1-09
二階に上がり、登り階段の反対側の、三階に続く階段の登り口に回っていく。
ナリトとコウマが二階のカウンターで話し合っているのが見えた。
階段を登ってきた私を視界に入れたナリトに声を掛けられた。
「どうした?なんかあった?」
「ううん窓閉めに行くだけ」
「おー」
それだけ言うとナリトはまたすぐコウマとの話し合いに戻って行った。
三階に続く階段の登り口には、関係者以外立ち入り禁止と書かれた鍵のかかった扉がある。そこから先は私の生活空間と、店の重要書類などがあるからだ。首に掛けたチェーンから鍵を引っ張り出し、扉を開けて真っ直ぐに階段を登っていく。
階段を登り切った先には風呂場やトイレ、簡易的な給湯室といった水回りが集まっている。そこから左に曲がると、部屋が二つ並んでいる。手前が店関係の書類やレシピ、備品などが保管されている書庫兼倉庫だ。
その奥にあるのが私の部屋だ。
どちらの部屋にも鍵を掛けている。管理しているのは私だ。まあ3階の、まして私の部屋に用がある人はいない。仮に何かあったとしてもノックしてくれればいいだけだ。
奥の部屋に進んで、また鍵を取り出して扉を開ける。
自室は土足厳禁だ。扉の外で革のローファーを脱いで、部屋に入ってからスリッパに履き替える。誰にだって汚したくないものの一つや二つあるだろう。
キッチンでの時間が少し慌ただしかったので、一度扉をしっかり閉めて一息つく。
部屋の中は涼しい空気に入れ替わっていた。薄手の白いカーテンが柔らかな風に吹かれて揺れている。
窓は東側と南側にあるので、部屋には朝の日差しが燦々と注ぎ込んでいた。
先にベッド横の南向きの窓を閉める。続いて東向きの窓だ。そちらに向かうとき、どこかに香ばしいパンの香りが混ざっているのを感じ取った。斜向かいのパン屋さんだ。流石朝が早い。
窓の左手に置いてあるキャビネットに目が行く。昔から繰り返し読んでいる本が並んでいる。最近読み返していない。またいつか時間が出来たら読もう。
窓を閉めるついでに、外の様子も見ておいた。そろそろ町の人たちも外に出る時間だ。ちらほらと歩いている人たちが見える。
少し遠くに目をやる。ずっと真っ直ぐの方角に見える山の木々が少しずつ萌芽し始めているようだった。先日見た時よりも柔らかな色合いをしている。そしてそのまま視線を北の方に移していく。
霞がかった景色の中に、尖塔が見え隠れする。
風が一時強く吹き付ける。
夢の中の、あの冷たさを思い出す。
今日も、あそこは吹雪に閉ざされているのだ。
窓枠に掛けた手に、知らず知らずのうちに力が入る。
風が髪をかき乱す。
視界に入ってくる前髪が鬱陶しくて、右手で粗雑にかきあげる。
立ち入るもの全てを拒まんばかりの、あの場所から視線が外せない。
いつもの夢の内容を思い出す。
あの身を切るような寒さ。
生き物の息吹の感じられない冷ややかな空間。
必死で走っても、走っても、何も見つけられない。
進めば、進むほどに、より強い焦燥感に駆られる。
何も、見つけられないのに。
コンコンコン、と控えめなノックの音がして、我に返る。はっと息を吸い込む。
いつの間にか息も止めていたようだ。少し息苦しい。
扉の外からコウマの声がする。
「ユキ、どうした?体調悪いか?降りてこないからソラが心配してるぞ」
慌てて窓を閉めながら声を張って答える。
「ごめん!ちょっと外眺めてぼーっとしちゃってた!すぐ戻る!」
「早く来いよー」
そういって足音が離れていく。
時間も忘れて見入っていたらしい。
風に晒されていたからほんの少し肌寒い。
急ぎ足で部屋から出て鍵を閉める。
そこでやっと思い出した。
「うわっオーブンかけっぱなしだ…!!」
階段を駆け下りる。三階に繋がる扉の鍵を閉めるのは忘れない。
走って反対の階段に回り込む。ついでにコウマに声も掛けておく。
「コウマ!さっきありがとう!」
「おー」
特に気に留めている風もなく、軽く手をあげて答えてくれた。
一階に戻り、謝罪を口にする。
「ごめん!ぼーっとしてた!」
ホワイトソースとミートソースに塩コショウを振りながら、ソラが振り向いた。
「よかったーなんかあったのかと思っちゃった」
洗い終わった皿を拭いているヒナタと、未だに洗い物に従事させられているセイランも振り向く。
「遅かったねー」
「お前もうオレのこと責めらんねェじゃん」
ぐうの音も出ない。
「あ、オーブンの上下替えてもっかい焼いてるよ!!!焼き時間さっきと一緒で合ってるよね??」
「流石ヒナタ本当に助かるまじでありがとう」
「オレに感謝は無ェの?」
「ああそうね洗い物ありがと」
言わないと不貞腐れるので一応口だけでも言っておく。それで満足したらしい。洗い物に戻っていった。残っているものはほとんどない。
どうやらパイはヒナタのおかげで黒焦げを回避したらしい。よかった。ちゃんとお客さんに提供できる。
オーブンの時間を見れば残り5分になっていた。そんなに物思いに耽ってしまっていたのか。申し訳なさが募る。かといってまた謝っている暇はない。時間を無駄遣いしてしまったのだ。他のデザートも作らなければならないのに。
急いで冷蔵庫を開け、ムースを確認する。これは放っておいても大丈夫だ。ブラウニーに取り掛からねば。
時刻はAM7:45。
もうすぐ開店だ。




