第21話:五分の沈黙
茶館を出る頃には、すでに空が朱に染まり始めていた。
街の喧騒にまぎれても、脳裏にはあの少年の言葉がこびりついていた。
「おれ、あの“祭衣”を着た男、どこかで見た気がするんだよな」
その声は頼りなく、けれど妙に真実味があった。
私――リーリンは、簪をいじりながら黙って歩いていた。
祭衣。それは都の大祭でしか使われない、絢爛で厳格な装束。辺境の者が手にするはずもない、王都の象徴。
なのにそれが、あの呪殺事件に関係しているとしたら。
(……都から、何かが流れてきている?)
想像の輪郭が、じりじりと形をなしていく。目の奥がじんと熱を持ち始めるのを感じた。
そんな時だった。目の前で、奇妙な光景が飛び込んできた。
「――火事?」
小さな路地の奥から、煤けた煙がゆらりと立ち上っていた。誰かが叫び、バケツを手に走っていく。
私は足を止め、匂いを嗅いだ。焦げた藁の臭い。それだけではない。薬草の――それも、乾燥処理中のものが燃える時の匂いが混ざっていた。
「診療院?」
咄嗟に、足がそちらへ向かっていた。
診療院の一角、調薬小屋の壁が黒く焦げていた。火は既に消されていたが、灰と煙の残滓がまだ残っている。
「おい、そっちは危ないぞ!」
煙の中から出てきたのは、焦げた上着を脱ぎ捨てる年若い薬師見習いだった。
「火の出どころは?」
「乾燥棚です!……でもおかしいんです。あの棚は、火元からいちばん遠くて……」
言いながら、見習いの青年は唇を噛んだ。
私は静かに、燃え残った乾燥棚の奥を覗き込む。
薬草はほとんど炭になっていたが、わずかに色の残った切れ端がひとつ、灰の中に落ちていた。
(これは……苦甘草)
辺境では珍しいが、都では常備薬にも使われる薬草だ。輸送経路の管理は厳しく、闇市にもまず出ない。
(都から来た誰かが、意図的に持ち込んだ?)
さらに、棚の側面に焼け跡とは別の痕があることに気づいた。何かでこすったような――小さな布の擦過痕。
私は膝をつき、その黒ずみを指でなぞった。
「この場所で、誰かが立ち止まっていた。火が出る前に」
それも、ただの薬師ではない。――知っている者。薬の性質を、燃えた時の匂いまで、計算していた誰か。
喉元に、苦いものがこみあげてくる。
(やはり、事件は都とつながっている。……でも、どうして、いま?)
この小さな火事は、口封じか、それとも――。
ふと、後ろから声がした。
「――君の考え、聞かせてくれるかい?」
振り返ると、そこにはアシュが立っていた。
火に照らされたその横顔は、相変わらず笑っているのか、見定めているのかわからない。
「苦甘草は、都の薬王院からの流通が主だ。辺境には、正式には渡らない」
「ええ。それが、灰の中に落ちていました」
「つまり、ここに“都の者”がいたということだね」
私は頷き、言葉を選ぶ。
「……都から来た誰かが、何かを隠そうとした。診療院の薬草棚で」
アシュは静かに目を細めた。
「そして、祭衣の男の話も。ひとつの線に、なってきたね」
私は思わず息をのんだ。
誰かが――この診療院を通じて、王都とつながる何かを企んでいる。
その“誰か”が、私のすぐ近くにいるかもしれないという現実が、肌を冷たく撫でていった。
火の匂いが、まだ鼻孔に残っている。
その中に、かすかに漂っていた――何か、別の匂いに気づいていたのに、私はまだ、それを思い出せずにいた。




