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移り気な神々

作者: 埴輪庭

 ◆


 早朝。ナ・ロウ王国の宰相レオンハルト・フォン・グライフェンベルクは、いつものように暗澹たる気持ちで執務室の扉を開けた。


 机の上には既に山と積まれた書類。その最上部に置かれた羊皮紙が、淡い金色の光を放っている。


 ──またか。


 神託である。一日と空けずに降りてくる神々からの「ご意見」は、もはや日常茶飯事。問題はその内容が毎回毎回、〇〇な事だ。


 羊皮紙を手に取り、記された文字を読む。『第三皇女マリアンナと騎士団長代理サミュエルの関係について、神々の間で議論が生じている。速やかに調査し、報告せよ』


 レオンハルトは深い溜息をつき、椅子に腰を下ろす。窓の外では、王都の住人たちが朝の支度に追われている光景が広がっていた。彼らは知らない。この国が、どれほど気まぐれな存在によって支配されているかを。


「失礼いたします」


 扉が開き、若い書記官が顔を覗かせる。その表情は既に青ざめている。


「宰相閣下、国王陛下がお呼びです。至急、謁見の間へ」


 ──朝一番から何事だ。


 足早に廊下を進みながら、レオンハルトは最悪の事態を想定していた。神々の機嫌を損ねればこの国は一瞬で滅びる。それは誇張ではない、紛れもない事実。三年前、隣国のベルガリアは神々の逆鱗に触れ、文字通り地図から消えた。


 謁見の間の重い扉が開かれると、そこには既に国王エドワード三世が玉座に座っていた。その隣には、第三皇女マリアンナが青い顔をして立っている。


「レオンハルト、来たか」


 国王の声は落ち着いているが、その額には汗が浮かんでいる。玉座の前には、光り輝く水晶球が浮遊していた。神々との直接対話装置──通称「神鏡」である。


「陛下、これは……」


「うむ。神々が直接介入なさった」


 水晶球から複数の声が響いてくる。老若男女、様々な声音が重なり合い、不協和音を奏でる。


『マリアンナとサミュエルの関係は不適切だ!』


『身分違いの恋など認められない!』


『いや、真実の愛に身分など関係ない!』


『騎士団長代理なんて中途半端な立場の男など論外!』


 ──頭が痛い。


 レオンハルトは密かに額を押さえた。神々の議論は、まるで酒場の酔っ払いの口論。しかし、この酔っ払いたちは、国の運命を左右する力を持っている。


「マリアンナ」


 国王が娘に視線を向ける。皇女は震え声で答えた。


「父上、私とサミュエル様は、ただ庭園で偶然お会いしただけです。それを誰かが見て、勝手に……」


『言い訳はいらない!』


 神鏡から怒声が響く。


『庭園で二人きりだったんだろう? それだけで十分怪しい!』


『サミュエルには恋人がいたはずでは? サミュエルを処刑すべきだ!』


『いや、マリアンナを幽閉すべき! なぜならマリアンナもサミュエルに恋人がいる事を知っていたはずだ』


『二人とも国外追放でいいだろう!』


『サミュエルは冷害気質な所があった。恋人とは上手くいっていないのかもしれない』


 様々な意見が飛び交う中、レオンハルトは一歩前に出た。


「恐れながら、神々よ」


 声を張り上げ、水晶球に向かって深く頭を下げる。神々の喧騒が一瞬静まった。


「この件について、まず事実関係を正確に把握することをお許しください。噂や憶測だけで判断するのは、神々の威厳にも関わることかと」


『ほう?』


 興味深そうな声が返ってくる。レオンハルトは内心で舌打ちしながら、営業用の笑顔を浮かべた。


「はい。神々の正義が真に実現されるためには、真実に基づいた判断が不可欠です。三日……いえ、二日だけお時間をいただければ、完全な調査報告を提出いたします」


 沈黙が流れる。神鏡の光が明滅し、やがて一つの声が響いた。


 この声の主は力ある大神レビュワー。レビュワーの意見は多くの神々に影響を与えるため、機嫌を損ねるわけにはいかない。


『よかろう。二日だ。ただし、虚偽の報告をすれば、お前たち全員を石像に変える』


 ──石像か。創造的な処罰だな


 水晶球の光が消え、謁見の間に静寂が戻る。国王は深い溜息をつき、玉座から立ち上がった。


「レオンハルト、頼んだぞ」


「はっ」


 マリアンナが涙目でレオンハルトを見つめる。彼は軽く頷き、踵を返した。


 ◆


 執務室に戻ったレオンハルトは、すぐさま腹心の部下たちを召集した。情報局長のカール、近衛隊長のフリードリヒ、そして宮廷魔術師のイザベラ。


「状況は理解したな」


 三人は神妙な顔で頷く。カールが口を開いた。


「宰相、正直に申し上げて、マリアンナ様とサミュエル殿は本当に何もありません。庭園での一件も、単に挨拶を交わしただけです」


「それは分かっている」


 レオンハルトは書類の山を見つめながら答える。問題は真実ではない。神々が何を望んでいるか、だ。


「しかし、神々は恋愛沙汰を期待している。完全に潔白だと報告すれば、『つまらない』と言って別の処罰を考え出すだろう」


 フリードリヒが眉をひそめる。


「では、嘘の報告を?」


「いや、それも危険だ。神々の中には『純愛』を支持する派閥もいる。下手に恋愛関係をでっち上げれば、今度は『不純だ』と騒ぎ出す」


 ──まったく、どうしろというのか。


「宰相、一つ提案があります」


 イザベラが口を開く。


「聞こう」


「神々の意見が分かれているなら、それを利用しましょう。曖昧な報告をして、解釈の余地を残すのです」


 レオンハルトは顎に手を当てる。確かに一理ある。神々の議論を長引かせれば、その間に別の『面白い』事件が起きて、関心がそちらに移るかもしれない。


「よし、その線で行こう。カール、サミュエルの経歴を洗い直せ。何か『解釈次第』で使える要素を探すんだ」


「承知しました」


 カールが退室すると、フリードリヒも続いた。残されたイザベラが、心配そうな顔でレオンハルトを見つめる。


「宰相、お体は大丈夫ですか? 最近、神託の頻度が増えています」


「慣れたよ」


 そう答えながら、レオンハルトは窓の外を眺めた。平和そうに見える王都の風景。しかしその実、綱渡りの上に成り立っている繁栄。


「イザベラ、君は時々思わないか?」


「何をですか?」


「神々がいなければ、この国はもっと……」


 言いかけて、レオンハルトは口を閉じる。そんなことを口にすれば、即座に神罰が下るだろう。イザベラも理解したようで、静かに頷いた。


「私は、今の平和を守ることだけを考えています」


 賢明な答えだ。レオンハルトも同じ気持ちで、再び書類の山に向かった。


 夕刻、カールが戻ってきた。その手には分厚い調査書。


「宰相、面白いことが分かりました」


「ほう?」


「サミュエル殿の母方の祖母の従姉妹が、実は下級貴族の出身です。しかも、その家系を辿ると、二百年前の王家の分家に行き着きます」


 レオンハルトは目を輝かせた。


 ──これは使える。


「つまり、サミュエルには僅かながら王家の血が流れている、と」


「解釈次第では、そう言えなくもありません」


 二人は顔を見合わせ、にやりと笑う。神々を欺くのではない。ただ、事実を『創造的に』解釈するだけだ。


 ◆


 二日後の朝、再び謁見の間に神鏡が現れた。国王とマリアンナ、そしてサミュエルも同席している。騎士団長代理は、鎧姿のまま直立不動。その表情は固い。


『報告せよ』


 神々の声が響く。レオンハルトは一礼し、手にした羊皮紙を広げた。


「謹んでご報告申し上げます。第三皇女マリアンナ様と騎士団長代理サミュエル殿の関係について、詳細な調査を行いました」


『で? 恋愛関係なのか、そうでないのか?』


 性急な声に、レオンハルトは慎重に言葉を選ぶ。


「まず、サミュエル殿の出自について、重要な発見がございました」


『出自?』


「はい。サミュエル殿の血統を精査したところ、母方より王家の血を引いていることが判明いたしました」


 謁見の間がざわめく。サミュエル本人も驚きの表情。もちろん、二百年前の遠い親戚の話など、実質的には意味がない。しかし──


『王家の血だと!?』


『なぜ今まで隠していた!』


『いや、待て。どの程度の血統だ?』


 神々の議論が始まる。レオンハルトは内心でほくそ笑みながら、淡々と続けた。


「血の濃さは極めて薄いものの、正統な系譜であることは確認済みです。また、庭園での一件についてですが……」


 言葉を区切り、効果的な間を作る。


「二人が交わした会話は、国の将来に関する真摯な意見交換でした。マリアンナ様は王族として、サミュエル殿は騎士として、それぞれの立場から王国の安寧を願う言葉を交わされたと」


『それは恋愛とは言えないのでは?』


『いや、国を想う気持ちを共有するのも、ある意味では愛だ』


『屁理屈だろう!』


 神々の議論は白熱していく。レオンハルトは頃合いを見計らって、決定的な一言を放った。


「なお、この件に関して、愛の女神イセカ=レナイ様より個別に神託を賜りました」


『なんだと!?』


 神鏡が激しく明滅する。嘘ではない。昨晩、イザベラが儀式を行い、愛の女神に祈りを捧げた。返答はなかったが、それを都合よく解釈しただけ。


「女神は『真実の愛に形はない』とのお言葉を……」


『待て! イセカ=レナイがそんなことを言うはずがない!』


『いや、あの女神ならありえる』


『証拠を見せろ!』


 神々の要求は続くが、レオンハルトは恭しく頭を下げる。


「女神の神託は、凡人には理解しがたい詩的な表現でございました。解釈については、神々の高い見識にお任せいたします」


 ──さあ、好きなだけ議論してくれ。


 案の定、神々の間で激論が始まった。処罰派と擁護派、そして中立派。三つ巴の論争は収拾がつかない。


 やがて、一つの声が他を制した。


『もういい! この件は保留とする。もっと面白い……いや、重要な案件が出るまで』


 水晶球の光が弱まる。最後に、警告めいた声が響いた。


『ただし、二人の行動は今後も監視する。少しでも不適切な行為があれば、即座に処罰する』


 神鏡が消え、謁見の間に安堵の空気が流れる。国王は玉座から立ち上がり、レオンハルトの肩を叩いた。


「よくやった」


「恐れ入ります」


 マリアンナとサミュエルも深々と頭を下げる。二人の間に恋愛感情があるかどうか、レオンハルトには分からない。だが少なくとも今は、それを表に出さない賢明さを持っている。


 ◆


 その後一週間、神託は途絶えた。奇跡的な平穏。レオンハルトは溜まりに溜まった通常業務を片付けながら、次なる『災厄』に備えていた。


「宰相、第二皇子のレジナルド様が女官と密会していたという噂が」


 カールの報告に、レオンハルトは頭を抱える。


「証拠は?」


「今のところ噂だけです。ただ、城下町の酒場で、それらしき二人を見たという証言が」


 ──また恋愛か。


 神々の関心が恋愛に向いている今、これは危険な兆候だ。レオンハルトは即座に指示を出す。


「レジナルドを呼べ。それと、該当する女官も特定しろ」


 しかし、事態は予想外の方向に進んだ。レジナルドが現れ、開口一番にこう言ったのだ。


「宰相、私は男性が好きです」


 執務室に沈黙が流れる。レオンハルトは、ゆっくりと顔を上げた。


「……は?」


「ですから、女官との密会などありえません。私が会っていたのは、近衛兵のアレクサンダーです」


 ──ああ、神よ。いや、神が問題なのか。


 レオンハルトは激しく頭痛を覚えた。神々がこの事実を知ったら、間違いなく大騒ぎになる。保守的な神々は激怒し、進歩的な神々は支持し、そして大多数は面白がって煽り立てるだろう。


「殿下、その事実は」


「誰も知りません。アレクサンダーと私だけの秘密です」


 レジナルドの表情は真剣そのもの。レオンハルトは、深く息を吸い込んだ。


「分かりました。この件は、私の胸に留めます。ただし」


 視線を鋭くする。


「今後、一切の軽率な行動は慎んでください。神々の目は、常に我々を見ています」


 レジナルドは神妙に頷き、退室していく。その後ろ姿を見送りながら、レオンハルトは呟いた。


「カール、偽の恋人を用意しろ」


「は?」


「レジナルドに表向きの恋人だ。適当な令嬢を見繕って、契約結婚の準備を進める」


 カールは困惑の表情を浮かべたが、すぐに理解したようだ。


「承知しました。では、第七伯爵家の三女はいかがでしょう。大人しい性格で、秘密を守れるタイプです」


「よし、それで進めろ」


 王国の平和を守るため、レオンハルトは今日も嘘と真実の間を綱渡りする。


 ◆


 満月の夜、突如として神鏡が執務室に現れた。通常、神託は謁見の間に降りる。執務室への直接出現は、極めて異例。


『レオンハルト・フォン・グライフェンベルク』


 重々しい声が響く。レオンハルトは即座に跪いた。


「はっ」


『お前は優秀だ』


 ──褒められた? まさか。


 神々が人間を褒めるときは、大抵その後に無理難題が続く。案の定、次の言葉がそれを証明した。


『だからこそ、新たな任務を与える。王国に、神々のための祭典を開催せよ』


「祭典、でございますか」


『そうだ。我々を楽しませる祭りだ。期限は一ヶ月。失敗すれば、王国の守護を解く』


 神鏡が消える。レオンハルトは立ち上がり、窓の外を見た。満月が不気味に輝いている。


 ──守護を解く、か。


 それは事実上の死刑宣告。この国の繁栄は神々の加護によって成り立っている。農業の豊作も、疫病からの守護も、他国からの侵略を防ぐ結界も、すべて神々の力。それを失えば、王国は一ヶ月と持たない。


 翌朝、緊急会議が開かれた。国王を始め、主要な大臣と貴族が集まる。


「一ヶ月で祭典など、不可能です!」


 財務大臣が声を荒げる。確かに、通常の祭りでも準備に三ヶ月はかかる。


「しかし、やるしかない」


 国王の声は決然としていた。レオンハルトは、準備していた計画書を広げる。


「既に概要を考えました。神々が求めているのは『楽しみ』です。つまり、通常の祭典ではなく、彼らが直接参加できるイベントを用意すべきかと」


「直接参加?」


「はい。神々は最近、人間の恋愛に興味を持っています。ならば、それを利用しましょう」


 レオンハルトの提案は大胆だった。王国中から独身の貴族を集め、大規模な舞踏会を開く。そこで神々に『カップリング』を楽しんでもらうというもの。


「まるで、人間を駒にした遊戯ではないか」


 誰かが呟く。その通りだ、とレオンハルトは内心で吐き気とともに同意した。


 だが、他に選択肢はない。


「皆様のご息女、ご子息にも参加していただくことになります」


 会議室が再びざわめく。しかし、反対する者はいなかった。全員が理解している。これは生存を賭けた戦いだと。


 ◆


 祭典の準備は、想像以上に困難を極めた。


 まず、参加者集め。独身貴族たちに招待状を送ったところ、半数以上が仮病を使って辞退しようとした。


「脅せ」


 レオンハルトの指示は簡潔だった。


「参加しなければ、領地への神々の加護を止めると伝えろ」


 効果は絶大。辞退者はゼロになった。


 次に、会場設営。王城の大広間を改装し、神々が観覧できる特別席を設置。水晶を並べ、それぞれの前に神々の名が記されたプレートを置く。


「おい、愛の女神の席が端っこなのは問題じゃないか?」


「では中央に」


「待て、それだと戦神が怒る」


 配置一つとっても、神々の力関係を考慮しなければならない。レオンハルトは三日三晩、席順表と格闘した。


 そして最大の問題はイベントの内容。単なる舞踏会では神々は満足しない。そこでレオンハルトは、『恋愛トーナメント』なる競技を考案した。


 参加者を男女ペアに分け、様々な課題をクリアしてもらう。詩の朗読、ダンス、料理対決、そして最後に愛の告白。神々が採点し、優勝ペアには褒美を与える──という建前で、実質的には神々の暇つぶし。


「宰相、これは酷すぎます」


 イザベラが抗議する。しかしレオンハルトは首を横に振った。


「他に方法があるなら教えてくれ」


 沈黙が答えだった。


 祭典当日。


 王城は華やかに飾り付けられ、参加者たちが続々と集まってくる。その表情は一様に固い。まるで処刑場に向かうような足取り。


 大広間に神々の光が降り注ぐ。水晶の玉座が次々と輝き始め、様々な声が響き渡った。


『おお、これは面白そうだ!』


『人間どもの恋愛劇か!』


『さあ、始めろ!』


 レオンハルトは司会として壇上に立つ。


「本日は、神々のために特別な催しを用意いたしました。王国の独身貴族たちによる愛の競演でございます」


 ──自分で言っていて虫唾が走る。


 しかし、表情は崩さない。淡々と、ルールを説明していく。


 第一競技、詩の朗読。


 若い貴族たちが、ぎこちなく愛の詩を読み上げる。中には、明らかに昨夜慌てて書いたような稚拙な詩も。だが、神々は大喜びだ。


『あの男、緊張で声が裏返った!』


『女の方が顔を真っ赤にしている!』


『もっと情熱的にやれ!』


 まるで見世物小屋であった。レオンハルトは参加者たちに同情しながらも、次の競技へと進める。


 第二競技、ダンス。


 これは比較的まともだった。貴族たちは幼少期から舞踏を習っている。優雅に踊る姿に、神々も満足そう。


 しかし、問題は第三競技だった。


 料理対決。カップルで協力して、愛情料理を作るという趣向。だが、料理など作ったことのない貴族たちは、厨房で大混乱。


「火が! 火が!」


「砂糖と塩を間違えた!」


「なぜ卵が爆発する!?」


 惨状を見て、神々は爆笑している。


『人間は料理もできないのか!』


『あの女、包丁の持ち方が逆だぞ!』


 レオンハルトは額の汗を拭いながら、なんとか競技を進行させる。そして、ついに最後の課題。


「では、最終競技。愛の告白です」


 会場が静まり返る。これまでの競技で、勝ち残ったのは五組。彼らは、衆人環視の中で、愛の言葉を口にしなければならない。


 最初のカップルが前に出る。第五侯爵家の息子と、第三伯爵家の令嬢。二人は顔を見合わせ、そして──


「あの、私は……」


 男が口ごもる。女も俯いたまま。気まずい沈黙が流れた、その時。


「好きです!」


 突然、女が叫んだ。会場がどよめく。


「え?」


 男が目を丸くする。女は顔を真っ赤にしながら続けた。


「演技じゃありません。本当に、あなたのことが……」


 ──まさか、本物か? 


 レオンハルトも驚いた。これは想定外の展開。神々も興奮している。


『おお! 真実の愛だ!』


『いや、演技かもしれない』


『黙れ! これは本物だ!』


 男は、震える手で女の手を取った。


「僕も、君が好きだ」


 大歓声が上がる。神々も人間も、一つになって祝福の声を上げた。まるで、本当の祭りのように。


 ◆


 祭典は大成功に終わった。神々は満足し、王国への加護を改めて約束。それどころか、追加の祝福まで与えてくれた。祝福とはすなわち神々からの()()。これがなければ王国は立ちゆかないのだ。


 レオンハルトの執務室に、国王が訪れる。


「よくやってくれた」


「恐れ入ります」


 二人は窓から王都を眺めた。祭りの余韻で、街はまだ活気づいている。


「レオンハルト、正直に言うと……私は時々思うのだ」


 国王の声は静かだった。


「我々は、本当に幸せなのだろうか、と」


 レオンハルトは答えない。答える必要もなかった。


 神々の加護によって栄える王国。しかし、それは同時に、神々の奴隷でもある。彼らの気まぐれに振り回され、理不尽な要求に応え続ける日々。


「だが」


 国王は微笑んだ。


「今日、一つ希望を見た。あの若い二人の告白を見たか?」


「はい」


「あれは本物だった。神々の前でも、観衆の前でも、彼らは真実の気持ちを口にした」


 確かに、とレオンハルトも思う。あの瞬間、神々と人間の立場は関係なかった。純粋に一つの愛を祝福していた。


「我々にできることは、この綱渡りを続けることだけだ」


 国王はそう言って、執務室を後にする。


 レオンハルトは一人残され、書類の山に向かった。明日もまた、神託が降りるだろう。理不尽な要求が来るだろう。


 ──それでも。


 窓の外では、夕日が王都を黄金色に染めている。人々の生活がそこにある。守るべきものがある。


 神々と人間の板挟みになりながら、レオンハルトは今日も策を巡らせる。詭弁と工作と、時には真実を武器にして。


 この砂上の楼閣を、少しでも長く保つために。


 羊皮紙が、また金色に光った。新たな神託。レオンハルトは溜息をつき、それを手に取る。


『第二皇子レジナルドの結婚相手について、神々の間で議論が……』


 ──やれやれ、今度は何を要求してくるのか。


 レオンハルトは苦笑しながら、次なる対策を練り始めた。神々を完全に満足させることはできない。だが、完全に怒らせることも避けられる。その狭い道を、彼は歩き続ける。


 たとえそれが終わりの見えない道のりだとしても。



(了)

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