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第二章「涙の国」④


 案内された部屋のベッドに、レクスは倒れ込んだ。

 ぼふ、と音を立てて沈んだ身体には、深い疲労が染み込んでいる。


(いい匂いがする……)


 掛け布団からは、どこか甘い匂いがしている。

 果実とはまた違う、すっとする爽やかさが印象的だ。

 この大陸にある花か何かの香料だろうか、とレクスはぼんやり思いふける。



「やあレクス。お疲れかい?」


「ルイ!」



 頭上から降ってきた声に、レクスはガバッと起き上がった。

 いつの間にか、ベッドの上にルイが這いあがってきていた。



「お話はもういいの?」


「簡単な情報共有はできたからね、もういいんだ。それよりも、キミを放置してしまってごめんね。一人で大丈夫だった?」


「うんって言いたいところだったけれど……へへへ。結果は散々。皆さんにたくさん迷惑かけちゃった」


「あらら。でもそれっていつものことじゃない? 君、ホーフ船長の船でも甲板掃除でオイルひっくり返したり、積み荷を崩したりしてなかった?」


「もう! その話は忘れてって言ったでしょう!」



 レクスはぷうと頬を膨らませた。

 そんな彼女をみて、ルイはくすくすと笑った。



「それで、何を手伝うことになったの?」


「……それがね?」



 少し前、イーシュに『兵士との手合わせ』を申し出たことを思い返す。

 あの若い兵士達らの会話で、思い浮かんだことだった。

 レクスにとってはよい案だったのだが、彼はひどく困惑した顔をして、「そう、ですか、そうでしたね……ううん、わかりました、閣下に相談だけさせてください……」とぶつぶつ呟いて考え込んでしまった。



「やっぱり、女の子が『戦う』なんて、はしたないって思われちゃったかな」


「うーん、まあ……この大陸の文化的には、どちらかというと珍しいけど……」


「どこの大陸もそうなのね……私の故郷でも、その……女の子が武器を持って剣を振り回すのは、はしたないことだったの」



 レクスは、武家に生まれた娘だった。

 たくさんの兄弟に恵まれ、兄たちに混ざってやんちゃな幼少期を過ごしてきた。


(あの頃は幸せだった。みんな、何も知らなかったから)


 木の棒を振り回して、レクスよりも背の高い兄を負かすことはしょっちゅうだった。けれど、武家の娘だからとそれをとがめられることはなかった。

 ──師範として名高い父の才能を、一身に受け継いだと判明するまでは。

 レクスの兄は、どれだけ練習してもお前には勝てない、俺の才能をお前が奪ったからだと泣きついた。弟たちもみんなそうだった。

 しまいには母親もそう言いだして、レクスに一切の武器を持つことを禁じた。



「でも、私には妹たちのように器用な手先はなかったし、料理もうまくできないし、お掃除も洗濯も、ほら、ドジをしてしまうでしょう? ……だから」



 レクスは、その才能を天に返すため、といわれて、一人、小舟にのせられ、海へと還された。

 両手足を縛られ、何もできない状態で、海を彷徨っていた彼女を、天から見つけたのがアマテルだった。



「アマテルさまは私を拾ってくださって、従者にしてくださった。それまでの名を捨ててくださって、このレクスという名をくださった。どれだけ不出来でも、御側においてくださったの」


「レクスにとっては救いの神だったってわけだね」


「うん。だから、アマテルさまのお願いは絶対に果たすつもり。……この大陸にいる『神さま』を見極めて、この書簡を渡す。あるいは……」



 レクスは、ぎゅ、と拳を握りしめた。



「……なるほどねえ。キミが『こう』なったのには、そんないきさつがあったんだ」


「そういえば、ルイはどうしてこの大陸から旅に出たの?」


「僕かい? 僕はまあ……他の大陸の視察だよ。この国は僕にとっても大切な場所だからね」


「じゃあ、この国のために視察をしていたのね。たった一人で……すごい」



 レクスよりもうんと小さな蛇であるルイは、手も足もないが器用だ。

 大抵のことは一人でこなすし、魔法が使えるらしく、実は料理を振る舞ってくれたこともあった。


(身体の大きさも、種族も、関係ないんだなあ)


 もっと器用に生まれたかったな、とレクスはぽつり呟いた。



「僕はレクスのそういう素直なところ、素敵だと思うけどね」


「えっ?」


「全力で頑張って、反省して、なんとかしようってもがいているところとか、他の人にはない部分だと思うよ。もちろん、僕にだってそんなことは真似できないし」


「……ルイ?」



 にこり、とルイは微笑んで、それからレクスの肩に巻き付いた。

 すり、と頭を頬に擦り付ける。



「ずっと誰かの役に立とうとする、ってそんなに簡単に出来ることじゃないよ。自分の身を省みないところは誉められないけど、でも、やっぱりそういうところもレクスの良さだよね」


「……もしかしてルイ、私を元気付けようとしてくれてる?」 


「うん。だって顔に出てるからね。なにもうまく行かなくて、落ち込んでますって!」


「うう~~っ」



 なんだか気恥ずかしくて、レクスは唸り声をあげた。

 そんな彼女の様子を見て、ルイは心底面白いものをみるようにケラケラと笑った。



「大丈夫。モナークにも言ったでしょう、キミは必ずこの国の皆の役に立つよ」


「……ルイ……」



 その自信は、一体どこから……?

 レクスはそう思ったが、なんだか、不思議と元気がわいてくるのを感じた。

 何となく、本当に楽観的といわれるかもしれないが、なんとかなるかも、と思い始めていた。










 君主の間に戻ろうと廊下を歩いていたイーシュは、眉間のしわを自分の指先でもみながら、ため息をついていた。

 彼なりにどうにか仕事をと思っていたが、この城塞にある仕事はどれも、彼女に与えるには難易度が高すぎる。


(……本当にまいった)


 そもそも、この城塞には身体の大きな種族が多い。

 イーシュでさえ、倉庫番の代わりは出来ないし、掃除だって不向きだろう。

 それぞれ得意な種族が行っているので、特別困っているようなこともない。



「閣下、報告にあがりました」


「はいれ」


「はっ」



 君主の間の大きな扉を、両手に力をいれて押し開く。

 イーシュたち妖精族には、このような単純な力が欠けているためにこうなるが、逆に力の有り余ったオーク族や巨人族にとっては、これよりも軽くなると壊す可能性がある。


(ニンゲン……は兵士にはいないからあまり気にしたことがなかったが、これも配慮した新たな折衷案が必要だろうか……)


 と、ここまで考えてふと思い当たる。

 レクスは、どうやってこの扉を開けたのだろう?

 呼ばれたときにはすでに中にいたのでドアをどうしたかはわからなかったが、よもや、閣下が開けたのだろうか?



「……! ジャックも戻っていましたか」


「ああ。つい今しがた、城についたところだ」



 君主の間には、先客がいた。

 イーシュと同じく『副官』という役職を与えられた、オオカミ族の男である。

 君主は、ちょうど彼から貰ったと思われる報告書に目を通しているところだった。



「イーシュ、お前もこの件は知っておけ」



 彼が君主の目の前まで歩いてくると、君主は彼に自分の持っていた報告書を差し出した。



「はっ。拝見させていただきます」



 それは、近頃怪しげな動きをしている富の国の動向と、昨日あった海の民の町での出来事が記されたものだった。

 ……その中には、レクスについても記されている。



「だから詳しく話をきかなかったんですね、閣下」


「本人にきいても、本当かどうかはわからん。が、ジャックが調べてきたことには一定の信憑性がある」


「光栄です、閣下」



 ジャックは恭しく頭をたれてそう言った。

 彼の尻では、ぶんぶんと大きな尻尾がせわしなく揺れている。



「それを詠んだ上で、お前の見解をききたい。イーシュよ」



 君主の琥珀色の瞳が、じろりとイーシュを見つめた。



「お前は、あの『レクス』という娘をどう思う?」

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