表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/25

花開き 【二】


 放課後、部活で残った生徒の声がかすかに教室へ届く。生暖かい木の匂いが湿り燻った薪のように感じた。

 夏至が近いからだろうか、こんな時間なのに外はまだ明るい。


 中学生の頃、私は興味のなかったバスケ部に勧誘された。硬い感触の残る手のひらを見つめる。

『人数があまり多くなくて……』

 クラスの一人が私の運動能力に目をつけたのか、秘密を打ち明けるかのようにひっそりと囁いた。思えば、あれが私を作るきっかけになったのかもしれない。

 特段身長も高くなかった私にはバスケの経験などなく、小学生の時から続けている子と肩を並べて練習するのは少々気が引けた。

 やる気が十二分にあるわけでも、バスケに対して強い思い入れがあるというわけでもない。突然やってきた素人の私に、最初からいた部員たちは何を思ったのだろう。

 ざらざらとした襞が両手に重くのしかかる。小学校で使っていたものより少し硬いボール。重く、簡単に投げ合って遊ぶには難儀な代物だ。これをすぐに身に付けて下さいと言われると、なんとなく気持ちまでも重くなるような気がした。

 しかし私は、自分の実力がどこまで通用するのか試してみたかった。入ったことのない領域に足を踏み出し、自分の拡張された存在がどれほど染みだしていくのか確かめたかった。

 なんでもいいからとにかく目標が欲しかったのかもしれない。

 何もない私に唯一残された、あるかも分からない存在価値を探して。体力には自信があったし、指先も器用だった。

 結論、私にはその手の才能があったらしい。始めてすぐに手元を見ず走ることができた技術も、コート内を広く見渡せる優れた視野も、他では得難い才だったようだ。顧問からの指導も次第に熱が入り始め、私もそれに熱中していった。

 入部して数ヵ月が経った。最初は初心者枠として優しい目で見られていた私も、その真価が発揮されていくにつれてチームの中の雰囲気をなんとなく察することができてきた。

 集団として必要なもの不要なもの。それが分かり始めた時、部活に熱心でない先輩の存在が私の中で浮き彫りとなった。

 人数が多くないと聞いていたが、部活の存亡をかけるほどに瀕していたわけではない。彼女が私に期待したのは、まともに切磋琢磨できる部活動の充実や先鋭化ではなく、目の上の瘤を排除するために持ち上げられた槍玉だったのだ。

 流れた額の汗をシャツで拭いながら、私は体育館で涼しい顔をする先輩の姿を見た。くたくたの後輩に言葉を吐くその顔に、幾ばくかの嫌悪感を抱く。

 高圧的な態度は私よりも繋がりの深い別の部員たちに振りかざされる。他人を見下す彼女たちの求めているものは、低俗な優越感だった。


 教室の扉が開いて、廊下から女生徒が顔を出す。曇った彼女の表情は、椅子に座る私を見つけたからだろうか。過去を思い出し鼻唄まじりの私は、上機嫌に告げる。

「ごめんなさい、呼び出したりして」

 謝る態度ではなかったが、そんなことを彼女は気にしてもいない。

 髪を一つ結びにして勝ち気だった委員長は、真剣な顔のままわずかに口を開いた。

「部活中なんだけど、なに」

 刺々しい態度は相変わらずだった。皆には見せない、露骨で憎悪を含んだ視線。

 睫毛を一瞬だけ伏せた。私は言葉を選ばずに告げる。

「みんなの前だと聞きづらかったから。安城さんって、前園と付き合ってたの?」

 私は椅子からゆっくりと立ち上がり硬い床を踏みつけた。

 思い付くままに喋っていた彼女も、普段からこんな気持ちだったのだろうか。

 薄く引き結ばれた委員長の口が固まる。驚いたような目の動きが、口ほどに物を語っていた。

 彼女は開いていた手のひらをぎゅっと握りしめる。

「あんたには、関係ない」

 水面を目一杯叩いたような水の飛沫。語気が強まり、思いやりの消えた口調になる。

「やっぱりそうだったんだ。ちょっと、噂で聞いたんだ」

 私は小さく微笑んだつもりだった。柔らかい眼差しを彼女に向ける。

「同じ中学だったんだよね」

「だったらなに? なにが言いたいの」

 フラストレーションの溜まる彼女は、体を強張らせた。

 私がどこまで知っているのか、彼女は知らない。

 前園と安城は中学まで付き合っていた。だが何かの原因で高校に入る前、別れたそうだ。痴情のもつれとか痴話喧嘩の延長だとか、深い知り合いのいない私にとってそんな些細なこと、どうだってよかった。

 それほど二人の存在は目を引くものだったのだろう。噂には多少の尾ひれがつくものだ。

 そんなことも露知らない私は安城にとって鼻につく存在だった。前園と仲の良い私の態度が彼女は気に食わなかったのだ。気に入らないなら潰せばいい。野蛮で理性を欠く彼女の思考、私は割りと好きだった。

 安城は私と同じ中学校の知り合いを引っ張り出し、手の早いこと、私に対して他愛もないこけおどしを仕掛けてきた。

 私の外見はかなり目立つ。功を奏すこともあれば足を引っ張ることだってある。平均化で浸された学校という箱の中で、私という飛び出した釘があれば誰だって打ち付けたくなるのは当然のことだ。

 安城は私の過去について、あることないこと吹聴してまわり、私を孤立へと導いた。美醜に対し殊更にコンプレックスを抱く学友らが、私の規格外なステータスを僻まないわけがなかった。

 二度しか会話したことない女子たちが、遠慮がちに私との会話を切る。その変な空気感が瞬く間に伝染していった。

 ゴールデンウィークに入る頃、私は殆どの女子から敬遠されてしまっていた。陰険なやり方に思わずため息が出る。誰が主犯なのかはすぐに分かってしまった。入学して間もないはずのこのクラスを仕切ることができるのは、声の大きな同じクラスの女子だけだ。

 聞こえるように言われる陰口を背に受けながら、一人きりの学校生活をしばらく過ごす。

 教師に訴えることもできたが、優しい私は彼女の期待に添えられるよう惨めないじめられっこを演じた。

 女子たちに無視されようが、昼食を一人で食べようが、情けないとも寂しいとも私は思わなかった。過去の行いが暴かれたところで、面の皮一枚動くことはない。穏やかな日常を過ごしてきた彼女たちには、恐らくそれが理解できないのだろう。

 本当の孤独を知らず、馴れ合いの中でしか自らを表現できない烏合の衆。

 どうしてみんな、埋没する人間でいられるの? 死にかけの人間性を居座らせて、漫然と朽ちていく見栄をかぶり生き続ける。私にはそっちの方が理解できなかった。

 一人でいる時間が増えていけば、自然と男が寄ってきた。麗しげに目を合わせ、友達がいないと呟けば、彼らは喜んで私の暇を潰してくれた。

 仲が良いことをステータスにするというところは、案外男も女も同じなんだと思った。

「もう付き合ってないんでしょ?」

 私は気兼ねすることなく安城に尋ねた。彼女の緋色の瞳は、窓側からくる夕日の色を映す。

 私に楯突いた女がどうなるか安城は知っていた。それなのに、どうして虎の尾を踏むようなことをしたのだろうか。

 無視していた女に自らの首を抉られる気分はどう?

 私は引き攣る彼女の顔を見ながら、とつとつと続けた。

「前園人気あるみたいだから、諦めたら?」

 安城が作り出した"光島を無視する"という暗黙の了解を破ったのは、前園本人だった。

 彼は気さくで男女関係なく友達が多かった。私が独りでいることを不憫に思い、女子との垣根なんかなかったように男女グループを作り上げてしまう。

 前園は多分、善意だったのだろう。

 そして女の子にだけかかっていた魔法が解ける。

 彼女たちを縛り付けていた衆目という鎖。

 いじめって多分、こんな細い気持ち一つで出来上がってしまうんだ、そう私は思った。

 安城の目論見は突き崩され、私は他の子と口がきけるようになった。傑作だったのはそんな前園のことを安城がまだ好きだったということ。

 私と一緒にいる彼を見つめる彼女。その陰険な表情と恥辱。彼女が何を求めているかなんて、私じゃなくても分かるだろう。

 詰めが甘いどころか、弱みまでみせてくれるなんて。もっと狡猾にやらなきゃ、私みたいに。

 堪忍袋の緒が耐えかねたのか、彼女は言い放つ。

「はぁ?! 意味分かんねぇよ!」

 私に向かって足を踏み出す。怒りを剥き出しにした本能の叫び。体裁を取り繕うことさえ忘れ、後ろ髪を振り回す。

「ねぇ。私をハブったりして楽しかった? 少しでも優位に立てて満足できた?」

 怯むことなく私は彼女の激情を煽る。情けないほど今の私は、愉悦を楽しむ以外の感情がなかった。

 止められない、人が作ったドミノを横からそっと押し出す快感。高慢で驕り昂った人間が狂いながら自らの責を他人に擦り付ける行為。

 すべては魅力のない自分自身が招いた結果じゃないか。

 襟を掴まれた私に彼女が肉薄してくる。そのまま殴りかかられると思ったが、案外彼女は良識を残していた。

 歪む眉間の下、鋭い眼光で私を射抜く。震える肩と激昂した頭で、彼女は私に告げた。

「あんた……やっぱ最低だね」

 しんと静まった校舎。部活に勤しむ生徒の掛け声や、往来のない廊下から這い寄る静寂が、私たちの教室を満たした。

 端正な顔を歪ませないように、私は精一杯の努力をして答える。

「安城さん、あなたも同じよ?」

 それでも私は、込み上げてくる笑いが堪えられなかった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ