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ブラウニーの生地を作り始めてすぐに、オーブンのパイが焼きあがった音がした。
洗い物は済ませたのに、ソラに命じられてシンク周りの片付けもさせられているセイランを横目に、ミトンを嵌めた両手で天板二枚を引っ張り出す。作業台に二枚とも並べてパイを冷ます間に、角皿に3つパイを取り出して並べる。今日はチョコレートパイだ。パイ生地の中にガナッシュが入っている。
そして、作業台の隅に置いてある、昨日焼き上げて寝かせておいたクッキーの入った箱を取り出す。一晩置いたほうがしっとりして美味しいのだ。プレーン、ココア、抹茶、紅茶の4種のクッキーの切れ端の部分を、透明な袋に詰めてやる。両端の切れ端を合わせて8枚だ。見た目は不揃いだが味は保証できる。
セイランの作業が終わる頃を見計らって、声をかける。
「セイラン、これ二階持ってってみんなで食べな。あとこれは御駄賃」
そういって左手に皿を渡し、袋をベストの右ポケットに捻じ込む。割れても知らない。
「やりぃ!サンキュ!」
ゲーム盤を見て降りてきたとき並みの笑顔を見せて、セイランは二階に上がっていった。
「単純……」
「セイランずるい!!!うちもユキのクッキー食べたかった!!!」
しまった。贈賄の瞬間を見られていたか。
「え、セイラン、クッキーもらったの?ユキ、甘やかしちゃダメだって!あとうちも食べたかった!」
ヒナタの発言によりソラにもばれてしまった。仕方ない。
「まだあるからさ、一枚ずつくらい食べてよ」
クッキーは先ほど出した一箱だけではない。残りはまだ三箱もある。切れ端は流石にお客さんには出せないので大体つまみ食いで消費する。私はもう食べ飽きたのでいらない。
「やったー!!!!」
「食べる!」
皿を拭いていた布巾を置き、コンロの火を止めて二人がやってくる。いつも美味しそうに食べてくれるのがありがたい。パイをケーキクーラーに乗せて、ブラウニーの生地に戻ろうかと思ったが、二人があまりにも目を輝かせてクッキーを食べているので、なんとなく私も一枚くらい食べたくなった。ココアの切れ端を一枚つまむ。うん、しっとりしていて口の中でホロホロと崩れる。甘すぎなくて美味しい。流石は私。せっかくだ、自画自賛しておこう。
そろそろ開店時間だ。クッキーを頬張る二人の服装をそれとなく確認しておく。
喫茶店<エキゾチック>の店員は揃いの制服がある。本革のローファーに、こげ茶色のスラックス、淡いベージュの長袖のブラウスに、スラックスと同じ色のベストだ。寒ければ上にジャケットを羽織ることもあるが、店内にいることがほとんどなのでほぼ着たことはない。髪型は自由だが、食品を扱うので束ねるか短くするかのどちらかだ。
制服は茶色を主軸にしてある。店舗の雰囲気に合うようにみんなで話し合って決めた。ただし、あくまでこれが基本であって、そこから大幅に変えなければある程度はアレンジしていいことになっている。
例えばヒナタはブラウスにリボンネクタイをして、ベストに鮮やかな金色のブローチを付けている。モチーフは季節の花だ。なかなかお洒落である。前髪は切り揃えられ、腰まである艶やかで豊かな濃い茶色の髪を綺麗な三つ編みにしてある。ブローチと対になるピアスが耳元できらりと光る。
ちなみに彼女はメイクも派手だ。自分の魅せ方がよく分かっている。彼女自身の背は高くないが、華やかさを身に纏っていて、とてもよく似合うアレンジだ。
しかしブラウスに魔改造を施しているので袖が4本ある。いつもはベストの下にしまっているが、お昼時の忙しい時間はそれを引っ張り出して腕をフル活用して料理を提供している。さっき腕を増やしてまた収納したので今はだらりと袖が出たままだ。しまわせねば。
ソラはネクタイをしない代わりに第一ボタンを開けている。キッチンに立つことが多い彼女は、どうしても動きやすさを重視する。袖はいつも二つ三つ折り返していて、装飾品を付けていることは滅多にない。制服の上にヒナタに作ってもらったという、シックな黒のエプロンを身につけている。ヒナタと同じように前髪を切り揃えているが、髪が短いので特に結んだりはしていない。両耳にお気に入りだという小ぶりの宝石が嵌った小さなピアスをしている。時折髪を耳にかけると見えるのが綺麗だ。
メイクは派手ではないが、基礎をきちんと押さえていて、彼女の凛とした顔立ちをより際立たせている。背が高くて瘦身の彼女はシンプルな恰好がよく似合う。かっこいいのだ。
でもたまに抜けている。ブラウスの襟がベストの下に入っている。どうしたらそこに入るんだ。教えてあげなければ。
かくいう私も自分の服装が乱れていないかざっと確認する。ブラウスの襟は折れていない。ベストも皺になっていない。スラックスに汚れは付いていない。ループタイも曲がっていない。さりげなく右手で髪に触れて崩れていないか確認する。単にポニーテールにしているだけなので特にこれといった問題は無い。ただ前髪が少し伸びすぎだ。括るには短すぎるが、耳に掛けるには長すぎる。明日からピンで止めようか。よし、大丈夫そうだ。一応あとで二人にも確認してもらおう。
左手に嵌めた腕時計を見る。開店5分前だ。
「ヒナタ、袖しまっときな、あとソラ、襟入っちゃってる」
「ふぁーい」
「あいあとー」
クッキーをもぐもぐしながら返事をされる。褒められた行儀ではないが、お客さんの前ではないから良しとしよう。服装を直すついでに私の格好も確認してもらう。乱れたところはないようだ。
「看板出してくるね」
「おえあーい」
なんだか間の抜けた二人の声に見送られてキッチンを出る。流石に開店までには食べ終わるだろう。
カウンター前のスイングドアを抜けて、テーブルを避けながらメインの扉へ向かう。両開きの扉だが、実際に動くのは左側だけだ。なぜなら右側は壊れているのだ、誰のせいかは言わないが。
店内にしまってあったOPENと書かれた二つ折りの看板を抱えて扉を開ける。看板を置いて空を見上げる。いい天気だ。今日もお客さんは多いかもしれない。
左手の腕時計に視線を落とす。
AM8:00。
喫茶店<エキゾチック>の開店だ。
今日も、いつもの日常が始まる。




