願いが一つだけ逆に叶う店〜恋人がほしい男
町のはずれに、地図にも載っていない小さな店がある。
看板には名前もなく、ただ白いプレートに黒い文字でこう書かれている。
「願い承ります。ただし、少しだけ逆に。」
夜、仕事帰りのサラリーマン・橘は、その店の前で足を止めた。
失恋から半年。友達にも家族にも「そろそろ前見ろよ」と言われ続け、
最終的に「恋人 できない 占い」なんて検索してしまうくらい弱っていた。
ドアを開けると、小さな鈴が軽く鳴る。
「いらっしゃいませ」
カウンターには、黒い和服を着た店主が静かに座っていた。
年齢は分からない。若くも見えるし、老いても見える。
ただ、その目だけが妙に澄んでいる。
「願いを、一つだけ承ります。ただし……」
「少しだけ逆になるってやつですよね?」
橘は苦笑した。
店主はうなずく。
「ええ。でも恐れることはありません。
“少しだけ”ですから。願いの本質は叶います。」
「……じゃあ」
橘は深く息を吸って、言った。
「恋人がほしいです。
もう誰でもいいとは言いません。
ちゃんと、俺のことを好きになってくれる人が、ほしい。」
店主は静かに目を閉じ、
指先でカウンターを一度、トン、と叩いた。
「承りました。
明日の朝、叶っています。」
橘は半信半疑のまま店を出た。
翌朝
会社に着いた瞬間、異変に気づいた。
「橘くん、今日なんかかっこよくない?」
「前から思ってたけど、笑うと可愛いよね」
「ランチ、空いてる? 一緒にどう?」
女性社員だけじゃない。
総務の男性までやたらフレンドリーで距離が近い。
(……なんだこれ?)
やたらと視線を感じる。
廊下を歩けばひそひそ声が聞こえる。
「橘さんって、前から素敵だったよね」
「え、私のほうが先に気づいてたし!」
「いやいや、橘さんは絶対私と合うって!」
まるで職場全員が、自分を好きになっているようだった。
その日の帰り道、橘は気づく。
(願いが叶った……いや、“少しだけ逆に”か)
恋人がほしい
→ 俺のことを好きになる人が現れる
→ 現れすぎている
完全にやりすぎだ。
再び、あの店へ
夜、橘は駆け込むように店のドアを開けた。
「店主さん、これ逆になりすぎてますって!
ちょっとどころじゃないですよ!」
店主はお茶をすすりながら、静かに言った。
「いえ、あなたの願いはきちんと叶えましたよ。
“あなたのことを好きになってくれる人”がほしい、と。」
「いや、でも、職場全員が……」
「それはあなたが“誰でもいいわけじゃない”と言ったからです。
あなたを本当に魅力的にして、適合する人の幅を広げただけです。」
「広げすぎですよ!!」
店主は微笑む。
「では、もう一つだけアドバイスを。
“恋人がほしい”という願いを叶えるのに、
必要なのは人数ではありません。」
「……どういうことですか?」
「今あなたの周りにいる“たくさんの好意”の中で、
あなたが一番好意を返した人
その人だけが、最後に残ります。」
「最後に……残る?」
「ええ。
“本当に結ばれる相手”は一人だけですよ。
どれだけ逆に叶えてもね。」
橘は言葉を失った。
店主が最後にこう付け加えた。
「それと。
店に来る途中、あなたに傘を貸してくれた女性がいましたね?」
橘はハッとする。
雨が降り始めた帰り道、傘を忘れて困っていたら、
見知らぬ女性が「あの、どうぞ」と半分傘を差し出してくれた。
優しい笑顔。自然な距離感。
仕事の人たちのような過剰な好意ではなかった。
「彼女だけは、願いとは無関係です。」
橘の心臓が跳ねた。
「逆に叶う前から、あなたのことを“いいな”と思っていた。
だから、よく見てみるといいですよ。」
店主は目を細めた。
「本当の恋だけは、
願いでも逆の効力でも作れませんから。」
帰り道
雨は止んでいた。
夕方の交差点で、さっきの女性がこちらを見て軽く手を振った。
「傘、大丈夫でした?」
橘は思わず笑ってしまった。
誰かからの好意に振り回された一日で、
この“自然な気遣い”がいちばん胸に刺さった。
「はい。
もしよかったら、お礼させてもらえませんか?」
女性は少し驚き、それから微笑んだ。
「……いいですよ。」
橘は思った。
(これが、“最後に残る人”かもしれないな)
店の看板の文字が、脳裏に浮かんだ。
願いは叶っている。
ただし、少しだけ逆に。
でもその“少し”が、
案外、ちょうどいいのかもしれない。




