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第6話:沈香の下に、火を焚く

 ──香炉の底から、白い粉が出てきた。


「やっぱり、ね」


 梨花は扇の影に口元を隠しながら、ささやいた。

 その声が震えなかったのは、訓練と慣れのおかげだった。だが、背中を一筋の冷や汗が伝う。


(白沈香に混ぜていた。これ……“没薬もつやく”と“安息香”、それに……)


「火にくべると甘く香るけど、濃度が高いと気道を焼く」


 それを聞いた林苑が、そっと眉をひそめた。


「つまり、この部屋に長くいればいるほど……」

「うん、内側から肺をやられる。女なら乳腺もやられるし、赤子なら、まず助からない」


 その香は、蓮妃れんひの寝室にて焚かれていたものだった。

 名目上は“落ち着きと安眠のため”。けれど中身は、誰かを確実に壊すための調合だった。


 蓮妃の侍女は、驚いたように梨花の顔を見て言った。


「でも……これ、宮中の調香所のものと伺っております」

「そう。だから余計に悪質なの。調香所ではこんな配合、絶対にしないはずだから」


 ――すり替えられている。

 誰かが、“正規の香”と“毒を仕込んだ香”を入れ替えている。


 そしてそれは、おそらく“外部の誰か”ではない。

 この後宮の中、それも“蓮妃の近く”にいる者にしかできない仕業。


 梨花は、香炉の蓋を閉じながら言った。


「林苑、これを後で処分して。指示は出さずに、私の名前も出さないで」

「……わかった。でも、これで証拠はなくなる」

「かまわない。証拠を突きつけたところで、彼らが白を切れば終わりだもの」


 それに、梨花は知っていた。

 今ここで動いてしまえば、本当に“失くなる”のは香ではなく、自分の命だと。


(私の役目は、死体を診ること。でも、死体が増える前に手を打つのも、薬師の仕事)


 ふと、扉の奥で微かな笑い声がした。

 その声音は、優しく響く――が、どこか薄氷のように冷たい。


「ずいぶんと騒がしいと思ったら、洗濯女が嗅ぎ回っていたのね」


 現れたのは、蓮妃本人だった。

 真紅の衣に身を包み、微笑を浮かべた姿は、絹のように艶やかだ。だが、その瞳の奥は、鋭く光る。


「申し訳ありません。少々、香に違和感がありましたので」

「そう。香に敏いのね。……それとも、命に対して敏感なのかしら」


 蓮妃は、ゆっくりと梨花に歩み寄り、その顔を覗き込んだ。

 香の残り香が、ほのかに漂う。甘く、しかしどこか重苦しい香気。


「いいのよ。真実を見つけるのも、隠すのも、この宮では芸のひとつ。あなたも“芸達者”なのね」


 その言葉に、梨花は一礼した。

 ただ、頭を下げながらも、内心では別の考えを巡らせていた。


(“私を警戒している”……というより、“試してる”)


 蓮妃がここまで出てくる必要はなかったはず。

 にもかかわらず、直々に顔を見に来たのは、“梨花という異物”に対する確認。

 その視線は、まるで香の調合を確かめるようだった。


(この人も、ただの被害者じゃない。もしかして――)


 部屋を出た後、林苑がぽつりと言った。


「彼女、本当に香にやられてたのか?」

「それが分からないから怖いのよ。毒を吸わされたのか、吸ったふりをしていたのか」


 梨花は静かに息を吐いた。


「でも、ひとつ分かった。毒を仕込んだのは“香”じゃない。……“人”だったってこと」


 そして。


 その“人”は、今も後宮のどこかで、淡い香を焚きながら、誰かの命を削っている。

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