第3章:エピソードを2つ。「のっけから、いきなりソレかよッ・・・!」 :とりあえず、ここでまたいったん切りますね。。。
入学式の壇上にずらっと並んだ、
新一年生担当の教師陣を見た、そのときから・・・
もうすでに、「イヤな予感」はしてたんだけどね。
とくに、
『数学担当』のひとりがさぁ・・・。
ルックスも、目つきも顔色も悪くて、
妙に、ななめに顔をかたむけて、
俺たちをエラそうに見おろす、その高慢な態度もな。
・・・コレが、1987年度と1988年度の、
のちの担任の『藤田先生』だったのさ。
英語担当の、赤ら顔で白髪頭で、猫背で白衣着た老人みてぇな野郎も、
なんとなくイヤな印象だったね。
のちの、『滝沢先生』だよ。
校長はね、
この教師連中をこんな感じで紹介したぜよ。
「えー、皆様。ここに並んでおられる先生方は、いずれも『実力』ある方ばかりでして・・・」
(へぇ~、そうなの。)
(『じつりょく』ねぇ・・・そうかいそうかい。)
(それで・・・?)
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
1986年4月の頭から、
実に不吉なニュースが飛び込んできたんだよ。
そう。
アイドル歌手・・・
『岡田有希子さん』の飛び降り自殺の訃報さ。
学校の玄関先で、
クラスメートの『滝田』っちゅう、小太りで不細工な女子が、
「あ・・・岡田有希子、死んだんべ。」
って、
ニヤニヤしながら、ぼくのあとから玄関に入ってきた女子に、うれしそうに話しかけてたな。
(ん? 誰だ、『おかだゆきこ』って・・・??)
(知らんけど、人が死んだっつーのに、この女・・・ずいぶん楽しそうに語ってくれてんじゃねーかよ。)
(おめ・・・人の不幸が、そんなにうれしいんか?)
・・・さいさき悪いスタートだったね。
追伸:
1986年は、
ほかにもこんなニュースがあったな。
以下、ウィキペディアより。
【チャレンジャー号爆発事故】
チャレンジャー号爆発事故は、1986年1月28日にアメリカ合衆国のスペースシャトル『チャレンジャー』が打ち上げから73秒後に分解し、7名の乗組員が全員死亡した事故。同オービタは北米東部標準時午前11時39分(16:39UTC、1月29日1:39JST)にアメリカ合衆国フロリダ州中部沖の大西洋上で空中分解した。この打ち上げはチャレンジャーにとって10回目であり、ミッション名はSTS-51-Lであったが、打ち上げ直後に発生したため、ほとんどの予定が遂行されずに終わった。




