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第一章「海の民の町」②




「錨を降ろせ!」


「「「ヨーソロー!」」」



 がしゃんという大きな音と共に、鎖が水底に沈む。

 ごぽぽ、と水泡が水底から代わりにはじき出されるように水面へ上がった。

 荷下ろしが始まったのはそれからすぐのことだった。

 船長であるホーフは相棒のハシビロコウに見張りを頼むと、船から桟橋に飛び降りた。



「わあ、すごい! 町だ!」


「港町だね」



 レクスは、目を輝かせて船の上から町を見た。

 活気のある町だ。

 あちこちから商人たちの呼び込みや賑やかな笑い声が聞こえてくる。

 砂岩で出来た町だ。

 あちこちが砂まみれで、だというのに誰一人それを気にする様子はない。

 ほどなくして船から桟橋に梯子がかかった。

 それを落ちないようにゆっくりと降りると、その先でホーフが両手を腰にあててレクスを待っていた。



「ここでお別れだな、レクス」


「はい、船長」



 レクスは頷いた。

 船旅は終わりだ。レクスの旅は、ここからは陸の旅になる。



「本当に行っちまうんだなあ」


「私が主さまから授かった、大切な使命ですから」


「真面目ちゃんだな。そんなもん、放り投げて遊んでたってわからねーと思うけど」



 ホーフはケラケラと笑って、レクスの頭を撫でた。

 その大きく無骨な、海の男の手が引っ込むと、彼女は首から下げていた懐中時計を外すと、ホーフに差し出した。



「船賃には足りないかもしれませんが、これを」


「……お前、これは……」


「あの海神さまの加護があります。もう二度と海の嵐にはあわないでしょう」



 レクスがにこりと微笑むと、ホーフはそれを少し戸惑いながら受け取った。



「いいのか、本当に」


「はい。だって、ホーフ船長が乗せてくれなかったなら、私は今もまだ海の真ん中にいたかもしれませんから」



 そこに嘘偽りはなかった。

 あの日ホーフが声をかけてくれなければ、レクスはずっと小さな小船でルイと二人旅をしていたことだろう。

 それだって悪くなかったのかもしれないが、どれだけ時間のかかることだったかはわからない。



「……じゃあ、遠慮なく」



 ホーフは懐中時計を首から下げた。

 その屈強な体には、少し小さいくらいだった。



「元気でな」


「はい」



 レクスはぎゅっと下唇を噛み締めた。

 少し寂しいけれど、仕方のないことだ。

 出会いがあれば、別れはある。

 それがないということは、そこが『終着点』であることを意味するのだ。彼女の終着点は、『ここ』ではない。



「ありがとうございました、船長! 良い旅を! 皆さんも!」



 最後にニコッと微笑んで、大声でそう叫ぶと、レクスは桟橋を駆けだした。

 振り返り際、手を振るとホーフも片手でそれに応じた。

 いや、ホーフだけではなかった。

 荷下ろしをしていた乗組員も、あの白髪頭の男も、全員がレクスに向かって手を振っていた。

 何を言っているのかはよく聞こえなかったけれど、大勢の声がたくさん飛んでくることに幸せを覚えた。



「いい方たちに出会えて本当に幸せだった」



 レクスはその光景を見ながら、ぽつりと呟いた。

 本当はずっと彼らと旅をしてみたいと思った。

 アマテルの他に、あんなふうに『ありのまま』を愛してくれる人がいることを、初めて知った。



「寂しいかい?」



 ルイが首元からぬっと顔を出した。

 ちろちろと、その細い舌で彼女の頬を撫でる。

 レクスはふるふると首を横に振った。



「大丈夫。さあ、行きましょう。あてはないけれど、きっと大丈夫」



 ぐしぐしと手の甲で目を拭って、レクスは町の中へと駆けて行った。





 町の中は、レクスにとっては初めてみるものばかりだった。

 屋台には見たこともないカラフルな果物がたくさん並び、商人たちの身に着けている服は暑さに耐えることに特化しているようだった。

 上からすっぽりと外套をかぶっているからまだ溶け込めているものの、これがとれればレクスの服装は周囲から浮くのだろう。


(ホーフ船長が外套をくれなかったら、こんなふうに歩けなかったかもしれない)


 感謝することばかりだ、と思った。

 アマテルの使いで張り切って旅立ったはいいが、まだまだ至らないことばかりだ。

 この先もいろんなものに助けられて、使命を果たすのだろう。

 ふっと目を閉じると、あたたかな思い出と共に、体の中にアマテルから授かった『力』を感じた。

 この力で、助けてもらった人を助けながら、使命を果たしたい、とそう思った。



「ふむ、どうやらここは『海の民の町』のようだね」



 道の両端に立ち並ぶ屋台を見渡すレクスに、ルイはぽつりとつぶやいた。



「海の民の町? ルイは、もしかしてここに来たことがあるの?」


「キミと出会う前は、この大陸に住んでいたんだ」


「そうだったんだ」



 レクスとルイが出会ったのは、レクスの故郷だ。

 正確には故郷から少し離れた小さな島で、彼は確かに海を渡ってきたと言っていたことを思い出した。

 あの時は深く考えなかったが、彼はこれで故郷に戻ってきたということになるのだろう。



「……戻ってきちゃって、よかったの?」



 こくり、とルイが頷くとレクスはほっと胸をなでおろした。

 嫌々戻ってきた、とか戻ってきてしまった、というわけではなさそうだ。



「じゃあ、ここからはルイに道案内を頼もうかな」


「それは、どうだろう」



 ルイは少し困ったような顔をして俯いた。



「この大陸はね、『世界を創った』と主張する女神と、それを信仰する民、それに敵対する民、中立の民、に分かれているんだ」


「ふうん……?」


「そして僕はその女神さまたちに嫌われていてね。そっちの領内では自由に動けないし、ここでもあまり目立つわけにはいかないんだ」



 ため息をつくように言うルイに、レクスはこくりと頷いた。

 それから、かぶっていた外套を少し広げるようにして、ルイを隠す。

 誰にだって話したくないことの一つはあるだろう。理由を聞く気はしなかった。



「じゃあ、こっそり色んなことを教えて。バレないようにね」



 外套の内側に、少し悪い顔をして微笑む。



「それはいい案だね。そうしよう」



 するするとルイは耳元に引っ込んでいった。

 外套に身を包んだまま、レクスは雑踏を歩く。

 少し人混みの多いところを抜けると、大きな水場に出た。


(子供がたくさん駆けまわってて、いい町だ)


 ふっと頬が緩んだ。

 故郷にいる妹たちと同じくらいの年だ。

 彼らも今頃はこうして土の上を跳ねまわっていることだろう。

 何より両親に愛された子たちだった。……お転婆で手に負えないといわれた、レクスと違って。



「あ」



 ふと、目で追っていると子供の一人、男の子が石畳の上で足を滑らせた。

 結構派手に転んだが、周りの大人は見て見ぬふりだ。

 みれば彼の膝からは、真っ赤な血が出ているではないか。



「まって」



 駆けだそうとしたレクスの耳に、ルイの言葉が飛び込んだ。



「海の民の町はね、中立だ。誰も彼もが、どちらにも与しないし、『誰』のことも助けない。そういう民族なんだ」


「どうして? だってあの子、泣いているのに」


「ああやって世間の冷たさを教えているのさ。人は一人で生きているんだってね」



 だからいくのはまずい、とルイは言った。

 レクスは拳をぎゅっと握りしめた。

 男の子の膝からは、どくどくと赤い液体が流れだしている。

 一緒に駆けていたはずの子供たちはずっと遠くにいってしまって、彼に気付く様子もない。


(あれは……?)


 道の奥から、真っ白な服に白金の鎧をつけた兵士たちが歩いてきた。

 彼らの背には、真っ白な羽根が生えている。

 二人が左右に侍り、真ん中の男に仕えているようだった。

 真ん中を歩く金髪の男は、鼻歌交じりに男の子へと近寄っていく。


(もしかしたら)


 見るからにここの商人たちの仲間ではなさそうだ。

 助けるのかもしれない、と思わず視線が男を追う。



「おや。道端にずいぶんとまあ、邪魔な石が落ちてるな」


「──!」



 男は、何の迷いもなく、男の子をその太い足で蹴り飛ばした。

 途端にレクスは駆けだしていた。

 男の子を滑り込むようにキャッチすると、金髪の男を睨みつけた。



「なんてことをするのです、貴方!」



 レクスが声を張り上げると、周囲の視線が彼女に集まった。

 何事かとびっくりしたように、雑踏の中から賑やかな笑い声も、呼び込みも、すうと消えていく。



「うん? 見ない装いの娘だな」



 男は悪びれもせず、そう呟いた。

 レクスを値踏みするように、つま先から頭のてっぺんまで視線で撫でる。

 彼女の腕の中で、男の子が咳き込んだ。



「大丈夫?」



 レクスがそう尋ねると、男の子はこくりと頷いた。

 膝の血はとまっていない。

 それどころか、地べたについたせいで土が付着してしまっている。

 レクスは、男の子の膝と腹に手を当てた。

 そうして、目を伏せる。


(アマテルさま。アマテルさま。この者の傷を、どうか癒し給え──)


 すぐにレクスのかざした手は、ぽう、と光を帯びた。

 その光は傷口をみるみるうちに塞ぎ、痛みをも奪い取っていった。



「わあ、すごい……」



 男の子の声が漏れると、レクスは目を開いた。

 もう傷口は見えなくなっていた。



「痛みはない?」


「うん。大丈夫。ありがとう、お姉ちゃん!」


「どうしたしまして」



 レクスは微笑むと、男の子を地に下した。

 それから腕で庇うように後ろにすると、「さあ、はやくいって」と彼を背後から逃がした。

 一連の動きをみていた男は、ふむ、と顎に手を当てた。



「どこからきた、娘。今の妖術はなんだ」



 その問いかけに、レクスは答えなかった。

 ただじっと男を睨みつける。

 男は少し苛立ったように、だん、と地面を蹴りつけた。



「おい、俺を誰だと思ってる! 富の国の宰相、スロウス様だぞ!」


「存じません」


「なにい……」



 周囲の商人たちは、男の様相にそそくさと屋台を閉じ始めていた。

 建物はどんどんと戸が閉まっていき、人々は逃げるように散っていく。

 賑やかだった水場には、いつの間にかレクスと男たちしかいなくなっていた。



「あの二人は、きっと女神エルの遣いだ。やりあえばキミも、自由にこの大陸を歩けなくなるよ」



 ルイが耳元で囁いた。

 彼の身体がするすると外套の奥へ潜っていく。



「それでも、今の所業は見過ごせない」



 レクスは一歩も引かなかった。

 外套で隠れた腰のあたりに差した刀の柄に手をかける。

 男、スロウスは乱暴に腕を振り上げると、左右の二人を怒鳴りつけた。



「お前たち、あの娘は富の国に逆らう賊だ! 即刻縛り上げろ!」


「……」



 二人は、腰に差した剣を引き抜いた。

 スロウスに何を言うでもなく、レクスへ、一歩、踏み出してくる。



「女神エルの遣いの者よ。貴方たちも、あの男の今の行いが正しいと思っているのですか」



 レクスはそんな二人にそう問いかけた。

 しかし、二人は何も答えない。

 じり、じり、と距離を詰めてくるだけだ。



「私は、そうは思わない。子を大切にしない国など、滅びるに決まっています」



 いうや否や、レクスは腰から刀を引き抜いた。

 それはこの地方では目にかかることのない剣だ。レクスがアマテルから貰い受けたものである。

 白銀の刃を、レクスはこの刀で受け止めた。



「……娘。お前、この大地の者ではないな?」



 刃を振り下ろした方の兵士が、ようやくのこと口を開いていったのはそんな言葉だった。

 もう一人が、その後ろから飛び上がって、空高く刃を振り下ろす。



「ええ。私はこの海の向こうから来た者です」


「く!」



 レクスは刃を力づくで振り払うと、一閃、目にもとまらぬ速さで目の前の兵士の刃を叩き落とす。

 それからそのまま足払いして一人を地面に転がすと、上から降ってきた兵士を受け流した。

 おのずともう一人に当てる形となり、レクスはそのまま二人まとめて蹴り飛ばす。

 動きについていけず、外套が頭からずれると、彼女の真っ黒な髪と、その首元でとぐろを巻くルイがあらわになった。



「あっ」



 慌てて外套をかぶりなおす。が、すでにスロウスはふるふると震えてこちらを指さしていた。

 その顔は真っ青に青ざめ、恐怖に染まり切っていた。



「へ、へびだ! へびを巻いている! この娘、魔の遣いだ! 魔女だ、魔女だ!」



 スロウスの声は町中に響き渡った。

 するとしんとしていた町が、再びざわめきだした。

 ひそひそした声が、あちらこちらから聞こえてくる。




 へび。へびだ、確かに、へびが見えた。


 魔女だって、あんな小娘が。


 魔の遣いということは、ああ、アミラの町の二の舞になるかもしれない……。




 怯えるような声ばかりだ。

 そうして、そうだ、その中には、町を守らねばという声もある。

 建物のドアというドアが、ほんの少し隙間をあけていた。様子をうかがっているようだ。



「いけない」



 ルイが耳元でまた囁いた。



「皆、キミを殺す気だ。逃げた方がいいかもしれない」


「え? だって、みんな中立で、どちらにも与しないって」


「詳しい話はあとだよ! とにかく逃げるんだ!」



 そんなこと、とレクスが振り返ると、窓からのぞく商人と目があった。

 先ほどまで路肩で元気に呼び込みをしていた男だ。

 その目には追い詰められたような恐怖が浮かび、手には刃物が握られていることがわかった。


(そんな……)


 誰のことも助けない、というわりには。

 自分のことだけは、しっかりと守ろうとするなんて。



「……増援の手配を。魔女ともなれば、少し手に余ります。スロウス様は、この者と共にこの場を離れてください」


「と、当然だ。私の命は他の者よりも重いのだ」



 スロウスは、兵士の一人に抱えられて、空へと逃げていった。

 レクスはそんな彼を睨みつけて見送った。

 あと数分滞在が長ければ、その身を斬りつけていたかもしれなかった。

 残った兵士は、ぴーっと指笛を吹いた。

 するとほどなくして、空の向こうから、たくさんの影が飛んでくるのが見て取れた。



「レクス、ほら、はやく!」


「でも」



 逃げるように急かすルイの声に、レクスは動かなかった。

 ここで逃げれば、自らが町を滅ぼしたる存在だと、『そう』だと肯定するようなものだ。

 それだけは嫌だった。

 間違ったことはしていないのだ。堂々としていればいい。


(……でも、あの時も、そうしたけれど)


 ふと脳裏に嫌な記憶がよみがえった。

 正しいと主張したけれど、報われなかった記憶。

 酷い目にあった記憶。

 結果的にアマテルが彼女を救ってくれたが、そうならなければ、今頃は、きっと──。



「レクス!」



 抜いた刃を、レクスは空へと構えた。

 アマテルに与えられた使命を脳裏に反芻して、深呼吸する。


(今がこの時かもしれません。相手は、神さまではないようですが)


 あくまでも遣いだ。

 それそのものと出会ったわけではない。

 けれども、やはり、使命と私情とを鑑みても、ここをこのまま逃げ去ることはできない。



「ダメだ。私は、このためにここにいるんだから」



 自分に言い聞かせるようにそう呟く。

 ルイの身体が、首にきゅ、と擦れた。

 彼女の上空には、円を描くように、同じ装いをした兵士たちが数十は飛び回っていた。



 

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