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第一章「海の民の町」①




「おい、おい、きいたか」


「なんだよ」



 門番の男は、休憩所から走ってきた男を煙たそうに見た。

 交替の時間までは、まだ一時間ほどある。

 このアダムという男が、彼は好きではなかった。

 常に騒がしく楽天家で慎重さにかける男だった。

 そんなに元気ならば、今すぐに代わってほしいと思った。

 しかし、そんな気も彼の次の言葉ですっかり失せてしまった。



「アミラの町が、火に巻かれたらしい」



 男は、目を見開いた。

 アミラの町といえば、ここから数時間もしないで着く町だ。

 緑が多く穏やかで平和な町だった。

 つい数か月前には家族で一度観光に訪れたこともある。



「なんでも、あの『化け物の国』の連中が攻め入ったんだと」


「えっ、どうして、また」


「エルさまが、雷を落として連中の町を一つ焼いただろう。あれの報復だという噂だ」



 二人の視線は、遠い地平線に向いた。

 化け物の国といえば、この砂漠を超えた先──赤く焼けた大地の果て、険しい岩山に囲まれた肥沃な大地にあるという国のことだ。

 この世界を創ったとされる女神エルに反旗を翻した民たちの国で、彼らはエルに恐ろしい呪いをかけられたのだという。

 人間としての姿形を失い、しかし獣にもなり切れない、化け物へと変貌する呪いだ。

 しかし呪いを受けた民は、それでもなお、平伏しなかった。

 それどころか彼らは深淵より別の『神』を呼び起こし、国の君主に据えたのだという。

 もちろん、彼はその『異形の者』たちを見たことはなかった。

 誰もが聞く御伽噺のようなものだ。夜更かしをするとお化けがくるといった、そういう類のものだと思っていた。



「こ、ここにも、くるだろうか」



 ごくり。

 生唾をのんで、門番の男は言った。

 彼の身にぴったりと添う鎧は、かたかたと音を立てている。



「さあ? 何しろ俺も、ついさっき聞いた話だ。あっちの見晴らし台にいる兵士が、遠くにあがった煙を確認したらしい」



 平然とした顔で、彼は遠くの空を仰ぐように頭に手を当てた。

 その様相に『恐怖』というものは一切見当たらない。



「お前は怖くないのか」


「はは、馬鹿げたことをきくな」



 アダムはケラケラと軽く笑った。まるで何でもないことのように。

 空は白み始めていて、間もなく夜明けがくる。



「ここは富の国だぞ。我らが王はエルさまをきちんと信仰し、上納金も納めてるんだ。大丈夫に決まってる」


「だ、だが」


「アミラの町は確かにエルさまの国の領域内だが、一番はずれにある町だ。すんなり連中にやられるんだから、きっとエルさまへの信仰心が足りなかったに違いない」



 そう断言されて、門番の男はぐ、と押し黙った。

 何か言い返してやりたかったが、この男の口のうまさに勝てる気がしなかった。


(アミラの町だって、みんな、敬虔な信者ばかりだった)


 この男はきっと、アミラにいったことがないのだ。

 だから、あんなひどいことを平然というのだ。

 そう思うと、どうしてか槍を握る手が強くなった。



「いいか、信仰は金だ。お前も死にたくなかったら、きちんとグラットニー王に金を納めることだ」


「う……大丈夫だよ、うちは」



 彼が少し背を丸めると、アダムは門番の男の鎧をぺしぺしと叩いた。



「もしやばくなったら、俺に言えよな。ここだけの話、金にはあてがあるんだ」


「あて?」


「ああ、もう交替の時間だ。ほら、お前はあっちへ。俺は持ち場につく」



 アダムはもう一度だけぱしっと背中を叩くと歩いて行った。

 槍をとりにいくのだろう。

 彼はもう一人の門番の男に頭を下げて、それから持ち場を離れた。

 ぎゅっと槍を強く握りなおす。

 カタカタと歩くたびに鳴る鎧が煩わしいと思った。

 この国では、金こそが正義だ。

 正直なところ、この槍も、鎧も、何の価値もない。

 暴力よりも財力がモノを言う国だ。そういう方針がこの富の国の王、グラットニー王にはある。



「あ、ああ、ああ……」


「っ」



 ふと道端の乞食と目があって、彼は咄嗟に目をそらした。

 最近は乞食が増えたように思う。

 女神エルと化け物の国の抗争が激しくなっているというのもあるが、富の国が周辺の商売という商売を食い尽くしているのだ。

 おそらくこの乞食も、逃げてきたのだろう。服はずたずたのボロボロで、まるで借金取りに追い立てられたようだった。

 ……金のないやつに居場所はない。

 どこかの町から、命からがら逃げてきたとしても、ここでは金がないやつは生きてはいけないのだ。



「お恵みを、お恵みを」



 乞食はずるずると地を這って近寄ってきた。

 夜勤明けの兵士を狙って、裏通りにでも隠れていたのだろう。

 一人男が動き出すと、あちこちから乞食が現れた。

 中には子供もいる。やせこけた子たちだ。男にも子はいたが、その子とは比べ物にならないほど骨と皮だった。

 男はたまらずポケットから金貨を数枚取り出すと、その子に向かって放った。



「あ」


「どけっどけっ、わしの金だ」


「いいえわたしのよ」


「俺のだ、俺のものだ」



 悪手だった。

 乞食たちはまるで魔物のように一気に金貨に群がると、貪るようにそのやせ細った子へ突進していく。

 たくさんの人にもみくちゃにされ、すぐにその姿は見えなくなってしまった。

 まるで、獣の中に肉を放り込んでしまったみたいだった。


(なんて、ひどい)


 男は走ってその場から逃げ出した。

 もはやその光景を見てはいられなかった。


(エルさま、エルさま。俺は、ただ、皆を救いたかったのです。あんな、あんなことをするつもりは)


 心の中で懺悔しながら、男は夢中で地を蹴った。

 一刻も早く、自分の家に帰りたかった。あたたかな家族に迎えられれば、きっとこのもやもやも晴れるはずだ。



「あ」



 ふと、すれ違った男の子が遠い向こうをさして茫然と立ち尽くしていた。

 男がちらりと背後を振り返ると、地平線の奥から、もくもくと真っ黒な煙があがるのが見えた。

 あれがアダムの言っていた、アミラの町の煙だろうか。

 さっきは見えなかったものだ。風に乗ってこちらに煙が伸びてきたのだろうか。

 走っていた足を止めると、男の子は男の手を引いていった。



「戦争なの?」



 男は首を横に振った。

 できるだけ優しい顔をして、子供のそばにしゃがみこんだ。



「違うよ。違う。……この国は、戦争なんてしない。そんなバカげた行為は、しないんだ」



 それはグラットニー王の言葉だった。

 つい先日、兵士たちに向けられて行われた演説で、彼がいったことだ。



「だからお家に帰りなさい。まだ朝日は昇ったばかりだよ」


「ちえー、せっかく早起きしたから、抜け出してきたのに」



 男の子越しに、遠くから母親らしき女が走ってくるのが見えた。

 男は彼の肩に手をぽんと置き、その方向を指さした。



「まま!」



 ぱたぱたと小さな手足を動かして、彼は女の方に走っていく。

 そんな光景を微笑ましく見守って男はまた足を動かした。

 もう走る必要はなかった。

 子供の無邪気な姿に、ほんの少しだけもやもやは晴れていた。

 かしゃかしゃと鳴る鎧の音を聞きながら、槍を肩に下げて歩く。

 ほどなくして家が見えてきた。

 愛しい妻と子の待つ我が家だ。

 戸に手をかけた男は、ぴたりと止まって、一度後ろを振り返った。

 遠くにあがる煙は先ほどみたものよりも大きくなっているように見えた。

 黒煙は、上ってきた太陽に照らされて真っ赤に染め上げられ、まるで炎があがるようになっていた。



 

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