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第40話:灰に還る花

 夜明け前。

 後宮の外れ、焼却炉の前にひとり立つユウの姿があった。


 炉の扉の向こうでは、茶色の薬包紙に包まれた何かが、じりじりと音を立てて燃えている。


 (毒の記録。影紋の複写。毒性の遷移とその分布図——)


 全て、彼女が夜を徹して書き写し、まとめたものだった。


 「これ以上、これを手元に置いておくのは——毒そのもの」


 吐き捨てるように呟き、ユウはわずかに目を細めた。

 紙が黒ずみ、やがて灰へと還っていく様を見つめながら、ふと思った。


 (毒に向き合いすぎると、人の心も毒されるのかもしれない)


 知れば知るほど、人を疑うようになった。

 毒を読み解けば読み解くほど、自分の言葉が鋭くなった。

 それを「成長」と呼ぶには、どこか躊躇いがあった。


 そのとき、背後から足音。軽く、迷いのない歩み。


 「やっぱり、ここにいた」


 現れたのは、シュイだった。

 いつものふわふわした雰囲気をまといながら、手に小さな菓子包みを提げている。


 「朝ごはん、まだでしょ。あったかいうちにどうぞ」


 差し出されたのは、柚子の花を模した饅頭。

 ほのかに香るその甘さに、ユウは苦笑を漏らした。


 「……毒の匂いが染みついてるのかと思ってたけど、柚子には勝てないらしい」


 「毒に勝つのは、甘さよ。私はそう思ってる」


 冗談めかしたシュイの言葉に、ユウは小さく頷いた。


 その笑顔は、薄闇に咲く小さな灯火のようだった。



 診療院に戻ると、空気がざわついていた。

 何かが起こった——そんな気配。


 「ユウ殿! 文庫の火が……!」


 駆け込んできた侍医が叫ぶ。


 「……火事、ですか?」


 「いや……おそらく放火です。毒薬記録室の一部が焼かれました」


 その言葉に、ユウの心臓が小さく跳ねた。


 (昨日、自分が燃やした記録は——別件。つまり、もう一人、燃やした者がいる)


 ただの偶然とは思えない。

 誰かが、自分と同じように“毒の記録”を隠そうとしている。


 だが、その誰かは——“他人の手”で燃やす必要があった。


 (私のように、燃やす覚悟がなかったのか。あるいは、何かを隠すためか)


 急いで現場へ向かうと、灰の中から、かろうじて焼け残った書簡の断片が発見された。


 文面の一部には、かろうじて読める筆致が残っていた。


 ——「霜影、次なる試薬は……」

 ——「毒に“美”を添えること……」

 ——「後宮の華をして、血に染めよ」


 (霜影……やはり、彼女はこの宮廷に戻っている)


 そして、そこには一通の名前もない処方箋。

 構成は、ユウが昨夜診た中官の症状に極めて酷似していた。



 夜、ユウは再び花園を訪れた。

 そこには、皇妃付の香官が静かに花に水をやっていた。


 「このあたりの牡丹、香りが強いですね。何か添加しましたか?」


 「ああ、今年は特に濃いものを……少し、精油を……」


 「“竜胆精”ですか?」


 香官の手が、ぴたりと止まった。

 そして数瞬後、表情を変えぬまま、そっと頷いた。


 「あなたの技術、もったいないですね。毒に使われるには」


 「……香も毒も、鼻を利かせる者の手に渡れば、紙一重です」


 香官は静かに去っていった。

 その背を見つめながら、ユウは微かに舌打ちした。


 (毒が香に化けた。次は何になる?)


 見えない毒の姿が、ユウの心を覆っていく。

 だがその中に、シュイの笑顔や柚子の香りが、ふと差し込む。


 (甘さが毒に勝つ——あの言葉、嘘じゃないかもしれない)


 彼女は小さく息を吐き、手のひらの中で饅頭の包み紙をそっと握った。

構想を練るので、少しの間お休みします。

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