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第22話:黒鳶の断章

 街道筋の屋敷に戻ると、私はまず薬箪笥の前で手を止めた。


 傷薬の蓋を開け、干した竜胆を取り出す。苦みは強いが、熱毒を散らす効能がある。それを細かく刻みながら、私はゆっくりと息を吐いた。――気づいてはいた。


 灰衣のしゅくいのおんなへきという女の、あの過剰なまでの丁寧さと無垢なふるまい。


 それは、《何かを隠している者の典型》だった。


 「……わざと、見せていたのよね。あのきずを」


 私が見たのは、彼女の足首の周囲に残る、刺青を消した痕跡。数年前の火傷痕のようにも見えたが、よく見れば、皮膚に焼きを入れて《文様》を潰した形だった。


 「つまり、“あの印”を持っていた者、ということ」


 それは帝都の裏で生きる盗賊団《黒鳶こくえん》の刻印だった。死罪に値する紋様。


 ただし、それはあくまで“かつて”の話だ。


 碧は、今ではその印を焼き潰している。つまり、“抜けた”者。


 問題はそこではない。


 「なぜ、そのことを……銀燕ぎんえんが、私に知らせたがったのか」


 銀燕の遺した糸と、意図的な縫い目のズレ。そして、最後の仕立て布に刻まれていた“鳥の羽根”の文様――それは《黒鳶》の象徴。


 それを読み解いたのが、碧の過去だとすれば。


 「彼女が、関わっていた……というより」


 私は自分の考えに、自分で驚いた。


 「彼女が、“銀燕を殺した者”だと?」


 思い返せば、あの布の仕立てを担当したのは碧だった。そして、銀燕の衣装が最後に届けられた際、封が不自然に“封緘ふうかん”されていた。


 それは、銀燕が自ら《開封の痕跡》を確認していたということだ。


 つまり――。


 銀燕は、気づいたのだ。

 届けられた“自分の衣”に、碧の痕跡があったことに。

 そして、自分が“殺される”ことも。


 


 私は、膝に置いた包帯をぎゅっと握った。胸の奥が、きしりと痛んだ。あの勝ち気で、どこか子供っぽかった銀燕が、黙って死を受け入れたと思うと、悔しくてならなかった。


 「でも、納得はいく……あの人が、なぜ何も言わず、布だけを残したのか」


 言葉で託さず、糸の乱れと模様の歪みだけで知らせようとしたのは――碧が《黒鳶》の元構成員であることを、声に出しては言えなかったからだ。


 それは、帝都で生きる者にとって、もっとも忌まわしく、そして危険な過去。


 「……碧。あなたは、いったい誰を庇っているの?」


 そう――碧は、今も《誰かを庇っている》のだ。


 銀燕が殺されたのなら、それは《裏の者》の仕業。だが碧自身が手を下したとしたら……あの目の、揺れる光の説明がつかない。


 私は再び、包帯を薬湯に浸して絞った。掌から滴るぬるい湯は、何かの涙のようで。


 その夜、帳の向こうから、足音が近づいてくる音がした。


 「――お嬢さん。ご在宅で?」


 それは、黒鳶の噂が立ち始めてから、何度目かの来訪だった。あの宦官が、また現れたのだ。


 「そろそろ、“お答え”をいただきたいと、上から」


 私は静かに薬布を畳み、棚の薬瓶をひとつ、袖の中へ忍ばせた。


 そして、帳をあげて、こう答えた。


 「……答えは、まだよ。もう少しで、糸口に指が届きそうなの」

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