表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/40

第18話:偽りの香、真なる意図

 芍薬妃毒殺未遂事件の黒幕が蘭花であると判明した後も、後宮の空気は落ち着かなかった。


 その理由は、梨花自身が一番よく分かっていた。


(蘭花は確かに実行犯……けれど、彼女ひとりでは“香偽”をここまで堂々と使えない)


 香偽の調合は難しい。特に、後宮内で他人に気づかれず毒性を仕込むには、高度な技術と物資の流通経路、そして“庇護”が必要だった。


 つまり、背後に――もっと大きな存在がいる。


「……どうしても、宮外から香材を手に入れられていたことが腑に落ちないのよ」


 独りごちる梨花のそばで、翠蘭が湯を注ぎながら眉をひそめた。


「蘭花って、確か宦官付きの女官だったわよね? もしや、内官が関わってるとか?」


 その言葉に、梨花ははっとした。


(そうだ。物資の出入りに口を出せるのは、外廷の管理役――)


「……文館官の、苑昌えんしょう様」


 翠蘭が湯飲みを置く手を止めた。


「あの人……確かに、妙に宮中の薬草庫や香材に詳しかったっけ」


「彼が、蘭花に協力していたとすれば……調達も潜入も、納得がいく」


 梨花はゆっくりと立ち上がった。視線は遠く、確信に近い疑念を宿している。


(香の仕入れに手を貸した理由は? そして、なぜ芍薬妃や蓮妃が狙われた?)


 この事件にはまだ、解けていない“動機”が残っている。



 苑昌は、香を愛する男だった。

 それは梨花も知っていた。書庫で調べものをしていたとき、彼が香の文献を貸してくれたこともある。


 ――けれど、あの頃とは違う。


 後宮の香材管理を任された彼の手元に、蘭花が出入りしていた記録が残っていたのだ。


「苑昌様、お時間をいただけますか?」


 薬館の正式な調査という名目で、梨花は苑昌の居室を訪ねた。


「これは……珍しいお客様ですね、薬館の鑑定士殿」


 苑昌はあいかわらず柔和な笑みをたたえていた。

 だが、どこか芝居がかった余裕。それが逆に、梨花の警戒を強める。


「香偽――あの香の材料が、ここ数ヶ月で急激に入庫されていたこと、ご存じでしたか?」


 苑昌は、ゆったりと茶を啜った後、言った。


「もちろん。後宮では様々な香が使われますから。少量であれば、毒性をもっていても管理の範囲内でしょう?」


 淡々とした声。それが、逆に確信を深める。


 梨花は、懐から小さな木片を取り出した。


「これは、芍薬妃様の香炉に残っていた香の一部。鑑定したところ、香偽のほかに“女馬香にょばこう”が混じっていたの」


 苑昌の瞳が、微かに揺れた。


 女馬香――それは、女性の月のものを早めたり不安定にする効果がある香。後宮では妃の妊娠を阻害する意図で極秘に使われることがある。


「……あなたの目的は、“後継の妃を選ばせないこと”だったのね?」


 その瞬間、苑昌の笑みが、わずかに崩れた。


「お見事。まさか、そこまで辿り着くとは」


 ゆっくりと、苑昌は立ち上がる。


「――王が、誰の子を望もうと、我々文官が国を支えている。

 妃が子を持てば、血が“政治”を揺るがす。香は、その歪みを整えるための調律だ」


 冷たく淡々と語るその声に、梨花は言葉を失いそうになった。


(この人にとって、香は“抑制の道具”。毒ではなく、秩序の香――)


「それでも、命を弄ぶ理由にはならない」


 ぎり、と唇を噛んだ梨花に、苑昌はふっと目を細めた。


「あなたは“香”を信じすぎている。香は真実を導くものではない。

 ただ、人の心を導く“煙”にすぎないのですよ」



 苑昌は後日、香材管理の不正供給により処分された。

 だが、彼の行動に関しては“政治的配慮”で事件としては大きく扱われなかった。


「本当はもっと騒ぎになるかと思ったけど……お咎め軽かったわね」と翠蘭が呟く。


 梨花は、香材台帳を閉じながら答えた。


「“香の道”は、深くて闇も濃い。香を嗅いで、すべてがわかると思っていた私が甘かったの」


 苑昌の言葉が、耳に残る。


――香は、人の心を導く“煙”にすぎない。


 ならば、自分の心はどこに導かれていくのか。

 梨花はふと、昔、薬館の庭で風に香る沈香の匂いを思い出した。


 あの匂いの中に――真実はあっただろうか?


(私は、もっと知りたい。香の奥にある、匂いの届かぬ“真実”を)


 静かな炎のように、梨花の目が燃えていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ