第40話:灰に還る花
夜明け前。
後宮の外れ、焼却炉の前にひとり立つユウの姿があった。
炉の扉の向こうでは、茶色の薬包紙に包まれた何かが、じりじりと音を立てて燃えている。
(毒の記録。影紋の複写。毒性の遷移とその分布図——)
全て、彼女が夜を徹して書き写し、まとめたものだった。
「これ以上、これを手元に置いておくのは——毒そのもの」
吐き捨てるように呟き、ユウはわずかに目を細めた。
紙が黒ずみ、やがて灰へと還っていく様を見つめながら、ふと思った。
(毒に向き合いすぎると、人の心も毒されるのかもしれない)
知れば知るほど、人を疑うようになった。
毒を読み解けば読み解くほど、自分の言葉が鋭くなった。
それを「成長」と呼ぶには、どこか躊躇いがあった。
そのとき、背後から足音。軽く、迷いのない歩み。
「やっぱり、ここにいた」
現れたのは、シュイだった。
いつものふわふわした雰囲気をまといながら、手に小さな菓子包みを提げている。
「朝ごはん、まだでしょ。あったかいうちにどうぞ」
差し出されたのは、柚子の花を模した饅頭。
ほのかに香るその甘さに、ユウは苦笑を漏らした。
「……毒の匂いが染みついてるのかと思ってたけど、柚子には勝てないらしい」
「毒に勝つのは、甘さよ。私はそう思ってる」
冗談めかしたシュイの言葉に、ユウは小さく頷いた。
その笑顔は、薄闇に咲く小さな灯火のようだった。
*
診療院に戻ると、空気がざわついていた。
何かが起こった——そんな気配。
「ユウ殿! 文庫の火が……!」
駆け込んできた侍医が叫ぶ。
「……火事、ですか?」
「いや……おそらく放火です。毒薬記録室の一部が焼かれました」
その言葉に、ユウの心臓が小さく跳ねた。
(昨日、自分が燃やした記録は——別件。つまり、もう一人、燃やした者がいる)
ただの偶然とは思えない。
誰かが、自分と同じように“毒の記録”を隠そうとしている。
だが、その誰かは——“他人の手”で燃やす必要があった。
(私のように、燃やす覚悟がなかったのか。あるいは、何かを隠すためか)
急いで現場へ向かうと、灰の中から、かろうじて焼け残った書簡の断片が発見された。
文面の一部には、かろうじて読める筆致が残っていた。
——「霜影、次なる試薬は……」
——「毒に“美”を添えること……」
——「後宮の華をして、血に染めよ」
(霜影……やはり、彼女はこの宮廷に戻っている)
そして、そこには一通の名前もない処方箋。
構成は、ユウが昨夜診た中官の症状に極めて酷似していた。
*
夜、ユウは再び花園を訪れた。
そこには、皇妃付の香官が静かに花に水をやっていた。
「このあたりの牡丹、香りが強いですね。何か添加しましたか?」
「ああ、今年は特に濃いものを……少し、精油を……」
「“竜胆精”ですか?」
香官の手が、ぴたりと止まった。
そして数瞬後、表情を変えぬまま、そっと頷いた。
「あなたの技術、もったいないですね。毒に使われるには」
「……香も毒も、鼻を利かせる者の手に渡れば、紙一重です」
香官は静かに去っていった。
その背を見つめながら、ユウは微かに舌打ちした。
(毒が香に化けた。次は何になる?)
見えない毒の姿が、ユウの心を覆っていく。
だがその中に、シュイの笑顔や柚子の香りが、ふと差し込む。
(甘さが毒に勝つ——あの言葉、嘘じゃないかもしれない)
彼女は小さく息を吐き、手のひらの中で饅頭の包み紙をそっと握った。
構想を練るので、少しの間お休みします。




