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第24話:血と墨の帳

赤い布をめくった瞬間、ぞわりとした空気が場に走った。


その感覚は、肌にまとわりつく湿り気のようなもので、暑くも寒くもないはずの屋内で、わたしは背中に冷たいものが流れた気がした。


「……これは」


口に出す前に、わたしは喉を鳴らして飲み込んだ。そこには、黒ずんだ血痕と、かすかに焦げたような匂いが残された絹の帳——正確には、かつて帳であったもの——が、畳まれていた。


「これが……“お告げの帳”?」


官女の一人がそうつぶやいた。声はかすれ、彼女の手が震えているのがわかった。


「いえ、“お告げ”などというものではありませんね」


わたしは帳の隅を指先でそっと持ち上げ、裏地を確かめる。そこには、まるで墨がこぼれたかのような、濃淡の斑模様が広がっていた。


「これは……墨汁です」


「墨……? でも、この模様は……」


誰かが言いかけて、口をつぐむ。たしかに、それは偶然にしては奇妙な形をしていた。人の輪郭、あるいは、祈るように跪く女の姿に見えなくもない。


「錯視です。人は、意味のない模様に意味を見出そうとするものですから」


冷静に説明しながらも、わたしの中では、ひとつの疑念がふくらんでいた。


あの女官は、なぜこれを「お告げ」と信じたのか——。


帳の中央、焦げたように変色した部分に、指をあてる。そこだけ、わずかに布が薄くなっていた。


——焦げ跡、そして薄くなった繊維。おそらく、火と液体、両方が関与している。


「これは、薬剤で焼いた痕です。特定の薬を含ませた墨を塗布し、そこに火を近づけることで、意図的に模様を浮かび上がらせる。古くは“神託の布”として、遊女や祈祷師が使っていた技術ですね」


「では、誰かがわざと……?」


「その可能性が高いです。しかも、意図的に“人影”のように見せかけて、神の啓示に見せるよう工夫されている」


そう言ってから、わたしはひとつ深く息を吐いた。


ここで一度、話を整理しなくてはならない。


——血痕はおそらく動物のもの。わたしが先に調べていた、鶏の生き血。お告げの帳に墨とともに塗布され、火で“神託”を演出した。


けれど、なぜ?


「この帳を誰が管理していたのか、詳しく調べさせてください」


わたしがそう言うと、近くに控えていた侍女頭がこわばった声で答えた。


「……あれを祀っていたのは、今朝倒れた御女ぎょにょ、鳳妃様付きの御部屋付です」


わたしは眉をひそめた。


——鳳妃付き。


つまり、前回毒に倒れた妃。だが、御女の毒物混入事件はすでに別件として扱われている。では、今回のこの“神託帳”は——それと連動しているのか、それとも別の流れか。


「それから、これは伝聞なのですが……」と、控えめな官女が口を開いた。「鳳妃様の御部屋では、この“帳”が揺れるたびに、吉凶を占っていたそうです。帳が揺れた夜には、誰かが倒れると」


それを聞いて、わたしはぴたりと動きを止めた。


——帳が“揺れる”?


自然ではない。帳が風もない部屋で揺れるには、外部の力が要る。すなわち、それを誰かが“揺らして”いた。意図的に。狙って。


「……ひとつ、確かめたいことがあります」


わたしは帳を抱えて立ち上がると、部屋の欄干近くに歩いた。柱に手をかけ、帳をつるす位置を確かめる。


「この天井、微細な振動で帳が揺れる構造にされているかもしれません。つまり、下から手で揺らさずとも、別室から天井裏を伝って揺らすことができる」


「どうしてそんな細工を……?」


「帳が揺れるたびに、神の怒りと“予兆”が見える。そう信じさせるためです」


わたしはそっと天井を見上げた。まるで誰かが、上からこちらを見下ろしているかのような錯覚を覚えた。


「だとしたら、この帳の向こうには……神ではなく、人の思惑がある」


静かに、確信を込めて言う。


この“帳”は、神託ではない。人が仕掛けた呪術まじないだった。そしてその影には、王宮内のもっと深い“企み”が横たわっているはずだ——。

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