐに、水知から視線を逸らした。頬が燃え上がるように熱い。

 それでも視界の端に映ってしまうびしょ濡れ少女の身体は、火照っている様子がない。どうやら水風呂に浸かっていたらしい。やはり常に水の中にいないと、健康状態が保てないということなのか。

 昴はなんとか冷静さを取り戻そうと、理性に訴えかけた。心臓が早鐘を打ちすぎて、痛いくらいだった。


「いつでも来ていいのに、全然遊びに来てくれないんだもん。よかったらあがってあがって」


「お前はさっさと服着てこい!」


 顔を逸らしたまま、言い放つ。

 先日、水知を泣かせてしまって以来、昴は気まずさが先立ってしまい、水知の家に近付かないようにしていた。今もどんな顔をして水知の前に立てばいいのか分からない状態で、照れ隠しからむくれたような顔になってしまう。

 水知はそんなことを全く気にしていない様子で、ニコニコと笑みを浮かべている。相変わらず、無邪気で、純粋で、天真爛漫な笑顔だった。ふっくらとみずみずしい頬も、水が滴る鮮やかな水色髪も、いきいきと輝く大きな瞳も健全だ。昴は内心で安堵の息をつく。

 直後、着ていたシャツのはじっこを掴まれていたことに気付く。

 昴はそろそろと視線を水知に遣ってみる。

 水知は眉を下げ、大きな瞳で昴を見上げていた。


「服着てる間に、帰らない?」


 ぐわああ、と昴の中で何かが暴れ、吹き荒れた。凄まじい大嵐だった。抑え込むことに尽力せねばならなかった。

 あらん限りの力で拳を握り締めて、自分の中の何かと必死に戦う。


「帰らない。だから、早く服着て来い」


 なんとか自分との戦いに勝利をおさめ、無表情で眼鏡を光らせることに成功した。


「嬉しい!」


 ――直後に、水知が最高の笑顔を見せてきて。

 昴はドアのすぐ横にある壁に向き直り、ガンガンと頭を壁へと何度も打ち付けた。


「何してるんだよ昴? 眼鏡が割れてるよ? 額から血も出てる」


「いいからお前はとっとと服着てこい! じゃなきゃ帰るぞ!」


 今度こそ厳しく言い放つと、ようやく水知はドアの向こうに消えた。

 昴はほっと息をつく。眼鏡を外して確認すると、ヒビが入ってしまっていた。しかも額からは血が流れ落ちてくる。どれだけ理性を抑えるのに苦労してるんだ、と自分自身に呆れ果てた。

 それでもいまだ、心臓は激しく脈打ったままだ。

 これから行く場所を、戦地に赴く兵士のような気概で向かうことを決意した。

 一度ごくり、と喉を鳴らしてからドアを開け放つ。


「のわっ」


 玄関には、ジト目の美園が仁王立ちしていた。先日会った時と同様に、少年のようなカジュアルスタイルだ。


「近付かないで変態。なんで入ってくるの? 誰の許可を得て?」


 完全に毛嫌いされてしまったらしい。虫でも見るような蔑みの眼差しを向けられ、それでも完璧に整った愛らしすぎる顔立ちを見ると、ドキドキしてしまう。


「家主の許可を得て……」


 遠慮がちに告げると、美園はぐっと詰まった。偉そうにしているが、ここは美園の住まいではない。大体美園がここにいる意味が分からない。

 玄関に立ち尽くしていても仕方ない。恐る恐る靴を脱ぎ、家へとあがる。

 美園は気に入らない様子だったが、これ以上会話をすることすら厭わしいといった感じで居間へと引っ込んでいく。昴も続いた。

 居間には誰もいなかった。水知もまだ着替え中らしい。イズミは押入れに隠れているのだろう。

 ……二人きりの空間は気まずい。

 昴が床にどっかりと座ると、美園が遠く離れた壁に移動し、もたれかかった。

 凄まじく殺気だった眼差しを向けられている。グラビアの彼女からは想像がつかない、般若のような顔だ。

 先ほど美園に言ったセリフを考えれば、仕方ないことだ。昴は深い溜め息を吐き出した。


「……それ、何?」


 しばしの重い沈黙を経て、美園が呟いてきた。

 顔を俯かせていた昴は、美園を見る。可愛すぎて失神するかと思った。


「甘い匂いがする」


「あ、ああ……これのことか。プリンだよ。水知に分けてやろうと思って」


 すっかりと自分が右手に提げていた紙袋の存在を忘れていた。紙袋には本日作ったパンプキンプリンが入っている。閉め切られた部屋の中に、甘ったるい匂いを微かに漂わせている。


「ふーん」


 美園は興味なさげに漏らす。しかしその視線は、紙袋に釘付けになっている。釘付けになっている。じりじりと紙袋を焼け焦がす程に、釘付けになっている。


「……もしかして、食べたい、とか?」


「はぁ!? な、なな何言っちゃってんの君!? 私が、このグラビアアイドルの私が、プリンなんて食べたいわけなんてないじゃない! 甘い物は厳禁なの! 食べたら太っちゃうから、絶対食べないようにしてるんだから! だから、だから食べたくなんてないの!」


「そうか。食べたくないなら別にいいんだけど」


「そんなに言うなら食べてあげてもいいわ!」


 何一つ、そんなになんて言ってない。

 昴は呆れて美園を見上げるが、顔を真っ赤にさせて泣きそうな美園を見ると、突っ込む気力は失せた。

 ドカドカと大股歩きで近付いてきた美園が、光の速さで紙袋を奪い取っていた。昴は呆然と空になった自分の右手を見る。

 昴の横にぺたん、と美園が座り、プリンを紙袋から取り出した。


「わぁあ、わぁあ……! ふ、ふんっ、全然おいしそうじゃないけど、まぁ毒味してあげるわよ!」


「ヨダレが垂れてるぞ」


 昴の言葉はもはや美園に届いていないらしい。

 子供のように目を輝かせ、綻んでしまう顔を隠すこともできずにニッコニコでスプーンを口に運んだ。その様子は柚季を上回るはしゃぎように見えた。

 昴の横に座っていることも気付かないくらいに、無我夢中でプリンを食べている。

 その途中で、水知が居間へとやってきた。

 昴が目を向けると、制服姿の水知は、柔らかく微笑みかけてきた。


「昴のこと、ちっとも好きじゃないんだけどね、来てくれてとっても嬉しいんだよ!」


「……それはどうも」


 昴は口元をおさえる。こっちはこっちで、無表情を保つことが、相当にキツイレベルになってきている。


「美園ちゃんはね、毎日ここに遊びに来てくれるんだよ。相当な暇人なんだね!」


 水知がにこやかにひどいことを言っている。


「でも嬉しい。わたしはあんまり外に出られないからさ、こうやってみんなが遊びに来てくれると、すごく楽しいんだ」


「……そうか」


 昴は考える。

 イズミの力が強くなれば、水知は外に出ても平気なくらい元気になるのだろうか。と。

 そうすれば、一緒に外に遊びに行くことだって。

 一緒に学校に行くことだって――

 そこまで考えて、何を血迷っているんだ、と首を振った。

 プリンを一気に食べきったらしい。横にいる美園が、プハッと顔を上げた。その口元はベタベタになってしまっているが、この上なく満足気な表情だ。


「すっごくおいし――くなかったもん!」


「なんで泣きそうになってんだよ」


 涙目になっている美園が、じとり、と昴を睨み付けてくる。


「ねぇ、これ、君が作ったの?」


「ああ、そうだけど」


 昴は頷く。すると、美園の瞳がまたも輝きを帯びる。キラキラとした眼は、まさにアイドルに相応しい。


「……君のハーレムに入ったら、また手作りお菓子が食べられるの?」


「さ、さぁな。柚季には毎日作ってやってるけど」


「君のハーレムに入ってあげてもいいわよ」


 昴は目を見開き、美園を見る。

 近くで昴の顔を見上げてくる愛らしい顔の少女の瞳は、期待に満ち満ちている。

 あきらかに、お菓子目当てだ……!

 わかりやすく伝わってくる本音に、昴は絶句する。水知は喜んではしゃいでいる。水知には、ヤキモチとかそういう感情はないんだろうか。なんて冷静な自分が考えていたりもした。

 ――その時だった。

 来訪者を報せるチャイムが、鳴った。


「あれ? 誰だろうね? 新聞の勧誘か何かかなー」


 水知がぺたりぺたりと裸足のままで、玄関に向かっていく。

 狭いアパートなので、居間から玄関までの距離は短い。昴や美園が座ってる場所からでも、玄関は見える。


「はーい」


 水知が軽い調子で言って、ドアを開く。

 現れたのは、


「こんにちは水知ちゃん! 恋の魔法使いコショー様が、救世主として登場したぞッ☆落ち込んでいる暇なんてないんだから! さ、舞踏会に行く魔法をかけてあげる! 素敵なコーディネートで、王子様を恋に落としちゃおう! てへへッ☆」


 これから夜会にでも出かけるのであろうか、妖艶なドレスを身に纏った女性……

 サイズが全く合ってない上、年齢的に間違えまくっているデザインのロングドレスは、ずるずると足元に引きずってしまっている。しかも貧相な胸を強調している。ゴテゴテとしたアクセサリー類も、一つ一つは悪くないのだが、装着しすぎて悪趣味だ。顔の半分はあるサングラスも、ずるりと落ちかけている。

 つまりは、何もかもが間違ったファッションセンスで現れたのは。

 副委員長、宮代翔子だった。


「え? コショー様?」


 水知は固まっている。昴も固まっている。美園も固まっている。

 半分泣きそうな状態の翔子は、取り繕うように手をバタバタさせた。


「ごめんね、期待と違ったよね。私、ネットでは全然違う自分を演じてて……ネットのイメージ通りの服なんて着てみても、全然似合わなくって。本当はこんななの」


 翔子は顔を俯かせた。緊張でか、ガクガク震えていた。狭くなってしまっている視界の中には昴や美園は映っていないらしい。


「みんなが私に頼ってくれるのが、嬉しかった。学校では、そんな風に注目を浴びることなんてないくらい地味で。でもネットでは言葉だけで、みんながついてきてくれる。信頼関係だって築ける。裏切られない。気付いたらのめりこんで、嘘の自分を作り上げてた」


 震える声で、翔子は告白を続けている。今まで溜め込んでいたものを吐き出すように。


「だから、水知ちゃんの家に来てほしいって言われた時、どうしたらいいのか分からなくなった。現実の私は、恋の魔法使いなんかじゃない。ただの地味な女子高生。がっかりさせちゃう、って思った。……違う、がっかりされるのが、怖かったの。それでも、水知ちゃんのこと、助けてあげたくて……」


「コショー様……」


 水知が呟き、一歩近付こうとした。

 と、その時、昴の横でやはり呆然としていたはずの美園が、ぷっと、ふきだした。水知も足を止め、振り返ってくる。

 翔子も美園の存在にようやく気付いたようだった。

 当然、横に座っている昴にも。

 昴と目が合った瞬間、翔子は目を見開き、くしゃ、と顔を歪めて俯いた。その顔は真っ赤になってしまっている。

 その間にも美園は笑いを堪えきれない様子でくっくっと、肩を揺らしている。


「あー可笑しい! 何その恰好!? 今からパーティでも行くわけ? 女子高生のする恰好じゃないと思うんだけど!」


 美園が容赦ない言葉を突き刺す。

 翔子が俯いている。

 サングラスに半分隠れた瞳が、揺れているのが見える。部屋の中には美園の哄笑が続く。

 昴はおもむろに、立ち上がった。

 止まった時間を動かすように、翔子へと近付いて行く。

 顔を下げ続けている翔子の前に立ち、その両肩へと手を置いた。


「副委員長、メチャクチャキレイだ。お姫様かと思った。舞踏会で会ったら、求婚してるレベルだ」


「え……?」


 翔子が驚いた表情で、顔を上げる。

 その瞳から、涙がこぼれ落ちていく。昴は翔子の横に立ち、肩を抱く。

 目の前には水知と、少し離れた位置に美園が、唖然とした顔をこちらに向けている。


「俺のハーレムに入るのは、鳥居美園、お前じゃない。お前は受け付けない」


 自然に、ニヤリ、と不敵な笑みが浮かんでいた。


「俺のハーレムに入るのは、宮代翔子だからだ」


 言い放った。美園がこぼれ落ちそうなくらい目を見開いている。

 水知が、口を両手で覆っている。


「え、え、え?」


 そして翔子が、その場にぺたん、と膝をついてしまった。


「コショー様が、昴のハーレムに入るの?」


「そうだ。俺が仲良くしたいのは、翔子だからな」


 無邪気に聞いてくる水知へと向けて、告げる。

 今日、笑顔を見せる度に、何度も抱き締めてしまいそうになった少女を前にして、他の女の子と仲良くする宣言をしたことに、心苦しさを覚える。

 水知は驚いているが、全く嫉妬感情は垣間見えない。

 そのことに、少し、少しだけ、寂しく思ってしまう。それでもなんとか、表情を保つことには成功した。

 色々ありすぎて、顔面が麻痺してしまっているのかもしれない。

 自分の感情に気付いてしまったのも、この瞬間だった。

 ――俺は、水知に惚れている。

 ……もう、今更、そんなことは、言えない。










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