第一章「海の民の町」③
報復を終えたモナークたちは、『海の民の町』に差し掛かっていた。
兵士たちの鎧に傷はない。
アミラの町を焼き払うにあたり、多少の交戦はあったものの、エルの兵士たちはあっさりと退却したためだ。
「拍子抜けするほど、防衛力のない町でしたね」
モナークの傍らで、小柄で華奢な男が呟いた。
彼はモナークの副官を務める、イーシュという男だった。
異形の者の中で、彼の肉体にはさほど人間と乖離した部分はない。
頭から伸びた日本の触覚と、昆虫のような二枚の羽根を除けば、ではあるが。
「兵力は半分でもよかったかもしれません」
その圧倒的な力の差は、虐殺を思わせただろう。
当然、エルの雷に焼かれた彼らの町だってそうだった。
兵士たちとの力量では町の防衛力が勝っていたが、女神エルが落とした雷は成すすべなく町を焼いた。
その理由は、『涙の国』との交易を持った、というただそれだけだった。
「……妙だったな」
モナークが返したのは、そんな言葉一つだった。
イーシュは小首を傾げた。
「妙とは? 罠だった、と?」
「いやそうではないが、まるで『焼かれて当然』といったふうに見えた」
「言われてみれば、まあ……」
女神エル本体が出張ってくることも予想された。
むしろそうなるかもしれないと思い、彼自らの出陣だった。
「調べてみますか?」
「そうだな」
ほどなくして、砂岩で出来た町並みが見えてきた。
兵士たちが「町だ」と声を上げ始める。
今回の行軍のスケジュールには、この海の民の町への立ち寄りが最初から決められていた。
涙の国は肥沃な大地に囲まれ、また川もあり資源には困らない国であったが、この海の民の町の商店街にはこの大陸以外のものも並ぶ。
そういった貴重な食料、あるいは兵糧を補充するためだった。
海の民の町は、基本的には中立である。
女神エルにも、涙の国にも基本的には与しない。
彼らにとって損になるか、得になるかだけが、彼らの『基準』なのだ。
そもそも彼らは、この大地の民ではなかった。
名の通り、彼らの本拠地は海である。
民の一部は今も海に残り、彼らの故郷を守っているのだとか。
そのスタンスは、この大地の港としてとても合うものだった。
信仰を持たない彼らにとっては、どんな者も『取引相手』なのだ。
そうしてそれを、涙の国も女神エルも受け入れていた。
「閣下、此度の『商談』は誰に?」
イーシュはちらりと背後にぞろぞろと並ぶ本隊を見た。
今回の部隊編成は少し特殊で、普段は行軍に出ないものも混ざっている。
「ヘヴェル卿がいただろう。あれにやらせろ」
「ははっ。閣下も同行されますか」
「……いや、儂がいけば民が恐れる。戦車で待機しよう」
「かしこまりました」
イーシュは後ろを振り返ると、ヘヴェル卿を呼んだ。
彼はすぐに駆けてきた。
狼の獣人である彼は、耳をぴく、と動かしながら畏まって頭を垂れた。
「このためにお前を連れてきたといっても過言ではない。うまくやれるな?」
「仰せのままに」
モナークがそう言うと、ヘヴェル卿は深々と再度頭を下げた。
その尻尾が少し嬉しそうに左右に揺れる。
「では、いつも通り本隊は町の外で待機させます。閣下もどうぞ、戦車へお乗りください」
「ああ」
ずし、ずし、とその巨体が戦車へと向かう。
それと同時に、イーシュは全身を鎧で包んだ男と、そのそばにいた大男に指示を出した。
部隊の動きが逸れ、町を避けるように迂回が始まった。
モナークは戦車に乗ると、綱を引いた。
馬の向きが、本隊と同じように沿う。
「……む」
と、ここでようやく、彼は町の異変に気付いた。
いつもは活気に溢れ賑やかな町が、嫌な静けさに包まれている。
ふと上空に目を凝らすと、町の一部に何かが集っているのが見えた。
銀に輝く鎧に包まれて飛ぶそれは、間違っても、鳥ではない。
「待て!」
モナークが声を張り上げると、本隊はぴたりと立ち止まった。
「何事でしょう?」
イーシュとヘヴェルが、二人そろって彼の元へ戻ってくる。
彼はその逞しい獣の指を、空へ向けた。
「空をみよ。──エルの兵士だ」
「!」
イーシュはその小柄な体を使って、瞬く間に町の入り口にそびえる建物の上へと跳ね上がった。
首から下げていた双眼鏡を覗く。
その傍らで、ヘヴェルがぴくぴくと耳を動かす。
二人はほぼ同時に、モナークの元へと戻ってきた。
「申し上げます。連中、水場で何者かと交戦中のようです」
「ほう?」
「聞こえる音は一つ。……恐らくは、一人相手に大勢でかかっているものと」
モナークはそれをうけて、戦車から降りた。
それから、戦車にくくりつけていた自らの斧を取り外すと、担ぎ上げた。
彼の動作を合図にするように、兵士たちは一斉に武器を構えた。
いつでも戦えるといった、ある種の意思表示だった。
「卿らは町の向こう側に。儂が単身蹴散らし、そのまま帰国とする。補給はまたの機会だ」
「かしこまりました」
二人が頭を下げ本隊の方に戻ると、兵士たちは引き抜いていた剣を鞘に戻した。
それから主のいなくなった戦車を率いて、町を迂回するように足早にかけていく。
ヘヴェルもそれに続き、イーシュはまた先導するように先頭へと走っていった。
モナークは、本隊から外れると、ドッと一跳びし、町へと入った。
このすぐ先に、エルの兵士たちが多勢に無勢を繰り広げているのかと思うと思わず嘲笑を浮かべてしまう。
(ふん。たかが一人相手に、無様な連中よ)
町の中はやはり静まり返っていた。
誰も彼もが固くドアを閉じ、屋台は端の方へ寄せられている。
被害を小さくするためだろう。
さすがは海の民だ、と彼は素直に感心した。
何が起きようとも、自身の安全を最優先にするというその徹底された意識は凄まじい。
けれどそうでなければ、この町などとうにどちらかによって焼き払われていることだろう。
すぐに、キンキンと甲高い金属が擦れ合う音が聞こえてきた。
それから、少女のように高い声で、勇ましく発せられる怒声だ。
(……娘?)
モナークはすぐにその現場にたどり着いた。
町の水場でエルの兵士相手に、大立ち回りを繰り広げているのは外套を身にまとった一人の娘だった。
彼女の首元からは緑色の蛇がみえ、その外套の下に着ている服は見たことがないものだった。
それに、彼女の手にしている刃物を、彼は見たことがなかった。
娘は、たった一人だったがまるで退こうとしていなかった。
そうして意外なことに、大勢のエルの兵士を相手に、劣勢を強いられているわけでもないのだ。
「退け」
「!」
すぐに、彼は娘に加勢するように彼女の周りの兵士らを蹴り飛ばした。
彼の登場に、兵士たちはひっと息をのんだ。
「貴方は……」
目を丸くした少女には取り合わず、彼はその手に持つ斧を振り回した。
ドッと複数名の兵士らがまとめて薙ぎ払われる。
払われた兵士たちは壁に激突すると、ぼろぼろとその身を崩して土くれへと戻っていった。
「エルの兵士どもよ、かかってくるがいい。ここから先は、涙の国の君主、このモナークが相手をしてやろう!」
彼がそう空に吠えると、彼らはぴたりと動きを止めた。
何かを話し合うように、数名ずつ身を寄り添い始める。
「何故こんなところに」
「アミラの町の」
「しかし我らだけでは」
兵士たちは、次第にじりじりと後退していく。
その有様に怒鳴ったのは、他でもないモナークだった。
「情けない連中め。逃げきれると思っているのか!」
モナークは斧を振りかざすと、まるでブーメランのように彼らに向かって放り投げた。
それはぐるぐると円を描くように飛び回り、彼らをボロボロに打ち砕いて返ってきた。
慌てて兵士たちは空の向こうへ撤退していく。
さすがにそれを追いかける気はしてこなかった。
彼はそれを見送ってから、改めて少女へと視線を向けた。
「あの、ありがとうございました」
娘は恭しく頭を垂れた。
その首元で、蛇がちろちろと舌を出し、こちらを見ている。
モナークは斧を下げると、少女に言った。
「どこから来た。お前の持っている剣は、見たこともないものだ」
モナークがそう問いかけると、少女は自らの持っている剣をまじまじと見つめながら、こう答えた。
「遠く、海の果ての島国から参りました。この剣は、アマテル様からいただいたものです」
「アマテル?」
彼はその名に全く聞き覚えがなかった。
近隣の国の王の名も、宰相の名も大体は聞き覚えがあるものだが、それにはまるで無い。
少女は頷くと、胸に手のひらを当てて言った。
「はい。アマテル様は、私の国におります神さまです。私はアマテル様の遣いで、こちらに参りました」
彼女はまるで恐れることなく、モナークに微笑みかけた。
そんな態度をとられるのは初めてで、彼は少し眉にしわを寄せた。
あげく、彼女はうっとりと彼を見つめて、こう呼んだ。
「ああ、神さま」
「よせ」
彼は歯を剥きだして、少女に威嚇した。
「人違いだ。儂はそのような存在ではない」
そう呼ばれるのは、彼にとって面白くないことだった。
この大地では、そう名乗るのはあの『女神エル』だけだ。
彼はあくまで君主であり、そのようなものではなかった。
「いいえ、いいえ。そんなはずありません」
しかし少女はまるで怯える様子がなかった。
「だって貴方は、周りがただ見ている中、たったひとり、私を助けてくださいました」
先ほどと変わらず、堂々と彼の前に立つ。
敬意を払うような視線を彼に向けて、微笑んだ。
「わたしの国では、神さまは一人ではありません。たくさんいるのです。海にも川にも、この大地にも、あの太陽にも。どなたも私たちを見守り、包んでくださるもの。助けてくださるもの。だからあなたも、私にとっては神さまなのです」
モナークは目を丸くした。
こんなことをいう娘は、今までみたことがなかった。
どれだけ睨みつけようとも、彼女はまるで怯える様子がないのだ。
少女は地面に膝をつくと、言った。
「どうか私を、貴方の国へ連れて行ってくださいな。恩返しをさせてください」
彼はすっかり困ってしまった。
いつもならとうに女子供など逃げ出している。
いや成人男性だったとしても、彼の不機嫌な視線一つで逃げ出すものだ。
だからこうして、自分の民以外とまともに会話するのは本当に久しぶりだった。
(あまつさえ、連れていけ、ときた)
彼はじ、と少女を見た。
この町は彼女にとっては安全な場所とは言えない。
それに、エルの兵士に襲われていた以上、エルの国の方には行けないだろう。
ともすれば、いける場所など限られている。
それにまたいつエルの兵士が戻ってくるともわからないし、少なくともこの勇敢な娘を女神エルにくれてやる気はしなかった。
彼はため息をつくと、娘を一瞥して踵を返した。
「……ついてこい」
「! はい!」
仕方なしに、彼は少女を連れて町を出た。
町から少し離れた場所に待機していた彼の兵士たちは、少女を連れて出てきた君主を、目を丸くして見つめた。
これが、涙の国の君主と、アマテルの娘の出会いだった。