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第13話:謎の置き手紙と濡れた筆先

 その夜、梨花のもとに届けられたのは、香の匂いも封蝋もない、奇妙な書簡だった。

 差出人の名もないその手紙には、たった一行、細く歪んだ筆致で書かれていた。


——《あの女官は、まだ生きている》


「……生きてる?」


 梨花は手紙を火の灯りにかざした。

 薄く染み込んだ墨は、乾いたようで乾いておらず、紙の繊維にわずかな湿り気を残していた。


(今日届いたにしては、妙に湿ってる……これは、“筆を濡らしすぎた”書き方じゃない)


 職務柄、筆と薬剤には人一倍敏感だ。梨花は指先で紙の角をなぞり、ふと眉を寄せた。


「……これは、薬草の匂い?」


 かすかに漂う、青蓮根と松脂のような香り。

 それは傷を癒す軟膏に含まれる成分だ。


(この手紙を書いた人物は、医官、もしくは薬を扱う女官……)


 そのとき、ふと胸に去来する感覚があった。

 あの血を吐いて死んだはずの若い女官──「春桃」の顔が、闇の奥から浮かび上がる。


 春桃は、亡くなったとされる蓮妃付きの侍女。

 遺体には黒い吐血の痕があり、誰もが毒殺と信じて疑わなかった。


 だが。


(もし……遺体が「替え玉」だったとしたら?)


 梨花は記憶を辿る。春桃の遺体は、すでに葬られたことになっている。

 しかしその葬儀は、妙に慌ただしく、誰も顔を確認していなかった。目撃証言も曖昧だった。


「誰かが、あの娘を“死んだこと”にしたがっている……」


 その動機は何か。

 春桃が「何かを知ってしまった」のか、それとも「使える駒」として隠されたのか。


 ──ドクン。


 梨花の胸がざわつく。


(蓮妃が、春桃を隠している? それとも芍薬妃の手の者が……?)


 ちょうどそのとき、外から足音が聞こえた。

 夜更けに来るには不自然な、速足の歩調。


「誰……?」


 戸を叩く音。

 梨花が構えると、扉の外から低い声がした。


「薬館の女、いるか。すぐ来てほしい。妃の侍医が倒れた」


 帝直属の使者だった。


 走る道中、梨花の心は波打っていた。

 もしそれが“あの侍医”であれば、あの手紙と何か関係があるのではないか。


(今夜が境目かもしれない。隠された真実を暴くチャンス)


 侍医が倒れていたのは、芍薬妃の別邸だった。

 薄暗い部屋に足を踏み入れると、すでに数人の女官が青ざめた顔で取り囲んでいた。


 中央に倒れていた男は、梨花の記憶にある医官──黄老だった。


 その顔には汗が滲み、呼吸は浅く、胸のあたりを何度も掻いていた。


(中毒症状……いや、皮膚の発赤、脈拍の早さ、これはアレルギー性のショック?)


 梨花はすぐに手持ちの薬包を取り出し、草根と枳実を調合した粉末を薄く舌下に押し込む。

 脈をとりながら、次いで松脂から抽出した浸剤を薄く塗り、呼吸を落ち着かせる。


 数刻後、黄老が微かに目を開けた。


「なぜ……妃の命で……春桃を……」


 そこで言葉は止まった。

 だが、梨花には確信に近いものが生まれた。


(やはり、春桃は……まだ生きている)


 闇はますます深く、複雑に絡まり始めていた。

 妃たちの間に渦巻く陰謀、その奥に潜む「死んだはずの女官」。

 そして、帝までもがその真実を知ろうとしている。


(この後宮のどこに、春桃は隠されている……?)


 夜の帳が下りるなか、梨花の目に静かに闘志の火が灯っていた。

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