Ep.1 運命の日①
「そんなわけで、君たちのうち半数はこれから女性になるわけです。」
もう何十回も聞いたであろう人類の進化の話。
いつもなら「先生もうその話聞き飽きたよー」といった言葉が教室中を飛び交うのだが、今日は少し訳が違う。全員とは行かないが、クラス全体の半分くらいの人はそれなりに真剣に聞いているようだ。
それもそのはず。なぜなら今日は、待ちに待った「性別診断書」が配られる日だからだ。
「よし。じゃあ今から性別診断書を配ります。中身は家に帰って親御さんと見るように。帰り道で友達と見るとか絶対やめろよ。」
先生が言う。多分クラスの半分は帰り道で見せ合いっこするだろう。
「じゃあ出席番号順に相葉から取りに来い」
番号の早い生徒がぼちぼち立ち上がり始める。
「いぶきいぶき」
後ろから肩を叩かれる。
「男の子だといいね」
「女だったらこっから半年寝込んで過ごすんだろ?絶対嫌だわそんなの」
「まあいぶきは多分男だよ。女の子になった感じが全く想像できないし」
「それもしかして俺を馬鹿にしてるのか?」
「次。神代伊吹。早く取りに来い」
しまった。話に夢中になって順番をみてなかった。
慌てて取りに行くと1枚の封筒を渡される。
いざ渡されるとさっさと中身を見てしまいたくなるが、家に帰ってから開けろと言われた手前、流石に帰り道はともかく学校で開ける訳には行かない。
「思ったより薄いんだね」
「俺も思ったわ。こんな薄っぺらな紙切れで俺らの人生決まっちまうんだぜ。」
「笑っちゃうよね。うわ。そう聞くとなんか緊張してきた。」
「おい、次。御坂葵。お前らちゃんと順番見とけ」
「やば。すいませーん」
雑な謝罪をしながら封筒を受け取りに行く葵を眺めながら、さっきの自分の言葉が頭の中でぐるぐる巡る。
この紙1枚で本当に人生が決まる。そう考えると、この薄っぺらい封筒がすごく重く感じられる気がした。
*
「よし。じゃあ気をつけて帰るように」
ようやく学校が終わった。いつもの5倍くらい長かった気がする。
「葵。帰るぞ」
「ちょっとまって、診断書無くしちゃったかも」
「嘘だろお前」
「ここにしまったと思ったんだけどなあ」
「カバンは俺が見とくから。お前はほかのとこを探しとけ」
そのとき、ポケットでスマホが震え出した。
「薫からだ」
「僕のことはいいから出てきなよ」
「悪い。先外行ってるわ。さっさと見つけて出てこいよ」
カバンを持って下駄箱まで走る。一応スマホを学校に持ち込むのは禁止なので、電話とかは学校の外に出てやらなきゃいけない。
校門を出てもう1回かけ直すと、電話の向こうから元気な声が聞こえてきた。
『伊吹!性別どうだった?』
「開口一番聞くことじゃないだろ。まだ見てないからわかんないよ。てかお前今日試合だろ。どうだったんだ?」
『もちろん勝った。俺も2ゴールの大活躍』
「よかったじゃんか。しかも今日の試合って...」
『うん。全日本ユースのグループ最終戦。グループ突破が決まったよ。』
全日本ユースとは中学生年代最大のサッカーの大会のことである。薫を含む何人かの友達が近くにあるサッカーチームに通っており、今日そのチームがグループリーグを突破して決勝トーナメント進出を決めたようだ。
『でも正直なところ、今気持ちがサッカーどころじゃないんだよね』
「そういえばお前ら学校来なかったけどどうやって性別診断書貰うんだ?」
『今からみんなで学校に取りに行くよ』
「じゃあまだかかりそうか。性別分かったら教えてくれよ」
『もちろん。じゃあ明日学校でね』
「おう」
電話を切ってスマホをしまう。ふと振り向くと後ろに葵が立っていた。
「薫くんたち勝てたんだね。良かったあ」
「お前も診断書無くしてなくて良かったな」
「うん。なんか掃除ロッカーの中に入ってたよ」
「なんでだよ...まあいいか。帰るぞ」
今すぐここで封筒を開けてしまってもいいのだが、万が一先生が出てきたら面倒くさそうなのでもう少し学校から離れることにする。
「ぶっちゃけさ。葵は男と女どっちがいいんだ? こっから半年寝込むとかそれ抜きにして考えてさ」
「まあずっと男の子だったからそのままの方が助かるけど、ちょっと女の子にもなってみたいかも。正直どっちでもいいかな」
「俺は断然男がいいけどな。スポーツ続けたいし」
「スポーツやるなら絶対男の子だよね」
「まあ俺は別に趣味でフットサルやってるだけだからそこまでだけどさ。薫たちはガチでサッカーやってるわけじゃん。絶対男がいいだろうな。」
自分で言って気づいたが、確かに薫たちは女になったらどうするんだろう。サッカーは続けるのだろうか。
*
「もうだいぶ学校から離れたし、そろそろ診断書見ない?」
そうした会話を続けていると気づいたらだいぶ遠くまで来ていた。ここなら教師に見つかることもないだろう。
「そうだな。いい加減見るか」
2人でカバンをあさって封筒を取り出す。
「封筒開けたらすぐ出てくるのかな?」
「うじうじ言っててもしゃあない。せーので行くぞ。せーので」
「うわぁー緊張してきた」
ここに来て俺も少しドキドキしてきた。まあ悩んでても仕方ない。意を決して口を開く。
「いくぞ。せーのっ」
2人で同時に封筒を開けて中身を見る。すると、中には2つに折られた紙が入っていた。
「絶対これじゃん」
この性別診断書、だいぶ焦らしてくる。さっきより緊張が増してきた気がする。
「じゃあもっかいせーので開けるぞ」
「おっけー。いつでもいいよ」
「よし。いくぞ。せーのっ」
*
『思い返すと、あの時は何も分かっていなかったんだなと思います。ですが、生まれた時から15年間、同性しかいない世界で生きてきた。「異性」とは何なのかって、想像出来ないのは無理もなかったのかもしれませんね』
テレビの中で若い男性が質問に答えている。20歳くらいだろうか。
『自分が望んだのとは別の性別になった人は周りにいますか?』
『もちろん沢山いますよ。スポーツやってる友達なんかは特に。やっぱり男女じゃ力もスピードもまるで違いますし。そもそもマイナースポーツだと女性部門はなかったりしますから』
今まではこんな話題興味なかったのだが、息子が今年で15歳。しかも、今日性別診断書を受け取ってくる日なのだ。なので、自然と最近はそれに関するテレビ番組を好んで見るようになった。
「あの子が男の子だといいけど」
息子は運動が得意だから男の子になることを望んでいるはず。そろそろ帰ってくる頃だろうか。時間が気になってちらっと時計を見たその時だった。
「ただいまー」
「おかえり伊吹」
この子のことだからどうせもう性別診断書は友達と見てきたのだろう。性別はどっちだったの?と今すぐ聞きたいが、何となく単刀直入に聞くのはあんまり良くない気がする。
「伊吹、あのね」
「母さん。俺、男だった!」
なんと。息子の方からさっさと教えてくれた。
しかも男の子。嬉しそうに笑う息子を見てこっちも嬉しくなってくる。
「本当?良かった...」
「もしかして母さん、泣いてる?」
自分でも気づかなかったが、安心で涙が出ていたみたいだ。しかし、こうもすんなり答えを聞けると欲が出てくる。もし息子の1番の親友が同性だったならば更に嬉しい。
「薫くんはどうだったの?」
「薫はサッカーの試合だから今日は学校来なかったよ。この後学校行って診断書受け取るんだってさ」
「そう。まあ、あなたが望んだ性別だったならお母さんはそれだけで十分。ほら、夜ご飯作るから手伝いなさい」
「はーい」
つけっぱなしのテレビではさっきの番組がまだやっている。
『最後の質問なんですが、中学の頃の自分になにか一言伝えられるとしたら、なんと伝えますか?』
『うーん。なんでしょうね。まあでも、伝えてどうするんだって話ですが、異性で友達を続けるのはやっぱり厳しいってことですかね。なんだかんだみんな疎遠になるか恋人になるかのどっちかだった気がします』
安心。喜び。そうした感情で頭がいっぱいになった私は、この先息子に待ち受ける苦難を想像しようともしなかったのだった。