怠惰スキルの追放令嬢、健康ランドを作ります。
教会の石の床は、足の裏からじわじわと体温を奪っていく。そんなことを考えていたのは、たぶん現実逃避だった。
「スキル判定の結果を告げます」
司祭様が水晶板を見つめたまま、顔をこわばらせている。……あれ。なんか、嫌な予感しかしないんだけど。
「ミレイユ・アルトナー嬢のスキルは……【怠惰】」
礼拝堂が、しんと静まった。次の瞬間、ざわっと空気が割れた。
「七つの大罪……」
「あの暗殺者どもが使っていた……」
「よりによって伯爵家のご令嬢が」
ひそひそ声が、全部聞こえている。たぶん、聞こえるように言っている。
……怠惰。
怠惰って、あの怠惰?
私は水晶板の隣で、ぽかんと立ち尽くした。強いとか弱いとか以前に、誰もが顔をしかめるやつを引いてしまったらしい。
三日後。応接間。向かいに座った婚約者のエドガー様は、紅茶に口もつけず、紙を一枚、机に置いた。
「ミレイユ嬢。非常に残念だが、この婚約は白紙に戻させていただきたい」
「……はい?」
「【怠惰】は、かつて兵士や護衛の気力を奪うために使われたスキルだ。我が家としては、その、危険を抱え込むわけにはいかなくてね」
声は丁寧。顔は、もう終わった話をしている顔だった。
「ご理解いただけて助かります」
まだ何も言ってないんだけど。
いや、わかる。政略結婚だ。愛とかない。私も彼も、家同士の紙切れに名前を書いただけだ。
でもさ。
三年、婚約してたよね? 月に一度はお茶もしたよね? 私が焼いたクッキー、全部食べたよね?
もうちょっとこう、惜しむとか、ないの?
「では、そういうことで」
エドガー様は、見事な速さで席を立った。
……軽い。
私の三年は、紅茶が冷める間もなく片付けられた。
その夜、父の書斎に呼ばれた。
「ミレイユ。お前に、領地を一つ譲る」
机に広げられた地図の端っこ。王国の北の北、山の影に、ぽつんと点がある。
「……これ、飛び地ですよね」
「ああ、ベルガ領だ。寒冷で岩が多く、作物は育たん。だが、誰にも干渉されん。支度金も十分に用意した。ロッテをはじめ、側仕えも三人つける」
母が、そっと私の手を握った。
「あなたが一人でも困らないように、というお父様のお考えなのよ」
わかっている。頭では、わかっているのだ。でも、頭の隅にいるもう一人の私が言う。
――要するに、遠くへやるってことでしょ?
「……承知いたしました」
笑顔で頭を下げた。我ながら完璧な貴族の笑顔だった。部屋を出てから、廊下の壁を軽く蹴った。
放逐だ。これは放逐だ。優しい言い方をしてあるだけの、放逐だ。
* * *
馬車で七日。窓の外は、どんどん色を失っていった。緑がなくなり、茶色になり、灰色になり、最後は岩と雪。
「お嬢様、寒くはございませんか」
「寒い。すごく寒い」
側仕えのロッテが、毛布をもう一枚かけてくれる。赤毛にそばかすの十八歳。私が七歳の頃からそばにいる子で、今回「ついていきます」と真っ先に手を挙げてくれたのも彼女だった。ありがたい。ありがたいけど、馬車の外が地獄みたいなので、感謝より寒さが勝つ。
ベルガ領に着いたのは、昼過ぎだった。
「…………」
馬車を降りて、言葉を失った。岩。岩。岩。ところどころに雪。痩せた草が少し。石積みの家が十数軒。煙突から細い煙が上がっているのが、唯一の生活感だ。
そして、その背後。
どん、と巨大な山がそびえていた。頂上から、白い煙がゆるゆると立ち上っている。火山だ。
遠巻きに、村の人たちがこちらを見ている。
「あれが新しい領主様か」
「あの、大罪の……」
噂は、私より先に着いていたらしい。
私は火山を睨んだ。冷たい風が吹きつける。頬が痛い。指先の感覚がない。
なんで。なんで私が、こんなところで。
「……なにが」
「お嬢様?」
「なにが、怠惰よ!」
声が岩肌に跳ね返って、遠くまで響いた。村人がびくっとする。ロッテも肩を跳ねさせた。
止まらなかった。
「怠惰なら! 私が怠惰に過ごしたいわよ! ごろごろして! おいしいもの食べて! 昼間っからお風呂に入って! そのどこが悪いのよ!」
白い息が荒い。肩で息をしながら、
……お風呂。
自分で叫んだ単語が、頭の中で引っかかった。お風呂。ごろごろ。おいしいもの。昼間から。
……あ。
その瞬間、頭の奥で、何かの蓋が外れた。湯気。畳の休憩所。ぬるくなったコーヒー牛乳。ゆで卵。湯上がりに着る、ゆるゆるの館内着。リクライニングチェアで見た、昼のワイドショー。
私、日本人だった。前世の休日は、だいたい健康ランドで溶けていた。
「……健康ランド」
「は?」
「そうよ、健康ランドよ!」
私は、ロッテの両肩をがしっとつかんだ。
「温泉があって、ごはんがあって、寝っ転がれる場所があるの! 一日中いられるの! あれを、作ればいいんだわ!」
「お、お嬢様、お気を確かに」
「確かよ。人生で今がいちばん確かよ」
そこへ、腰の曲がったおじいさんが、おずおずと近づいてきた。
「あの、領主様。お迎えが遅れまして……村長のマティアスと申します」
「マティアスさん。このへんに、温泉、湧いてません?」
「へ? あ、ああ。山の中腹の窪みに湯だまりがありますが……臭いし、熱いし、近づくと目に染みるので、誰も使っとりません」
「案内してください」
「い、今からですか」
「今すぐ」
窪地は、湯気で白くかすんでいた。岩の隙間から、乳白色のお湯がこぽこぽと湧いている。硫黄の匂いが鼻をつく。
指先を入れてみる。熱い。けど、耐えられない熱さじゃない。
「……とろっとしてる」
「へ?」
「これ、すごくいいお湯よ!」
マティアスさんは、私の顔と湯だまりを交互に見て、ものすごく不安そうな顔をした。大罪スキルの令嬢は、頭までおかしいと思われたかもしれない。いいけど。
その日から、私は動いた。
岩を積んで湯だまりを囲う。湯口の位置を調整して、熱いお湯と冷たい沢の水を混ぜ、ちょうどいい湯加減にする。支度金で買った木材で、簡単な脱衣小屋も建てた。人手は、ロッテと、日当を出して雇った村の若い衆が二人。
「お嬢様、お顔が楽しそうです」
「楽しいわよ。だって、自分が入りたいお風呂を作ってるんだもの」
四日後。出来上がったのは、六人も入ればいっぱいの、小さな岩風呂だった。
「完成!」
「お嬢様、先にどうぞ」
「あなたも入るのよ。ロッテ、一緒に」
雪のちらつく中、湯に肩まで沈む。
「……っ、はあ――――……」
声が出た。令嬢としてどうかというレベルの声だった。じわじわと、指先から感覚が戻ってくる。冷え切った体の芯が、ほどけていく。湯気の向こうには、悠々とそびえる火山。
「……お嬢様」
「なに」
「私、もう戻れません」
「でしょう」
ロッテの顔が、ふにゃふにゃにとろけていた。よし、同志が一人増えた。
* * *
お風呂ができると、次に欲しくなるのはごはんだ。人間は欲が深い。
湯上がりに、何かあったかいものが食べたい。でも、薪が貴重なこの土地で、わざわざ火を起こして調理するのは面倒だし、もったいない。
そんなことを考えながら湯だまりの周りを歩いていたら、岩の割れ目から、しゅうしゅうと白い蒸気が噴き出している場所を見つけた。少し離れたところには、別の湯だまりもあった。
離れたところから手をかざす。それでも熱い。
「……これ、使えるじゃない」
前世の記憶が、ぴこんと閃いた。温泉卵。地獄蒸し。
私は村の鍛冶屋さんに、鉄の網かごを作ってもらった。卵を入れ、紐を結んで、湯だまりにそっと沈める。
ロッテが買ってきたじゃがいもとにんじん、それから少しの干し肉も別の網かごに入れて、蒸気口のそばへ置いた。
「あとは待つだけ」
「火は焚かないんですか」
「焚かない。熱はもう出てるから」
待つ間、私は厚手の敷物を広げて寝そべった。温かい岩の近くは風が当たらなくて、天国だった。
「そろそろかしら」
紐をたぐり寄せ、網かごを引き上げる。まだ熱い卵を、そっと割る。とろり、と半熟の黄身が流れた。塩をひとつまみ。口に入れた瞬間、目をつむった。
「……おいしい……」
「お、お嬢様、私にも」
「はい、あーん」
ロッテの目が、卵一個で潤んだ。
そのとき、視線を感じた。岩陰から、マティアスさんと、村の主婦のマルタさんと、子どもたちが、じーっとこっちを見ている。
いつから。
「…………食べます?」
全員が、ものすごい速さでうなずいた。
蒸気口の網かごを下ろすと、ほくほくと湯気が上がった。じゃがいもが割れて、中が黄色く光っている。
マティアスさんは、蒸したじゃがいもを一口かじって、動かなくなった。
「……薪を、一本も使っとらんのですか」
「ええ、蒸気だけ」
「今年の冬は薪が足りんで、ばあさんが毎晩震えとるんです。買う金もなくて……」
「あ、そうなの……」
私は少し考えた。蒸気は、私が使っていない時間でも、勝手に噴き出している。もったいない。
「じゃあ、使ってください」
「へ?」
「私が使ってない時間なら、いつでも。卵でも、芋でも。網かごも貸します。ただ、やけどには気をつけて。危ないところには柵を作りますね」
「…………」
マティアスさんが固まった。マルタさんが、口に手を当てた。
え、なに。そんなに変なこと言った?
だって、余ってるんだもの。熱が。もったいないじゃない。
「領主様……それは、本当に、よろしいので」
「いいわよ、余ってるし。あ、柵は私が安心して寝たいからなので、お気になさらず」
翌日から、蒸気穴の前には、村人の行列ができた。
そして、ここで予想外のことが起こった。湯上がりの人たちが、みんなとろんとしてくるのだ。
「……なんか、動く気がせんのう」
「ああ、ええ気持ちじゃ……」
ござの上で、マティアスさんが大の字になっていた。
私は、ぎくりとした。
……まさか。私のスキル?
【怠惰】。他人のやる気を下げる、アレ。試しに、意識して切ってみた。使い方は感覚でわかる。スイッチを落とすような感じ。しばらく様子を見る。
……マティアスさん、普通に寝ている。マルタさんも子どもたちも、満腹と湯疲れで、うとうとしている。
次に、軽く入れてみた。
「……あ」
ふわっと、みんなの肩の力が少しだけ抜けた。寝息が、ほんのわずかに深くなった。でも、それだけだった。
「…………効果、しょぼいわね」
世間様が恐れていたスキルの正体は、「ちょっとだけ気が抜ける」だった。お湯、ごはん、あったかい岩の上。眠くなる理由は、だいたい全部そっちで揃っている。
ふうん。私は、くすっと笑った。
「ハズレスキルって言うけど……ここなら、ちょうどいいかもね」
* * *
それから十日ほどで、岩風呂の評判は、村の中をぐるりと一周した。
「領主様、今日も入れてもらえますかのう」
「領主様、うちの子も、いいですか」
「私が入ってない時間ならどうぞ。男の人と女の人は、時間を分けてくださいね」
岩風呂は一つしかないので、昼前は女の人、昼過ぎは男の人、私が入るのは朝と夜、と決めて貸している。……そう決めたはずだった。ところが、順番を待つ人の列が、日に日に長くなった。いつも誰かの順番待ちでふさがっている。
これは困る。非常に困る。自分の時間に入れるとはいえ、順番待ちを割り込んでまでは入りづらい。
「ロッテ。湯船を広げるわ。ついでに、女湯も作るわよ」
「また広げるんですか。……女湯まで?」
「そう。湯船を広げて、男の人と女の人の湯船を分ければ、時間を分けなくても、みんな一度に入れるでしょう? 私も、ゆっくり入りたいし」
「……それは、助かりますね」
「それと、ごはんを食べる場所も作る」
蒸し料理は、今のところ岩陰にござを敷いて食べている。風が吹くと卵に砂がつくし、雪の日は脱衣小屋に人がぎゅうぎゅう詰めだ。
湯上がりくらい、ちゃんと座って、テーブルで、あったかいものをゆっくり食べたい。
それだけだった。
村にただ一人の大工は、ガイルさんという、無口な中年の男だった。
「……食事処、ですか」
「屋根と壁があって、テーブルがあって、蒸気穴のすぐそばで食べられる建物。網かごを置く台は、床より少し高く。穴の真上には、囲いを作ってほしいの」
「蒸気を、小屋に引き込む……?」
「引き込むんじゃなくて、穴の上に屋根をかけるだけ。熱は上に抜けるから、天井の近くに窓をつけて、蒸気がこもらないようにするの。そうすれば、寒い外にいるよりは、ずっと快適でしょう?」
ガイルさんは腕を組んで、蒸気穴をしばらく睨んでいた。……だめかな。変なことを言っているのは、自分でもわかる。
「やってみましょう」
それは、意外にも本気の返事だった。
工事の日は、卵が飛ぶように減った。工賃とは別に、お昼をごちそうすると約束したのだ。「手伝ってくれたら、お昼は私のおごりよ。蒸し野菜と卵と、ほかほかのじゃがいも」と。それだけで、村の男衆が、あっという間に集まった。
「領主様、梁はこっちでいいですかい」
「いいわよ、お任せ」
「領主様、この板は」
「それも任せるわ。私はお昼の担当だから」
私が何をしていたかというと、網かごの番だった。それから、ガイルさんが用意しようとしたテーブルと椅子に、待ったをかけていた。
「椅子はいらないわ。床に座って食べたいの」
「……床に、ですか?」
「そう。お風呂上がりは足を伸ばして、ゆっくりしたいでしょう?」
ガイルさんは、頭を抱えた。それでも、低いテーブルを作ってくれた。座るための藁を詰めたクッションも用意した。
これで、湯上がりにごろごろしながら、ごはんが食べられる。
三日後。蒸気穴の上に、小さな食事処ができた。天井近くの窓から、白い湯気が、ふわっと外へ逃げていく。中は、じんわりあったかい。壁際には長いテーブル。窓際には、私専用の特等席。綿をたっぷり詰めたクッションを持ち込んだ。
「完成!」
最初のお客さんは、村の人たちだった。
食事処の料理は、お金を払って食べる。
ただ、自分で食材を持ち込んで、空いている蒸気穴で蒸して食べてもいいことにした。せっかくの熱を、使わないのはもったいないもの。
料理人は、マルタさんになった。彼女は村一番の料理上手で、網かごの使い方を一度見ただけで覚えてしまった。しかも、勝手にあれこれ工夫し始める。
「領主様、これ、冬の保存食の山菜なんですけど、蒸したじゃがいもとよく合うんですよ」
食べてみた。
「……おいしい!」
「でしょう」
「これ、お品書きに入れましょう」
「おしながき?」
「ええと、この食事処で食べられるものの一覧のこと。板に書いて、壁に掛けるの」
自分でも、何をやっているのかわからないうちに、お品書きの板を作らせていた。
卵。蒸しじゃがいも。蒸し野菜の山菜添え。干し肉の蒸し煮。ほんの数品。でも、壁に掛かると、急に「お店」っぽくなった。
「領主様、字が読めない者も多いんで、絵も描いてもらえませんか」
「あ、そうか。じゃあ、ロッテ、卵の絵、描ける?」
「お、お任せください!」
ロッテが描いた卵には、なぜか目と口がついていた。……まあ、いいか。村の子どもたちには、大人気だった。
その夜、食事処は満員だった。天井の梁へ、湯気とお喋りが立ち上る。誰かが歌い出して、誰かが笑って、窓の外の雪の寒さなんて、全部どこかへ行ってしまった。
私は特等席で、蒸した芋をほおばりながら、満足してうなずいた。
うん。これこれ。これが欲しかったのだ。
* * *
食事処ができてしばらくすると、私はまた、新しい不満を見つけた。
冬の寝心地だ。
湯上がりに、藁のござの上でごろんとする。気持ちいい。でも、床が冷たい。せっかくぽかぽかになった体が、じわじわと冷えていく。
「……もったいない」
「また、もったいない、ですか」
「だって、せっかく温まったのよ? 冷ましたくないの。床自体があったかければいいのに」
そう言って、はたと気づいた。前世の、あの床。ほかほかして、背中までじんわり温まる、あの床。
あれ、温泉のお湯を床の下に通せば、できるんじゃない?
「ロッテ!」
「は、はい」
「床の下に、お湯を通すわよ」
「床の……下に」
ロッテが目を丸くした。
まず相談したのは、鍛冶屋のオットーさんだった。湯口から休憩所まで、お湯を引く道がいる。鉄の管は高くつくから、石を組んで溝を作ることにした。
一回目は、失敗した。
溝にお湯をそのまま流して、その上に板を敷いたら、板がじゅうっと音を立てて反り返った。熱すぎたのだ。
「あち! あちちち!」
「お嬢様、足の裏が真っ赤です」
「……うん。ごめん。これは私が悪い」
原因はわかっている。湯口から、熱いお湯を直接流しすぎたのだ。
そこで、お湯をいったん小さな池に溜めて冷ますことにした。池の水は、手で触って「熱い」と感じない程度。そこから溝へ流す。
二回目は、漏れた。
石の継ぎ目からお湯がにじんで、床下がぐちゃぐちゃになり、藁のござがびしょびしょになった。
「領主様……これは」
「……漏れたわね」
「漏れましたな」
ガイルさんが、無言で石の隙間に粘土を詰めてくれた。助かる。この人は、いつも無言で仕事を引き受けてくれる。
三回目。
石の溝の上に、厚い石板を敷く。その上に木の床板。さらにその上に、ござ。池で冷ましたお湯を、ゆっくり、ゆっくり、床下へ流す。
一日、様子を見た。二日、様子を見た。三日目の朝、床に手のひらを置いた。
「…………」
あったかい。熱すぎず、ぬるすぎず、日なたの岩みたいな、じんわりしたあたたかさ。
夜、村の人たちを休憩所に集めた。
「ござの上に座ってみて」
最初に座ったのは、子どもたちだった。
「……あったかい」
「あったかい! 地面があったかい!」
子どもたちが、ござの上でごろごろ転がり始めた。大人たちも、おそるおそる座って、そして固まった。
「……こりゃあ」
マティアスさんが、足を投げ出して天井を仰いだ。
「…………冬が、冬じゃない」
私は、ござの隅っこで、すでにごろごろしていた。
「でしょう。寝転がると、さらにいいわよ」
「領主様。足の裏からじんわり……ばあさんの冷え性に、いいかもしれんのう」
「そうでしょうそうでしょう」
その晩、休憩所は、村人たちの寝息でいっぱいになった。家に帰らず、そのまま寝てしまった人が、七、八人。私も、その一人だった。
翌朝、目を覚ますと、隣でマルタさんが寝ていて、その向こうに子どもが三人、団子みたいに丸まっていた。
「……って、あれ」
私の寝る場所、なくない?
その日のうちに、私はガイルさんに頼んだ。
「休憩所、倍に広げて。それから、私用の隅っこを、衝立で囲って」
ガイルさんは、無言でうなずいた。
「あと、枕。ふかふかの枕が欲しいの」
無言で、うなずいた。
それ以来、休憩所は、冬の夜に一番あったかい場所になった。薪をたくさん使わなくても、夜中に寒くて目が覚めることが減ったらしい。昼になると、村のおばあさんたちが集まって、床にあぐらをかいてお喋りをするようになった。子どもたちは、床の上で石を並べて遊ぶようになった。
ついでに、食事処の床にも、同じ仕組みを入れてもらった。湯上がりにあたたかい床でごろごろするのもいいけれど、ごはんを食べるときだって、足元が冷えないほうがいい。
マティアスさんは、湯上がりに、足を伸ばして居眠りをしながら、ぼそっと言った。
「領主様、ここに来てから、朝起きても、体がこわばっとらんのですわい」
「それはよかったですね。私も、ぐっすり寝られるようになったので」
私が欲しくて作ったものが、そのまま、みんなの冬の居場所になっていた。まあ、いいか。みんな気持ちよさそうだし。
* * *
雪解けの頃、見慣れない荷馬車が、村に入ってきた。
「噂の温泉ってのは、ここかい?」
行商人のおじさんだった。隣村で聞いたらしい。「ベルガ領の湯がすごい」「蒸し料理がうまい」「床があったかくて、寝ちまう」と、人の口から口へ、順番に。
それからは、早かった。猟師、荷運びの親方、街道を通る旅人。毎日、見たことのない顔が増えていく。
私が入りたいときに入れないのは困るので、露天風呂を広げた。食事処も、窓際の席を確保できるように、テーブルを増やした。
ただ、一つだけ、どうしても気になることがあった。
「……お客さんの服よ」
湯上がりの休憩所を見渡して、私はため息をついた。濡れた服を着直す人。汗ばんだ体にぴったりした上着を着込む人。ベルトで締め上げたまま寝転がる人。
そして、私もだ。貴族令嬢のドレスは、背中にボタンが二十個ある。コルセットもある。湯上がりにそれを着るなんて、拷問だ。そのくせ、ごろごろしたいなら、着替えるしかない。
ここ数か月、私は毎日、ドレスを着て、脱いで、着て、脱いでいた。
「ロッテ。ゆったりして、ふわっとして、頭からすぽんと被れる服が欲しいの」
「ゆったり……寝間着ですか?」
「違う。外にも出られて、でも楽で、お風呂上がりにそのまま食べて寝られる服」
ロッテが首をかしげる。私は、前世の記憶を引っ張り出した。常夏の島。観光客がみんな着ていた、あの――
「ムームーよ」
「むーむー?」
「ふんわりした、ワンピースみたいなの。花柄で、色とりどりの」
布屋の女将さんを呼んで、絵を描いて説明した。肩から裾までストンと落ちる、袖付きのワンピース。腰は締めない。軽い木綿。そして花。大きな花。赤、黄色、青、思い切りカラフルに。
「領主様、これ、派手すぎでは……」
「派手でいいの。気分が上がるでしょう」
「男の人用は?」
あ。
「……アロハシャツ」
「あろは?」
「前開きで、ゆったりした半袖の。柄は、同じく花とか、鳥とか、派手なやつ」
女将さんは真顔だった。
「領主様、それは、人前で着られるものなのですか」
「着られるのよ。ここでは」
三日後、試作品が届いた。着てみた。……最高だった。
「ふ、ふわあぁ……」
風がスカートの内側を抜けていく。締めつけがない。肩が軽い。何より、動ける。座れる。寝転がれる。
「ロッテも、ほら」
「は、はい……こ、これは、確かに……」
ロッテが、鏡の前で固まっている。ひまわり柄のムームーを着た、赤毛の彼女。
「……かわいい」
「でしょ」
自分でも驚くほど似合っていた。
その日の夕方、休憩所に貼り紙を出した。
『湯上がりには、お好きな館内着をどうぞ(無料貸出)』
最初に着たのは、マルタさんだった。
「あらぁ、これ楽ねえ! 帯もいらないし、洗うのも簡単だわ!」
次に、猟師のおじさんが、腕組みして貼り紙を睨んだ。
「……俺は、そんな派手なもんは」
「そうですか。じゃあ、普通の服で」
「…………ちょっとだけ、着てみるか」
それで、猟師のおじさんは、赤い鳥柄のアロハを着て、鏡の前でしばらく動かなかった。
「…………悪くねえ」
最後に、マティアスさんが、緑の鳥柄のアロハを着て、口をぱくぱくさせた。
「……わ、わしが、これを」
「似合ってますよ」
「……おお、悪くないのう」
三日もたたないうちに、休憩所のござの上は、色とりどりの花と鳥でいっぱいになった。遠くから見ると、お花畑みたいだ。
「……いい眺め」
行商人のおじさんは、アロハを三着買って帰った。「向こうで売ってみる」とのことだった。
私は、満足してうなずいた。自分が楽な服を着たかっただけなのに、みんな楽しそうだ。まあ、いいか。
ふあ、とあくびが出た。私は、いつものようにござの上で大の字になった。
* * *
春が来て、雪が解けると、山の斜面に、小さな緑が顔を出した。私は相変わらず、休憩所と食事処と湯船を、ぐるぐる往復していた。
その日の朝ごはんは、堅くなった黒パンだった。旅人が置いていった余りで、石みたいに固い。
「……これは、さすがに歯が立たないわね」
ふと思いついて、網かごに入れてみた。蒸気の出る穴の隣に置いて、蓋をして、待つ。
十分後。湯気の向こうから出てきた黒パンは、ふわっと柔らかく、しっとりしていた。
「……おお」
ちぎって、口に入れる。もちもち。ほんのり甘い。堅かったパンが、別物になった。
「ロッテ、これ、いけるわよ」
「本当ですね! お嬢様、すごいです!」
「すごくないわよ。蒸しただけ」
私は、朝ごはんを食べながら、窓際の特等席でごろごろしていた。その様子を、マルタさんがじっと見ていたことに、私は気づいていなかった。
それから、半月ほどたった。食事処の厨房が、妙に騒がしい。子どもたちの笑い声。マティアスさんのおばあさんの声。マルタさんの「もう少し、水を足して」という声。どうやら、みんなで何か作っているらしい。
「……なんだろう」
気にはなったけど、のぞきに行くのも面倒だったので、私は休憩所でごろごろしていた。
ある朝のこと。
「領主様、領主様! 起きとりますか!」
「……起きてない」
「起きとってください。これを、いちばんに食べてほしくて」
マティアスさんだった。息を切らせている。目を開けると、マティアスさんが、両手で大きな網かごを抱えて立っていた。中には、湯気の立つ、白くて丸いものが、ぎっしり。
「これは……?」
「蒸しパンです」
「蒸しパン?」
「小麦と山羊の乳と、干しぶどうを混ぜて、蒸気で蒸したんですわい。領主様が、堅くなったパンを蒸して食べておられたでしょう。あれを見て、マルタさんが、生地から蒸したらどうかと思いついて」
マティアスさんは、ちょっと照れたように頭をかいた。
「うちのばあさんも、子どもらも、あれこれ試して。何回も失敗して、やっと、これができたんですわい」
「みんなで作ったの?」
「はい。それで、ばあさんが言うんです。これは、領主様に、いちばんに食べてもらわんと、始まらんと」
私は、起き上がって、中をのぞいた。ふっくらした白い丸。ところどころに、干しぶどうの紫が透けている。
「領主様。この村は、冬は毎年、ひもじかったんです」
マティアスさんが、網かごを抱えたまま、ぽつりと言った。
「ほんの少しの麦粥と、たまに干し肉で、春まで我慢して。腹いっぱい食べて、ぐっすり寝られる冬なんぞ、何十年もなかった。……それが今年は違う。それだけで、わしらは、もう」
「そうなの」
私は、とりあえず、蒸しパンを一つ取った。ふわっ。あったかい。手のひらの中で、ぽよんと弾む。
一口。
「……っ!」
もちもち。ほんのり甘い。干しぶどうの酸味が、あとから追いかけてくる。そして、湯気の匂い。
「……おいしい!」
「おお……」
「これ、おいしい! マティアスさん、これ、すごくおいしい! ふわふわで、あったかくて、干しぶどうがいい!」
気づけば、二個目に手が伸びていた。
「ねえ、これ、もっと作れない?」
「へ?」
「朝ごはんにしたいの! 毎朝! あと、湯上がりにも! あ、色んな味も欲しいわね。芋とか、かぼちゃとか、チーズ入りとか!」
「ほ、ほう、もっと、ですか」
マティアスさんの目が、ぱちぱちと瞬いた。それから、くしゃっと笑った。
「……はい。ばあさんに、伝えます」
それだけ言って、マティアスさんは、満足そうに帰っていった。
私は、三個目を食べながら考えた。蒸しパン、お品書きに入れよう。
それから三日もたたないうちに、蒸しパンは、食事処の一番人気になった。かぼちゃ入り。芋入り。山羊のチーズ入り。子どもたちが考えた、蜂蜜を垂らしたやつ。毎日、種類が増えていく。旅の人たちは、帰りに蒸しパンを包んでもらうようになった。
名物ができたらしい。……私は、何もしてないんだけど。まあ、おいしいから、いいか。
* * *
春も深まった、ある日の昼下がり。休憩所の入口が、急に騒がしくなった。
「お客さんかしら」
大の字のまま顔を上げると、ガシャガシャと鎧の音を立てて、泥だらけの集団が入ってきた。
十数人の騎士。鎧を着たまま、肩を落として歩いている者もいれば、脚をかばうように歩いている者もいる。先頭には、日に焼けた若い騎士。その後ろに、一人だけ背の高い男が、むっつりと立っていた。
三十歳前後。銀灰色の短髪。眉間に、見事な皺。鎧は誰よりも傷だらけなのに、背筋だけは定規みたいにまっすぐだ。
「領主殿はおられるか」
低い声。
「……私ですけど」
ござの上から手を挙げた。しん、と静まった。騎士たちの視線が、私をゆっくり上から下まで往復する。
私は今、ひまわり柄のムームーを着て、枕を抱いて、頬にござの跡がついている。
……あ。
「失礼した」
男が、姿勢を正した。
「王国第三騎士団長、ヴァルター・グランツと申す。国境任務の帰りだ。休養のため、こちらを利用したい」
「あ、はい。いらっしゃいませ」
私は枕を置いて起き上がった。
「ええと、まず、鎧と靴は脱いでください。奥は、湯上がりのお客さんが寝転がるので」
「鎧を……? しかし、我々は任務中で――」
「団長」
若い騎士が、そっと割って入った。副団長のハンスというらしい。二十代半ばの、人懐っこい笑顔の青年だ。
「教会の治療は終わっています。報告も済んでいます。今日は、団長の休養です」
「私は問題ない。負傷した者を優先して――」
「負傷者は、全員昨日のうちに休ませました。残ってるのは団長だけです。三日、寝てないでしょう」
「……」
「右肩、上がらないでしょう」
ヴァルター団長は、無言になった。
ハンスが、小声で私に言う。
「教会の回復スキルで、傷は全部治ったんです。でも団長、ずっと緊張が抜けなくて……筋肉が固まって、夜も眠れないんですよ」
あー。わかる。傷は治っても、疲れは残る。体の傷が塞がったからって、凝り固まった筋肉までほぐれるわけじゃない。前世の私が毎週末通っていた理由と、まったく同じだ。
「では、お風呂に行きましょう」
私は、貸出用の棚から一着取り出した。
「着替えは、こちらです」
深い藍色の地に、大きな白い花が散った、アロハシャツ。それに、ゆったりした綿のズボン。
団長の目が、それを見た。三秒、動かなかった。
「……これは」
「館内着です」
「……私が、これを?」
「皆さん、そうですよ」
私は休憩所を指した。ござの上には、花柄とアロハで寝転がる客たち。猟師も、荷運びも、村の子どもも、見知らぬ旅の商人も。
団長は、その光景をしばらく見つめていた。
「……商人と、猟師と、子どもが、同じ服で」
「ええ」
「身分も、年齢も、わからない」
「そうですね。洗い替えも楽ですし」
「…………」
団長が、口元に手を当てた。
「なるほど。ここでは、立場を脱ぐのか」
「は?」
「肩書きも、鎧も、位も置いて、ただ一人の人間として休む。そのための装いなのだな」
「いえ、あの、楽だからです」
「謙遜は不要だ、領主殿」
「いや、本当に――」
ハンスが、必死に笑いをこらえている。
……いや、ええと。ただ、ドレスの背中のボタンが二十個あるのが嫌だっただけなんだけど。
団長は、それでも真面目に着替えて、真面目に温泉へ向かっていった。
着替えた姿は、意外なほど似合っていた。アロハシャツの一番上のボタンまできっちり留めて、背筋をまっすぐに伸ばして、鍛えた腕を組んで歩く。
ものすごく、真面目なアロハだった。
一時間後。食事処で再会した団長は、顔が赤かった。眉間の皺が、ほんの少しだけ薄い。
「……肩が、上がる」
「え?」
「三週間ぶりに、腕が上がった」
団長は、右腕をゆっくり持ち上げて、他人の腕を見るみたいに感心している。
「よかったですね。はい、温泉卵です」
「……卵?」
「蒸気で作ってるんです。ほら、こっち」
団長を案内して、蒸気穴を見せる。ちょうど、マルタさんたちが網かごを並べているところだった。
団長は、じっと見ていた。
「この熱は、領民も使っているのか」
「ええ。私が使ってない時間なら、自由にって。余ってるので」
「薪を節約し、民の暮らしを助けるために、領主自ら設備を開放しているのか」
「いえ、あの、熱がもったいなくて」
「冬を越すための燃料は、命に関わる。それを――」
「もったいなくて……」
団長は、ものすごく真剣な顔でうなずいた。……絶対に、伝わっていない。
「蒸しパンもどうぞ。うちの名物です」
「蒸しパン……?」
団長が、湯気の立つ白い塊を、おそるおそる口に運んだ。
一口。眉間の皺が、ふっと消えた。
「……うまい」
「でしょう」
「甘い。柔らかい。……これは、誰が?」
「村の人たちです。私は何もしてません」
「そうか」
団長は、もう一口食べた。それから、またもう一口。気づけば、皿の半分がなくなっていた。
最後に、団長を休憩所へ案内した。床下に温泉を通した、ぽかぽかのござ。窓から差し込む午後の光。花柄のムームーやアロハシャツを着た村人たちが、思い思いにくつろいでいる。
「ここで、ご自由にお休みください」
「……こんなところで、寝ていいのか」
「はい。休憩所なので」
「休憩所……」
団長は、しばらく黙っていた。
「領主殿は、普段、どこで休んでいる」
「あ、私は、あの窓際の隅っこです。一番日当たりがよくて」
「……領主自ら、最も良い場所で休む。休む者の手本を示しているのか」
「いえ、ただの昼寝です」
「…………」
団長が、何か言いたげに口を開いて、閉じた。
それから、ござの上へ慎重に、体を横たえた。背筋を伸ばしたまま、仰向けに。両手を腹の上で組んで。
棺桶みたいだな、と思った。
でも、三分後。
「…………」
寝息が聞こえた。団長の、安らかな寝息が。
ハンスと私は、顔を見合わせた。ハンスの目が、少しだけ潤んでいた。
「団長が、鎧なしで、自分から寝たの、初めて見ました」
「そうなんですか」
「……ありがとうございます」
「え、いや、私、何もしてな――」
……あれ?
団長の周りに、うっすらと、私のスキルの気配が漂っていた。
無意識に、漏れていたらしい。
慌てて引っ込めて、団長の寝顔を見る。
……いや、でも、これはスキルのせいじゃない。あったかい床。湯上がりのだるさ。おいしい卵と蒸しパンでふくらんだお腹。三日分の疲れ。それが全部、ちょうどよく重なっただけだ。
スキルは、ほんの少し背中を押しただけ。
団長は、結局四時間、一度も起きなかった。
目を覚ました団長は、窓の外がすっかり暗いのを見て、跳ね起きた。
「……暗い?」
「夜です。四時間ほど、寝てましたよ」
「四時間!? 私が!?」
「はい」
団長は、しばらく呆然としていた。自分の手を見て、肩を回して、首を回して。
「……体が、軽い」
「よかった」
「領主殿」
団長が、私の前にまっすぐ向き直った。アロハのままで。
「次の休暇も、ここで取らせてもらってもよいだろうか」
「もちろん。お客さんですから」
「……そうか」
団長は、ほんの少しだけ、口の端を上げた。
「では、また来る」
それだけ言って、団長は、部下たちと一緒に、のしのしと帰っていった。もちろん、アロハのまま。……あ、返却してない。まあ、いいか。次に来るとき、また着ればいい。
変わった人だけど、いいお客さんだ。
* * *
それから、ひと月。私の健康ランドは、気づけば、街道沿いでちょっとした評判になっていた。
昼過ぎの休憩所は、今日もにぎやかだ。
マティアスさんは、床の隅で、猟師のおじさんと石を並べて、何か勝負をしている。どうやら、領民たちが勝手にルールを作った遊びらしい。ときどき「待った!」「待たん!」と声が上がる。
食事処では、マルタさんが、新しい蒸しパンの種を試している。今日は山菜入りらしい。旅の人たちが、列を作って待っている。
ガイルさんは、露天風呂の脇に、屋根を作っている。「雨でも入れるように」と。誰も頼んでいないのに。
鍛冶屋のオットーさんは、湯の温度を測る道具を作り始めた。……なんでだろう。楽しそうだから、いいか。
ロッテは、湯上がりの女性客の髪を、器用に編んでいる。ムームーの花柄に似合う編み方を、研究中らしい。
子どもたちは、床の上を、ごろごろ転がり競争している。
奥の隅では、でっぷりとした貴族の紳士が、ムームーを着て、いびきをかいている。街道を通りがかって、噂を聞いて立ち寄ったらしい。さっきまで、ものすごく偉そうだったのに。
ハンスたち騎士も、非番になるたびにやってくる。全員、アロハだ。
私は、窓際の特等席で、蒸しパンを頬張りながら、ぼんやりその様子を眺めていた。
岩だらけ。寒い。誰も来ない。そう思っていた土地で、私は今、昼から温泉に入って、おいしいものを食べて、ごろごろしている。そして、みんなも、それぞれ勝手に、楽しそうにしている。
……悪くない。全然、悪くない。
私は、ごろんと仰向けになった。天井の梁。窓の向こうには、火山の煙が、のんびり昇っている。
さて。次は、何を作ろうかな。
人間は、欲が深いのだ。満たされると、すぐに次が欲しくなる。お風呂があって、ごはんがあって、あったかい床があって、ふわふわの服もある。
あと、足りないものは――
「……卓球」
湯上がりといえば、卓球だ。パコン、パコンと、ラリーの音が響くあの空間。台は、ガイルさんに頼めばなんとかなるだろう。ラケットは、木を削って。球は、軽くて弾むものが、何かあるかな。
それから。
「……イチゴ牛乳」
冷たくて、ほんのりピンク色の、あれ。
山羊の乳は、ある。イチゴは、春になったから、野いちごが山の斜面に出ているはず。砂糖を少し足して、煮詰めて、乳に混ぜたら――
想像しただけで、口の中がよだれでいっぱいになった。
「次は、卓球台と、湯上がりのイチゴ牛乳ね!」
思わず声に出した。隣で寝ていたマティアスさんが、むにゃむにゃと目を開けた。
「……領主様、また何か、思いつかれましたか」
「ええ! 楽しいやつ!」
「そうですか……楽しみですのう」
それだけ言って、マティアスさんは、また目を閉じた。
私は、にんまり笑った。卓球台の図面は、湯上がりに考えよう。野いちごの場所は、あとで子どもたちに聞いてみよう。蒸しパンのいちご入りも、いいかもしれない。ああ、でも、その前に、もうひと眠りしようかな。
次は、何を作ろうかな。考えるだけで、わくわくする。
……だけど、うん。まずはお昼寝だ。
私はクッションに顔をうずめた。




