ハーレム三人目②
土曜日、昴は底抜けに青い空を見上げていた。
眩しい陽射しに目を細める。雲の一つも見当たらない。
制服の衣替えも間近、半袖でくればよかったなと思う生暖かい空気を肌に感じる。十時の待ち合わせに現れた女の子は、ぴっちりと着込んだブレザー制服姿だった。見ているだけで暑苦しい。
「こんにちは佐藤くん! 今日はあの、よろしくお願いします!」
昴の元に駆け寄ってきた女の子、宮代翔子は深く腰を折り、丁寧なお辞儀をしてきた。
駅前ロータリー広場は閑散としているが、人の目が気になって仕方ない。息を弾ませている翔子を見ると、昴の緊張は一気に高まっていた。
「休みの日まで制服か」
昴はわざとらしく舌打ちし、口先で小さく呟いた。
翔子の分厚い黒フレームの眼鏡と、野暮ったく長い三つ編みもやはり変わらず。それでも数日前に晴れて友達になった翔子を前にすると、本音は心が躍って仕方ない。はじめて出来た、異性の友達だ。
翔子の方は昴の小声に気付かなかったのか、顔を上げて昴を見つめてきた。その頬はほのかに染まっている。
「な、なんかこういうのって、緊張しますね……なんていうか、そのー……」
翔子が言わんとしていることは、なんとなく理解できた。
昴は座っていたベンチから腰を上げ、凝り固まった背筋を伸ばす。実際、緊張度では翔子を勝っている自信がある。神経が張り詰めているあまりに、一睡も出来なかった。一時間も早く待ち合わせ場所に来てしまった。
「デートみたいだな」
昴が自然を装って言ってみると、翔子の顔が更にヒートアップした。
「ちちち違いますよ!? そういうつもりで誘ったわけじゃぁ!」
「分かってるそんなことは」
翔子から『せっかく友達になったのだし、二人で遊びに行きませんか!?』とお誘いがあったのは、一昨日のこと。
その日は美園と初めて会った日であり、水知を初めて泣かせてしまった日であり、翔子と友達になった日だ。ついでにバイトをさぼった日でもある。あまりの出来事の連続で、呆然と自室に戻った昴は、翔子に折り返し電話をする約束をしていたことを思い出した。
電話してみると、すでに友達ということになっていた。そして何故か、翔子の声は浮かれていた。
『外で遊んでみるのも、楽しいと思うんです! ほら、友達って一緒に遊びに出かけますよね。友達ですから、二人で出かけるお誘いをするのは、変なことじゃないです。友達ですからね』
言い訳がましい言葉を繰り返す翔子の目論見が読めた。家にこもっている昴を外に連れ出して、外の楽しさを教えようというところだろう。翔子が昴を学校に連れ出したいという気持ちは、言葉に出さずともヒシヒシと伝わってくる。
お節介な副委員長だ、と横目で翔子を見遣る。翔子はきょろきょろと周囲を見ながら、口の端がむずむずと動いている。表情が緩んでしまいそうになるのを、必死で引き締めている様子だ。何がそんなに楽しいのだろうか。
「どこに行きましょうか。駅前くらいしか何もありませんし、この辺りで何か探しましょうか」
翔子が足取り軽く、歩き出す。昴は横に並び、歩調を合わせた。
「お昼にはまだ早いですよね。佐藤君は、どういった場所が好きですか? ショッピング? カラオケ? ゲームセンター? 映画? それともアウトドア派ですかね? 男の子とのお出かけなんて初めてなので、結局何も思いつかなくて」
「俺だって初めてだ。副委員長の行きたいところでいい」
「私の行きたいところですか……あ、あのあのあのその、ゲームセンターとかとかとか!」
「なんでそんな壊れてるんだ。でも意外だな、副委員長がゲーセンとか行くんだ」
「決して、決してプ、ププププリクラとかが目的なわけでは――」
「よしゲームセンター行くぞ」
昴は翔子の言葉を遮り、先に立って歩き出す。眼鏡を光らせ、早足に目的の場所へと向かう。
ゲームセンターには、昴が手を伸ばしても決して届かなかった、憧れの聖地があるということを忘れていた。プリクラコーナーという聖地が。手に入れたプリクラは私物やら手帳やらに貼って、楽しむも良し。そのまま取っておいて、ことあるごとに見返して不気味な笑みを浮かべるも良し。なんという素敵な友達アイテム。
駅前に雑居に並ぶ建物の中に、ゲームセンターを発見した。更に足が速まる。
一人じゃない。産まれて初めて友達の証が手に入る……!
――情熱の炎を燃やした般若のような昴と、青ざめた翔子のプリクラが出来上がった。
その後も、昴は翔子を引き連れて一通りゲームを堪能した。二人でゲームをするなんて状況が初めてな昴は、分かりにくくはしゃぎ、とにかくゲームをするという情熱一点に燃えに燃えまくっていた。
……数時間後。
昴はプリクラをしっかりと手に持って、満足気にゲームセンターを出た。翔子が戦い終えた兵士のようにげっそりと後から出てくる。
「そろそろお腹が空きましたよね。少し休みましょうそうしましょう。何が食べたいですか?」
「副委員長の行きたいところでいい」
「……で、ではそこらへんのファーストフード店で済ませましょうか」
昴はよろよろと歩き出す翔子についていく。
本屋の前を通りかかった時、そういえば翔子と本屋で会ったことを思い出す。
「副委員長はやっぱり本屋が好きなのか? 参考書とか似合いそうだな」
翔子が足を止めて、横に立つ昴を見遣ってきた。少し不機嫌そうに見える。
「佐藤君はグラビア雑誌がお似合いですよね」
嫌味っぽく言われ、鳥居美園のことを思い出した。一昨日の不可解な美園の行動は一体なんだったのだろう、と首を捻るばかりだ。
「なぁ副委員長」
「なんでしょうか」
「鳥居美園って、俺たちの学校の一年生なんだよな?」
「はい。そうですけど」
「潮水知と何か関係があったりするのか?」
聞くと、翔子はわずかに首をかしげる。
「さぁ? そんな話は聞いたことないですけど。なんでですか?」
「美園が、水知の家に来たんだ。なんか、水知のことを探ってる風だったな」
昴が言ってみると、翔子はしばらく考え込んでから、顔を上げてきた。
「……鳥居美園さんが、潮水知さんを気にしているとしたら、学校の噂が関連しているのではないでしょうか」
「学校の噂?」
「はい。今年の一年生で鳥居美園さんは注目株で、当然のように学校でもアイドルとして君臨しています。けど、派閥みたいなものができあがっているんです。入学式一日だけ来た女の子、潮水知さんのファンクラブと、鳥居美園さんファンクラブで」
「まじか」
昴は口が開いたままになってしまった。
確かに水知は絶世の美少女だ。何度も見惚れてしまうほどに、不思議な魅力を持っている。しかし入学式一日だけで、そんなにも生徒たちから注目を浴びる存在になっていたとは驚きを隠せない。
「だから、鳥居さんが気にしているとしたら、その辺りなのかなぁ、と。私の勝手な予想ですけど」
「まぁ、ありうるよな」
美園の性格を思い起こしてみても、プライドが高く、常に自分が注目を浴びていたいタイプに見てとれた。人気が二分してしまっていることが許せない、ということか。
昴は肩をすくめる。女子の感情は理解しがたい。
「……二人のことは名前で呼ぶんですね」
翔子が小声でぽつり、と呟いてきた。昴には何のことなのか分からなかったので、ただの独り言だろう、と片付けておく。再び歩き出した翔子を追いかける。
「……」
「……」
何故かぎこちない空気が漂っている。昴はどう話しかけたらいいか分からずに、ただ翔子の背中を見つめる。
翔子の背中は先を急いでいる様子だった。若干肩が怒っているように見える。昴は無言で後を追った。
と、唐突に翔子が立ち止まり、振り返ってきた。
口をへの字に曲げて、昴を見据えてきた。間近で目が合う。
「佐藤君は、とっても鈍い人だと思います!」
「……は?」
「それに、なんだか勘違いさせることをたくさん言ってくるので、ずるいです!」
「何を突然怒ってるんだ?」
「どうせ私は、参考書がお似合いの副委員長です!」
昴としては、困惑するしかない。
翔子は顔を真っ赤にして、ふるふると震えていた。しばらくその睨みあいが続いた後。
ぷしゅぅ、と翔子から蒸気が抜けていった。
「ごめんなさい何を言ってるんでしょうか私……意味がわかりませんよね」
「確かに意味がわからん」
頷くと、翔子が諦めたように溜め息を吐く。
「でも、でもですね。佐藤君はもうちょっと色々気付くべきだと思います。入学式のことにしたって、潮さんはきっとすごく感謝してるだろうし。みんなも、佐藤君のことを悪く思ってなんかいません。それが原因で学校に来なくなったんだったとしたら、やっぱり私は佐藤君に学校に来てほしいです」
「水知が感謝してる?」
「ほら、やっぱり気付いてないんですね。佐藤君、入学式の日、潮さんを助けたじゃないですか」
「……俺が、水知を、助けた?」
昴はわけがわからず、思考がこんがらがってしまう。
とりあえず、記憶を掘り起こしてみることにする。
思い出したくもない忌まわしい記憶だったので、半ば封印してしまっていた、入学式の日の記憶を――
***
『昴、私とお父さん、どっちと一緒に住むの? ずっと育ててあげたのは私よね?』
そんな言葉を平気な顔して吐き出してきた母親。
『さっさと決めてくれ。新しい住む場所の手配もしなければならないし、引越しの準備もあるんだ』
こちらを一度も見ようとしない父親。
――そんな前日の出来事もあって、昴はその日とても気分が悪かった。
新一年生の入学式だというのは知っていたが、気だるさが勝って遅刻してきた。駐輪場に原付を停めて周囲を見渡してみても人気は全くない。
既に全校生徒は体育館内に移動し終え、入学式は始まっているようだった。
在校生の始業式は、既に数日前に行われている。昴は自分の新しいクラスとなった教室に行って、カバンを置く。教室にも廊下にも誰一人姿がない。どうせ話す相手なんていない。話し方も分からない。
昴は体育館シューズに履き替え、憂鬱な足取りで体育館へと向う。二階渡り廊下を過ぎ、階段を降りていくと体育館の入り口は目の前だ。
「なんで入れてくれないんだよー」
そんな声が聞こえてきて、昴は階段を降りきる前に顔を上げる。
教師と、どうやら女生徒がいた。どうやらというのは、首から下が女の子のブレザー制服だったからだ。首から上は、紙袋を頭から被っている。
紙袋だった。紙袋女だった。
あまりの怪しげな人物を前に、昴は呆然と立ち止まった。
紙袋女の前にいる教師は、昴の担任であることに気付く。嫌味っぽい顔立ちの中年教師は、紙袋女の前に立ちはだかり、険しい顔を見せている。
「その紙袋を頭から外せ! そんなふざけた恰好で式に参加できるわけがないだろうが!」
「だって恥ずかしいじゃないか。なるべく目立ちたくないし」
「紙袋をかぶっている時点で、お前は朝からずっと注目の的だ!」
「やっぱりダメ。無理。緊張で吐きそう。人間の前に顔を出すの、はじめてなんだよ」
目の部分にだけ小さく穴を開けている女の子の声は、紙袋越しでもごもごとくぐもっている。
「わけがわからんことを! いいから外しなさい!」
体育館の入り口はわずかに開いている。
入学式は行われている様子だが、生徒たちは体育館の入り口で悶着している二人に注目してしまっている。ざわざわと騒がしく、視線は集中している。
教師が手を伸ばして、無理に女の子の紙袋を取ろうとしたのを見て。
「邪魔だよお前ら」
咄嗟に、昴は声を上げていた。
教師が女の子へと伸ばしかけた手を止め、視線が昴へと移動した。昴の姿に気付き、わかりやすいくらい不快感を露にしてくる。
「佐藤、なんのつもりだお前は。遅刻してきた上に教師に口出しするのか」
「さっさと退けよ。入れないだろ」
昴は教師の蔑みの眼差しにも物怖じせず、階段を降りていく。
下までたどり着くと、紙袋の女の子がじっと自分を見ていた。不気味だ。教師の顔は怒りで真っ赤になっている。
「ほら、お前も行くぞ。入学式はじまってる」
昴が言うと、教師が女の子の紙袋を鷲掴んだ。
「あぅっ」
女の子が悲鳴を上げる。
「さっさと外せ――っ!?」
昴は、教師の手首を掴み、女の子から引き剥がした。力の限りに捻りあげる。
教師の憎悪すら込められた瞳が、近くにあった。昴も睨みあげる。担任になった時から、ソリが合わないと思っていたのだ。
「佐藤、貴様……」
「何だよ」
「孤独な俺カッコイイとか思ってるのかお前は。一匹狼気取りで、クラス連中から浮きやがって。これから一年間、貴様と付き合わんとならんと思うと、ゾッとする」
「……」
間近で囁くように毒を吐いてくる教師に、吐き気を催した。
「お前みたいな異分子は俺のクラスに必要ない。まぁ、お前は俺のクラスどころか、両親にすら見放されているみたいだけどな」
その瞬間、頭に一気に血が昇っていき。
昴は、教師を思い切り殴っていた。
***
「あ」
思い出した途端、すぐに思い当たった。
「……もしかして、入学式の時の紙袋女が水知か?」
「もしかしなくても、そうなんです」
翔子に突っ込まれて、昴は愕然とした。昴は紙袋女を助けたつもりなど毛頭ない。ただ目の前にいて邪魔だった教師とケンカしただけだ。教師を殴った後、昴は結局家に帰った。一週間の停学処分となったのだが、結局停学期間が明けた後も、昴は学校に行っていない。
不登校のキッカケと言えばキッカケだが。昴はただ親への抵抗をしているだけなのかもしれない。
「潮さんはその後、紙袋を取って入学式に出ました。ずっと頑なだったのに、佐藤君が帰った後はけっこうあっさり顔を出してました。すごくキレイな女の子で、みんな見惚れてましたよ。何故か潮さん自身も、ぼんやりしてて。結局次の日から、来なくなっちゃったんですけどね」
「……ふーん」
コンビニの駐車場が、最初の出会いではなかったということか。
その事実が分かったとしても、昴にとって水知が不思議少女であることに変わりはない。
昴は手に持つプリクラを、見下ろしていた。
水知は、学校に行きたくても、行けないのだ。こんな風に、自分の様に誰かとプリクラを撮ることだって。友達と遊ぶことすら、出来ない。
「あいつは、外で遊びたいのかな」
「もちろんです。佐藤君と一緒に学校に行くのが、潮さんの望みなんですよ」
「……やけに詳しいな」
「き、気のせいです」
翔子はそそくさと早足で、昴の先を行ってしまった。ファーストフード店は目の前だ。
見上げる空は、先ほどと変わらない雲一つない晴天だった。
何度も空を確認してしまうのは、ここ最近の癖になっている。
毎日雨が降らないことを祈っている。それなのに。
青空を見ては、溜め息がこぼれていた。