第二章「涙の国」①
青銅で出来た戦車というものを、レクスは初めて目にした。
重い鉄の塊を、屈強な馬の四体が足取り軽やかに曳いていく光景は圧巻だ。
乗り物といえば、木と葦で造られたものしか故郷では目にしなかった。
馬は確かにいたけれど、こんな重いものを引きずっているのは見たことがない。
「そういえば」
そんな戦車の上で、物珍しそうに青銅を撫でながらレクスは呟いた。
「女神エルの遣いの者は、貴方に薙がれた後、どうして土になったのでしょう?」
「あの兵士どもは皆土くれから出来ているからだ」
彼女の問いかけに答えたのは、モナークだった。
青銅を撫でるレクスの手をやんわりと抑え、離させると自身の身体にぐいと寄せた。
「土? では、生きてはないのですか?」
問いかけにはきちんと答えているように見えた。
それに、それぞれがそれぞれに行動しているようにも。
声が出せて、会話が出来て、思考がある。
あれが『生きてない』のであれば、生命とはいったい何を指すのだろう。
「少なくとも人とは違う。使い捨ての駒のようなものだ。女神エルにとってはな」
「では、貴方にとっては?」
再び青銅のそこに手を伸ばそうとしたレクスの腕を抑えると、レクスはモナークを見上げた。
じ、とその目がモナークの視線と交錯する。
「何?」
モナークは目を細めて聞き返した。
「ですから、貴方にとっては、どうなのでしょう?」
彼にはレクスの問いかけに何の意味があるのかわからなかった。
容赦なく暴力をふるった彼を責めているのか、はたまた、何か試しているのか。
やがてモナークは少しため息をつくと、言った。
「ただの兵士だ」
「兵士」
「儂の前に立つ敵だ。土くれの兵士だろうが、人間だろうが、違いなどありはしない」
「そう、ですか」
少し考えこむようにして、レクスは押し黙った。
そうして黙り込んだ彼女にかわって口を開いたのは、イーシュだった。
「閣下。まもなく陽が落ちます」
「そうだな。炎を灯せ。……魔物らも我らが火には近寄らぬだろう」
モナークが指をはじくと、その指先から炎が弾けた。
猛々しい炎は、数名の兵士が持つカンテラへと入るとそこで灯りとなった。
まるで小さな太陽のようだった。
夜の闇から、この隊だけをモナークの炎が照らしているのだ。
「砂漠の夜は冷える。お前は、ワシの外套の中に入るがいい」
「え、でも、」
「来い」
有無を言わせず、モナークは外をじっと眺めるレクスの身体を掴むと、紺色の外套の中に放り込んだ。
レクスの身にはあまるそれの中は、モナークの体温のせいか温かい。
慌てて外套の隙間から頭を出すと、その温度差に思わず頭を引っ込めてしまうほどだった。
「ふ」
上の方から、鼻で笑うような声がした。
ぷうと頬を膨らませて、レクスはもう一度顔を出した。
「お、思ったより寒くてびっくりしただけです。この程度、平気です!」
「強がりを言う。人間がこの寒さに耐えられるものか」
大人しくしていろ、とモナークはレクスにそう告げると前を向いた。
レクスはしばらく唇を尖らせていたが、やがて大人しく外套の中に引っ込んだ。
首元から、するすると蛇が顔を出す。
「彼の言う通り、砂漠の夜なんてめったに出歩くものじゃないよ」
「もう、ルイまでそんなことをいう」
「事実だからさ。彼らが平然と歩けるのは、その強靭な肉体があってこそだからね」
「ふうん……私のいたところには砂漠なんてなかったから、よくわからないや」
レクスの故郷では砂がたくさんある場所といえば、砂浜くらいだ。
他は湿った土と草木が生い茂る場所で、そうではない場所にも短く草が生い茂ったり、コケがあったり、そうだ、岩場はあれど砂漠というものはなかった。
昼間は温暖だと思った気候も、確かに夜は別人のようだ。
(本当に、海を超えたんだ。私)
実感が、今になってじわじわと、胸をこみ上げてくるようだった。
レクスは、そ、とルイの身体に手を触れた。
「キミの目的が、果たせるといいね」
「……うん」
「さあ、今は目を瞑りなさい。彼らはとても強いから、キミも今は安心して眠るといい」
「うん……」
ルイに言われて、レクスは外套の中で背中を小さく丸めた。
それから、ぎゅっと瞼を閉じた。