第25話:偽りの印、真実の縫い目
その日、私の指先は確かに震えていた。
帳台の中、灯を絞った暗がりで、私はそっと包みを解いた。綿布に包まれていたのは、銀燕――かつて宦官として名を馳せ、そして毒殺された男の、最後の縫製品だった。帝服の縁にあしらわれた、わずかばかりの刺繍。その針目は美しくも、どこか不穏なほどに整いすぎていた。
(まるで、誰かに「見せる」ためだけに縫われたような……)
ふと、脳裏に閃いた違和感を確かめるように、私は指先で縫い目をなぞった。左右対称に並ぶ針目の中に、ほんのわずか、たった一針だけ「ズレ」がある。素人には気づけぬような、それでいて銀燕の腕前からすれば意図的にしかあり得ない誤差だった。
(これは――“しるし”だ)
縫製を生業とする者が、命を懸けて遺した暗号。ならば、この刺繍の意味するものは、いったい何か。
私は呼吸を整えると、書庫の隅にある布図集を取り出した。朝廷の礼装には厳格な規範がある。特定の文様、縫い目、色合い、すべてに意味がある。なかでも「縫いの崩し」は、本来あってはならないはずの禁忌――それがここに存在するということは、「何かを知らせる」ためだった。
(つまり、銀燕はこの服の主――皇太子に、何かあったことを知っていた? あるいは、この服が偽りのものであると……?)
すると、いまは亡き皇太子の「入替わり」の噂が再び頭をもたげる。ほんの一瞬、帝の血を継ぐ正嫡が入れ替わっていたという、朝廷では噂にすら昇らぬ闇の話。
だが、そんなものを証明する術など――
私は首を振った。いいえ、ひとつだけある。縫い目だ。銀燕が命を賭けて遺したこの“針目のズレ”こそが、まぎれもなく真実を示している。
そのときだった。
「おぬしが“鑑定”したものは、帝の耳にも届くらしいな」
帳台の布がするりと持ち上げられ、黒衣の影が差し込んだ。舌打ちをこらえながら私は顔を上げる。
「また貴殿ですか、羅孚殿」
暗器のような笑みを浮かべた男――禁衛の密偵・羅孚が、細い目を揺らした。
「まさか生き延びていたとは。あのとき、火に巻かれて消えたと思っていたのですが」
そう、羅孚は銀燕が殺されたとき、現場にいた。あの夜、書庫に火が放たれ、銀燕の遺体は黒焦げで発見された――はずだった。
私は目を細めた。
「銀燕殿は、本当に“殺された”のでしょうか」
羅孚の瞳に、わずかに動揺が走った。見逃さなかった。やはり何かを知っている。
「その縫製品……それを誰に見せた?」
「誰にも。……まだ、ね」
私は言葉に“針”を含ませる。彼が私を殺すつもりなら、いまこの場だろう。だが羅孚は、すぐには動かなかった。かわりに、ぽつりとつぶやいた。
「銀燕は“偽の皇太子”の存在を知っていた。だが、それを暴けば、帝位の正統が崩れる」
「だから殺された?」
「いや……それ以上の理由がある。奴は――“本物の皇太子”を、逃がしていたのだ」
その言葉は、私の胸を鋭く貫いた。
(銀燕が本当に守ろうとしたもの……それは、ただの真実ではなかった。本物の命、そして、その命が持つ“未来”だ)
ならば私のすべきことは、ひとつ。
「私は、この縫い目を正しく“鑑定”します。誰の手によって、何のために縫われたかを」
羅孚は、ゆっくりと目を細めた。
「……命を賭ける覚悟はあるか?」
「貴方も、既に賭けているのでしょう?」
帳台の外、朝焼けが、ひそやかに光を差しはじめていた。
書き終わった話の掲載が終わったので、一度完結済みにしておきます。
明日以降執筆が終わり次第、再開します。




