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第16話:毒の名は、記憶の底に

 翠蘭の証言を聞いたあと、梨花は一人、書庫へ向かった。


 この王宮の一角、誰も立ち入らぬ禁書庫。ほこりをかぶった古文書の匂いが、薬草よりも落ち着くのだから不思議だ。


(左手で香炉を持った者……芍薬妃ではない。ならば誰?)


 記録によれば、後宮内で左利きと明記された女官は、ごくわずか――

 だが、その中に見覚えのある名があった。


蘭花らんか……」


 梨花はその名をそっと呟いた。

 翠蘭と同じく、芍薬妃付きの女官。そのうちの一人だった。


 しかも、蘭花はかつて薬館で補助をしていた経験がある。薬草の知識も香の扱いも心得ている。

 そして、数ヶ月前――彼女は突然、持病を理由に下がっていた。


(もしや、あの夜……)


 梨花は禁書庫の棚をひとつひとつ撫でるように探し、「香薬目録」の巻物を抜き出した。


 その中に、ある記述が目に留まる。


香偽こうぎの香」──本来の香の匂いを覆い隠し、別の香りにすり替える作用を持つ。使用後しばらくして揮発し、香の変化に気づきにくい。


 この香は、使用後わずか三刻で効果が切れる。つまり、事件後には何の痕跡も残らない。


(香をすり替えるだけでなく、毒そのものに気づかせないためのもの……)


 梨花は、先の診察で見落とした細部を思い返す。

 蓮妃の発作。香炉。翠蘭の証言。芍薬妃の不自然な供述。


(この事件は、芍薬妃を犯人に“見せかける”ために作られている。香を仕掛けたのは、蘭花か?)


 思考を巡らせるうちに、急ぎ足の足音が近づいた。

 扉が開き、銀衣の近衛が顔を覗かせる。


「梨花様。芍薬妃様が、倒れられました」


 その一言で、梨花の頭の中に閃光が走った。


「……なんですって」


 走る足音。はためく薬館の衣。

 芍薬妃の私室に駆けつけると、そこには香の香りと、崩れるように倒れる芍薬妃の姿があった。


「脈、浅い。顔色……青白い。汗、冷たい……これは、まさか……!」


 梨花は匂いを確かめると、すぐさま香炉を手に取り、指で香の灰を擦る。


「やはり……“香偽”の香が使われてる。しかも、蓮妃のときと同じもの……」


 芍薬妃が毒を仕掛けたと見せかけていた張本人――その誰かが、今度は芍薬妃をも狙った。


 梨花は思った。


(これは、復讐でも、嫉妬でもない。計算された“無差別”の毒――標的は“名”を持つ者全て)


 芍薬妃の手を取り、解毒のための香草を口元にあてがいながら、梨花は静かに言った。


「安心してください。わたしが必ず、あなたを救ってみせます。そして……すべてを暴きます」

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