第37話 :解剖図と竜胆花
月の光が仄かに射す診療院の一室。蝋燭の火が細く揺れていた。
ユウは机に向かい、図解の紙に細かな書き込みをしていた。
脇に置かれたのは、先日都から届いた文書──毒殺された三人の役人の体内にあったという「共通の内臓変質」の記録。血腫、潰瘍、腐敗の速度。いずれも異常だった。薬によるものでは説明できない不自然な経過。
「これは……ただの毒じゃない」
ユウはぽつりと呟き、紙に何本も線を引いた。
それは内臓の図だった。肝、腎、心、そして脾臓に印がつけられ、共通して異常を示した臓器を円で囲む。その円の中心に書かれているのは、一つの薬草の名──「竜胆」。苦味の強い薬草であり、炎症を鎮めるものとして知られているが──過量摂取すると、血管を収縮させ、内臓壊死を引き起こす。
「竜胆……まさか、使い方を変えれば……」
ユウは立ち上がり、薬棚から乾燥した竜胆の根を取り出した。手の中でひとしきり指先を転がし、香りをかいで確かめる。その苦味は確かに、記録された症状に一致する可能性がある。
ただし──
「こんな高濃度の抽出液、自然に摂るのは不可能だ。薬師の手が加わっていない限り……」
ユウは手を止めた。
思い当たる節があった。
──宮廷内にある、薬草園。
一般の者は立ち入ることができず、そこに入れるのは「医官」または「薬女」のみに限られる。
しかもそこには、帝直属の御典医でさえ扱えぬほどの強毒も保管されているという。
その時、背後から戸が軽くノックされた。
「ユウ様、お茶をお持ちしました」
入ってきたのは白い衣の薬女──セイラだった。
かすかに微笑む彼女に、ユウはふと、疑問を向ける。
「セイラ……竜胆って、どこで採ってる?」
「え?」
彼女はきょとんとした表情で答える。
「それは……中央の薬草園ですわ。少し特殊な処理をしていて、根の苦味を残しつつも、刺激性を和らげるように──」
そこまで言って、セイラの言葉が止まった。
ユウは鋭い目で彼女を見つめる。
「処理方法は?」
「…………申し訳ありません。それは……機密にあたります」
「機密?」
ユウは椅子から立ち上がり、真っ直ぐセイラに向き合った。
「毒殺された役人の体内には、薬用とは思えない量の竜胆の成分が検出された。君の言う処理──それが、毒物への変換だった可能性は?」
セイラの瞳が揺れる。
そのとき、蝋燭の火が消えた。
部屋が暗転する。
直後、外から鋭い笛の音が鳴り響いた。非常の合図だ。
「これは……!」
ユウはすぐに窓を開け、外を見た。赤い焔が上がっている。
「薬草園だ」
ユウは叫び、白衣を翻して走り出した。
セイラもまた、唇を噛みしめながらその後を追った──
※
夜の薬草園は、燃え上がる火と煙の中にあった。
警備兵たちが消火に奔走する中、ユウは裏口から中へ入り、かろうじて炎を逃れた標本室に飛び込んだ。
──すでに、多くの薬草は焼け落ちていた。
しかし、一冊の帳面だけが棚の奥に残されていた。
ユウはそれを手に取り、ぱらぱらとページを捲る。
──そこには、「竜胆」の抽出実験に関する詳細な記録が記されていた。高濃度抽出法、臓器への効果、組み合わせによる症状の変化……
「これは……計画的な……」
ユウは、今までの事件がただの怨恨や策略ではなく、「臨床実験」として行われていた可能性に気づいた。
薬を、毒に変えるための実験。
その対象となったのが──役人たちだったのだ。
背後で、セイラが静かに問いかける。
「ユウ様……これ、どうされますの?」
ユウは帳面を握りしめ、煙の向こうを見据えた。
「証拠にする。……そして、この“毒の処方者”を見つけ出す」
もう、後戻りはできなかった。




