レグリーム帝国戦記
かなり重めの戦争の話になります。
広がる草原。斑に広がる草花の群生地。住んだ小川。ぽつんと佇む教会。
まるで戦場から隔離され、ここだけは戦火の魔の手を浄化し、聖域としてあり続けるここも、今では戦闘による負傷者がなだれ込む野戦病院として機能せざるを得ない。
だが、この教会の表向きは仮設の野戦病院。しかし、ラベリナ統一国においての重要な戦略拠点、つまりは数ある司令部の一つである。
教会内部は床に敷かれた毛布とシーツの上に負傷者が横たわり、それを見守り慈しむかのように聖母像が彼らを見下ろしている。その周りには所狭しと置かれた通信機材など。怒号の聞こえる中、慌ただしく動き回る軍人。
教会という神聖な場所であれど、戦争というものからは逃れられない。
しかし、教会であり、野戦病院であり。ここを司令部とはレグリーム帝国もいまだ見抜けていない。それが1ヶ月前のことである。
数週間前に野砲によりこの教会も攻撃を受けたが、司令部である教会内の全兵力で撃退。野砲もすべて破壊することに成功した。それから2週間。敵軍からの攻撃はピタリと止み、たまに目撃されるのは、斥候と思わしき少数の敵兵のみ。いつまた攻撃されるか分からない緊張感の中、精鋭を集めた隊は待機に徹している。
「ゾイ様。傷の具合はどうですか?」
「まだ痛んでいます。あと、様はやめてください。自分はただの一等兵ですので」
「それでも国のために命をかけて戦っている兵隊様です。私のような看護婦にはどなたでも立派に見えますわよ」
1ヶ月前の大規模な戦闘により、私、ゾイ=デリーグは頭部、腹部、脚部に渡り負傷してしまった。あと少し手当が遅れていれば、今頃は聖母ラベリナ様のもとへ旅立っていたことだろう。
しかし、医師、看護婦の懸命な治療もあって、順調に回復し、あと1週間もすれば前線に復帰できると言われた。
聖母ラベリナ様はまだ私を見放してはいなかったということだろうか。
「やはり、神はいたのですね・・・」
「何をおしゃっているのです?神様は私達を見放すわけがございません。わたしたちの祈りは必ず届いているのですよ。ささ、腹部の傷を見ますよ」
彼女の手が腹部に触れる。傷口に触れたことによる痛みか、体に刺激が走る。それとも・・・。
彼女が傷の具合を見るために腹部に近づく。鼻腔から感じ取れる彼女の髪の匂い。すでに石鹸も少なくなり手を洗浄する以外での使用が制限されている。水浴びしかできていない状態であるが、彼女からは女の匂いが漂い、私の脳を揺さぶる。
彼女の匂い、指先の感覚、触れる体温。すべてが愛おしい。
これが恋なのだろうか。いや、私もこの戦争で孤独を紛らわすために女を求めているだけなのだろう。
教会の裏手に立つ。前回の攻撃が如何に激しいものであったかを表すように、あたりには砲弾によってえぐれ、焦土と化した土地が点在する。
しかし、私と彼女が立つここだけは、戦争というものを忘れたかのように花が一面に咲いている。
「ゾイ様。私のこと好きなんですか?」
唐突に彼女の口から放たれた言葉は、どの銃弾よりも鋭く私の心に突き刺さった。
「え…あの…」
「言いたいことがあればはっきりと言ったらどうです?」
彼女の言葉は、更に私の心に動揺と緊張を走らせた。
そうか。彼女は私の恋心に気づき始めているのではないだろうか。しかし、私にはまだ心の整理というものが付いている状況ではなかった。
しかし、ここで自分の心を否定するほど私も弱くはない。言ってしまおうか。いや、いうべきである。今こそ私の心の男を目覚めさせるときだ。
「シェステナさん。じ、自分はあなたを…あい…、愛…」
「してる。愛してると言いたいのでしょう?戦っている時の勇ましさはどこにいったのです?大切なことははっきり言わないと」
「も、申し訳ない…」
頬から炎が上がるほど、私の顔は真っ赤になった。
これでは叱られている子供みたいだ。しかし、なんて温かい叱責なのだろう。
この瞬間が心地よい、と感じてしまうのは変態的であろうか。だが、それでも彼女のどんな言葉でも、もっと聞いてみたい。
「私から愛の告白なんて、締まらないですね。けど、あなたが私を愛しているのであれば、私もあなたをあなた以上に愛しているのですよ」
「それは…」
「そのくらい自分で考えてくださいな」
そして、彼女は別れ際に私の頬に唇で触れた。
私はしばらく動くことができなかった。彼女の唇が触れた頬には、まだしっとりとした感触が残っている。
彼女が教会の中に戻ってゆく姿を見て、どこか遠い場所に行ってしまうような気がしてならなかった。しかし、私はそれを引き止めることはしなかった。否、できなかった。
自分を今日の日ほど恨んだことはない。どうしてここで彼女を引き止めなかったのか。しかし、引き止めたとして何を言えばいい。悶々と空虚な空想と自問自答だけが渦巻くこの脳内で、やはり結論は出なかった。
ただし、この胸の中にある感情だけは本物だと確信した。
まだ、時間はある。じっくり考えて、そのときは彼女に本心を伝えよう。
「ゾイ、やけに上機嫌だな。その感じだと女か?やっぱあの看護婦のシェスなんとかちゃんか?」
「やめてくださいよロンド軍曹。自分とシェステナさんははそんな関係ではないですよ」
「まあまあ、今のうちに乳繰り合っとけ。どうせこの司令部も直に落ちる。俺達に残された時間はもう残ってないんだから」
この拠点が落ちる?もう時間はない?どういうことだ?
「西に10キロの地点で白い悪魔率いる分隊が確認された。恐らくこの拠点を目指しているものと見受けられる。数は少数だが…、おっと。いまのは聞かなかったことにしてくれ。命令だ」
「か、かしこまりました…」
【白い悪魔】。最前線で戦ったことのある兵士なら一度は聞いたことのある名前だ。
最強であり、恐怖であり、絶望を運ぶ存在。
彼らが現れた戦場では、どんな戦況であろうと覆してし、我が軍に甚大な損害を残していく。
銃弾が当たろうと、爆発に巻き込まれようと突撃していく姿は、帝国にとってはまさに救世主であり、我々にとっては災厄そのものである。
そんな彼らが我々の拠点付近で発見された。ということは、目指している場所はここで間違いないのであろう。
ロンド軍曹が言うには数は少数。我々の部隊は精鋭70人強。数の差で言えば絶対に勝てる戦いだが、相手はあの白い悪魔。実際にその戦いを見たことはないが、1人で20人を相手したという噂も聞く。
また、ここは前線から離れ、隔離された場所というのが裏目に出て、増援が駆けつけてくれる可能性はほぼないと考えて良い。
それでも、勝てるのか?
私の心が刻々と恐怖の色に染まっていくのが分かる。
しかし、私達には聖母ラベリナ様のご加護が付いている。負けるはずかない。ここにいる負傷した戦友のためにも、医師団のためにも、そして、彼女のためにも絶対に負けてはならない。
「全員心して聞くように。今日の調査隊の報告によると、西に7キロ地点に敵一個分隊が進軍中と確認された。尚、敵は例の白い悪魔であるとも確認された。発見が遅れた主な要因は、おそらく奴らの得意とする空挺降下による移動により捕捉が難しかったことが原因と考えられる。話は戻るが、予想するに、2日から3日以内で戦闘が始まると考える。我が隊は先の戦闘により、動けるものは50も満たない」
1ヶ月前の戦闘の前には150人いたが、戦死、負傷を含めて、すでに50を切っている。
考えていたよりも、兵力が足りない。増援を要請するにしても、10日は耐えなくてはならない。
「敵は白い悪魔。数は約10人分隊。だが、我々には精鋭の中の精鋭を集めた506小隊が残っている」
白い悪魔という単語を聞き、部隊の中では動揺が走る。この小隊の中には、白い悪魔が暴れた戦場で戦ったことのある人、仲間、家族を殺された人もいるのだ。
だからこそ、この部隊の兵士の目からは憎しみと闘志の炎が灯っている。
ここにいる人は全員理解しているのだ。自分たちが負ければ、ここにいる非戦闘員も含め全員が殺されてしまうということを。
「医師団は逃がしたいが、それは負傷兵を見殺しにすることに等しい。こんなこと言いいたくはないが…、諸君。国のために死んでくれ。そして仲間を、国を守り抜いてくれ」
「ゾイ。ちょっとこっち来い」
「はっ!ただいま参ります」
ロンド軍曹に連れてこられた場所は、私がシェステナに愛を語った場所であった。
「ゾイ、お前、あの看護婦を連れて逃げろ」
ロンド軍曹の提案に、私は戸惑った。軍人である以上、敵前逃亡など許されるはずもない。私も人並み以上に愛国心はある。軍人として果敢に戦い、この国のために命を散らそうと思っている。
しかしなぜだろうか。彼女の姿が脳裏に現れて、死ぬのが怖くなってきている。
彼女と戦火の届かない遠い場所で二人で暮らし、幸せに暮らしていきたいという考えが生まれてしまった。だが、私は軍人だ。ここで逃げ出したら、散っていった仲間たちに顔向けできない。
「ロンド軍曹、それでも私は戦います。ですが…」
「言ってみろ」
「彼女だけはこの戦いに巻き込みたくありません。彼女だけ逃がすというのはどうでしょうか?」
「シェステナさん。お話があります」
足元には草花が生い茂る場所、彼女が私に愛を伝えてくれた場所だ。
「シェステナさん。自分と一緒に逃げましょう。奴らは捕虜を取らない。みんな殺されます」
実際、敵国の軍人は捕虜を取らない。とにかく殺すことしか考えていない野蛮な連中だ。
もちろん軍人だけなく、民間人、医師、女、子供すべて処してしまう。まだ、普通に殺されるのは良い方だ。1年前の北方前線では、村を襲い、女と子供の脚の腱を切り、肉壁を使って進軍したという噂もあるほどだ。
「ゾイ様、あなたはどうするのです?軍人である以上、戦わなくては行けないでしょう?」
「軍曹から…君を連れて逃げろと言われたのです」
逃げるということは敵前逃亡である。これは、もうこの国には戻れないことを意味する。私はこの国が好きだ。だからこの国を守りたい、だが、そのような思いのある国を捨ててまでしても、彼女と二人で生きていきたいという思いに苛まれた。しかし…
「貴女は近くの村に先に逃げてください。私は…私は必ず貴方を迎えに行きます。そして…その時は結婚しましょう」
彼女の表情からその感情を読み取るのは難しかった。驚き、期待、悲しみ。そのすべてが混ざった表情で彼女は告げた。
「ゾイ様。愛しています。いつまでもいつまでも貴方を待ち続けます。だから…必ず生きて私を迎えに来てください」
彼女と熱い抱擁をし、お互いを求めるように口づけを交わす。彼女は泣いていた。涙が私の頬を伝い服に染み込む。そう。わたしたちはお互いの愛を確かめるためにはこれくらいしかできないのだ。しかし、これで十分だ。すぐに会える。私がすぐに迎えに行く。深く深く心に刻み、彼女と別れた。しかし、その背中はいつもより小さく見えた。
「敵襲!総員配置につけ!」
深夜に響き渡る怒号で目を覚ました私は、小銃を手に取り。配置についた。月明かりがあるが、辺りは以前暗く、時折敵の銃が発砲するときの光が見えると同時に、1人、また1人が倒れていく。
「俺が先陣を切る。総員突撃に備え…」
塹壕から頭を出したロンド軍曹のヘルメットを貫通し、弾は後頭部を貫いた。
辺りで重い銃声が響き渡る中、私は配置から立ち去り屍の転がる道を走り続け木の陰に隠れた。そして、逃げて逃げて逃げ続けた。日の出も間もなくといったところだろうか。辺りが刻々と明るくなり始めている。
眼の前に見えるのはまるで地獄のような光景だった。仲間たちは次々と倒れていき、教会の中に避難していた非戦闘員は外に出され、次々と殺されてゆく。
しかし、私は安堵してしまった。彼女を内密に逃がしていなければ、あそこに転がる死体は彼女のものになっていたのだろう。
勝機はすでにないだろう。これ以上戦っても無駄死にするだけだ。
私は立ち上がり、彼女が避難した村に行こうとした。刹那、銃声が聞こえ私の左足の感覚はなくなり、血液が流れ落ちる感覚がした。
目の前に立つ少女の髪は神秘を感じるほど白く、所々血で染髪されていた。年は15程だろうか。左の頬には火傷の跡、それにより左目も見えなくなってしまったのかと分かる黒い眼帯が月光で照らし出される。
「白い悪魔は、少女だったのか・・・」
しかし、私の前に立つ白髪の少女は全く表情を変えず言った。
「心外な。私は悪魔ではない。帝国に命を捧げた一人の兵士だ。我が帝国に侵略し、私達の幸せな平穏を脅かそうとしている貴様らのほうが悪魔だろうに」
私は言い返そうとした。しかし、その少女の堂々たるさまに、否定の言葉は喉奥に詰まり声として出すことは叶わなかった。
しかし、この娘は少女だ。未だ未来のある少女だ。そんな娘が銃を持ち人を殺め希望のない戦場に立っているという事実に、私の倫理は音を上げて警報を鳴らしていた。
「君はすぐに銃を捨てるべきだ。子供は戦争なんか知ってはいけない。我が聖母はもちろん、君たちの信じる神もそんなことを望んでないはずだ」
「そうか。では、なぜお前らは我が帝国の女、子供を含めた非戦闘員を虐殺する?お前らの言う神がそうしろと言ったのか?馬鹿馬鹿しい」
神聖な我が国の兵士が虐殺を?そんな話は聞いたことがない。仮にそうであったとしても、認めることができなかった。
しかし、眼の前にいる白髪の少女の表情は、嘘をついているようには見えない。
「それでも!君は人を殺しすぎた。もう救われてもいいのではないか。そうだ、もう兵士などやめて遠いところで家族と暮らすのはどうだ?」
少女は少し悲しそうな顔をして、すぐに憎しみに満ちた顔で言った。
「私の母はすでに死んだ。そして父は戦死した。お前らの手でな。私の第二の家族の1013中隊も、すでに壊滅状態だ。それでもお前はこの私に家族を語らせようとするのか?」
「それは…」
結局のところ、戦争においては敵も味方も同じだ。大切なものを失い、悲しみしか残らないこの戦争が私は嫌いだ。国のため、家族の為といえば聞こえはいいが、守るものがあるというならば、その分失なうものもあるということだ。
眼の前にいる白い悪魔と呼ばれているこの少女もそうだ。大切なものを失い、その孤独を紛らわすように、復讐するように戦い続けているのだろう。
私達は本来、この少女のような子供を守るために戦っているのではないだろうか。本当にこの戦争に大義はあったのだろうか。
「だがな、私にここまで情をかけてくれたのは敵兵の中ではお前が初めてだ。正直私はお前が嫌いだ。善人を気取っているお前が反吐が出るほど嫌いだ。だが、そのまま殺すのは惜しい。選ばせてやる。私を殺すか、この場で自決するか」
私の足元に、黒い拳銃が投げられた。拾い上げると、薬室の中には一発の弾丸が装填されていた。
「その銃で私を撃つのもよし、お前が本当に私を助けたいと思っているならば、自決するもよし。自決を選ぶならば、お前の信念は本物だと認めよう。そうだな…、できる範囲でお前の望みを一つだけ聞いてあげよう」
望み。私の望みは、私を今もなお待っていてくれている彼女と平穏に暮らしていくことのみ。しかし、もうそれは叶わないことだろう。それなら彼女だけでも…
「南の方角の村に、私の婚約者がいます。彼女だけは見逃してください」
「南の方か。あそこには用がないからな。分かった。約束は約束だ。我が帝国に誓って約束しよう」
「あなたに感謝を。もし彼女に会ったら伝えてください。シェステナ、あなたを愛しています。神よ、ただいまゾイ=デリーグはそちらに参ります」
ハンマーを上げ、銃口を側頭部に近づける。今から死ぬというのに私の心は故郷の小川ほど清らかな気持ちである。
「さようなら」
乾いた銃声が響き渡る。
刹那、銃口を向けられた少女の頬から血が垂れた。
「だと思ったよ」
その言葉は冷たく、冷たく放たれた。
少女の持つナイフが私の左目に徐々に近づいている。迫りゆくナイフは、戦場で見たどの光景よりも絶望に値するものだった。
「あぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙っ!!」
脳内に熱した鉄棒を押し付けられるような痛みが伝わる。いっそ死んでしまえば何倍を楽であると錯覚してしまいそうになり、私の脳はすでに正しい判断をできる状況ではなかった。
「さっさと自決すれば楽だったのにな。お前の婚約者を守るんじゃなかったのか?ん?」
「五月蝿い!私は死にたくない!死にたくないんだ!私以外はどうでもいい!死にたくない!」
私の叫び、絶叫があたりに響き渡る。私自身驚いた。あんなに守ると決めていた彼女のことでさえ、いまこの瞬間は脳裏にも浮かばない。今までの自分は、ただ正しくあろうとしていた自分に酔っていただけなのかもしれない。だが、自分の本性を知れて良かった。幼い頃からいつも正しくあろうとし、自分を抑えているせいか、本当の自分を見失っていたが、やはり私は普通の人だったのだ。シェステナ、すまない。私はお前を本当に愛してはいなかったみたいだ。私は本当にどうしょうもないクソな人間だった。
「なにニヤニヤするなクソが。少しでもお前を信じた私が馬鹿だったよ」
吐き捨てるように言った少女の顔は、左目を潰された私の目からも分かる通り恐ろしい笑みを浮かべていた。しかしなぜだろうか。彼女の声色は怒りと悲しみを孕んでいるようにも聞こえた。
「全隊員に報告!手が空いている兵は敵兵の軍服を着て近くの村に聞き込みをしろ。捕縛対象はシェステナと呼ばれる女1人。必ず生け捕りにしてここに連れてこい。以上!」
2時間した頃だろうか。日が完全に登り辺りも明るくなった頃、遠くの方から敵兵の前を走りながら近づく彼女が見えた。
彼女は私のもとに近づくと、安堵した表情をしながら涙を流した。しかし、その気持が今の私には恐ろしく鋭利な刃で抉られているように感じた。私は彼女を裏切ってしまったのだ。だが、それを悔やむ気持ちは自分でも驚くほど生まれなかった。
「おい男。最後の選択肢をやる。生きたければこの女を殺せ。今回は私に銃を向けた時点で殺すけどな。選べ」
眼の前には恐怖で怯えた彼女がへたり込んでいる。渡された銃には以前と同じ、銃弾が一発装填されていた。
ズッシリとした拳銃の重みを手で感じながらゆっくりと持ち上げる。
「シェステナ。愛してる」
その言葉に本心はない。しかし、自己中心的な考えだが最後くらい彼女には幸せな夢を見たまま逝って欲しい。
「ゾイ様。私も愛しています。いつまでもいつまでも貴方を待ち続けます」
そして、私は引き金を引いた。
カチンというハンマーが下がる音が響く。しかし、弾丸は発射されていなかった。
「ゾイ様…どうして…」
私の握っている銃の銃口は彼女、シェステナに向けられていた。
「ほーん。お前らの国では、愛してるはお前を殺すという意味だったんだな。勉強になったよ」
彼女の顔が絶望と恐怖で歪む。肩は震えているが、涙は流してはいない。涙を流すという感情すら通り越してしまったのだろう。
私は激しく後悔した。彼女をこうしてしまったのは、紛れもない私なのだから。しかし、それも数刻のこと。私は彼女を愛していないのだ。すでに他人同士の関係だと、自分に言い聞かせる。
少しは気が楽になったが、胸の奥が痛むのは私に良心が残っているからなのだろうか。
「おい女。最愛のクズに裏切られた気分はどうだ?辛いか?苦しいか?だから…選ばせてやる。さっきと同じだ。だが、この銃を持つのはお前だ。ハンマーはもう上げた。引き金を引けば弾が出る。良く狙って撃て」
彼女の手に拳銃がわたる。もしかしたら、その銃には私の体温が残っているのかも知れない。つまり、自分に殺されるとも言えるだろう。
自分に殺されるという考えがどこか面白おかしく、心のなかで笑ってしまった。
彼女は私を許してはくれないだろう。だが、彼女に殺されることで償いができるのではないだろうか。もしかしたら神も私を許してくれるのではないだろうか。
しかし、そんな都合の良いことがあるはずがない。なんて馬鹿げた妄想をしているんだと一笑する。
「ゾイ様。私は貴方を許しません。絶対に、死んでも許しません。けど…それでも貴方を愛してしまった。だから…さようなら」
銃声後、弾丸は脳を貫き、おびただしい量の血を流す死体が一つ生まれた。
一瞬の出来事だった。最後に彼女が向けた優しい視線が脳裏に焼き付く。
「この女は本当にお前を愛してたようだな。なあ、男」
私の足元に、彼女が流す血が触れた。彼女は私を殺さなかったのだ。最後までこんな私を愛してくれたのだ。
私は馬鹿だ。大馬鹿だ。最後まで私は彼女を信じてあげられなかった。後悔が渦巻く中、いっそ死んでしまいたい、否、今すぐ死んで詫びるべきだと思った。しかし、彼女はどう思うのだろうか。彼女の死を無駄にするのか。
「お前、これからどうすんだ?」
「私は…罪を償って生きていきます。一生かけて彼女のために生きます。神に誓います」
「そうか。じゃあさっさと行け。目障りだ」
私は歩き出す。このまま近くの村に向かい、治療を受けたあとは遠くの国に行こう。そして彼女の大きな墓を建てよう。人のために何かをするのもいい。この命はもう自分のものではない。私のために死んだ彼女のものだ。彼女に認めてもらえるようなことをして生きていこう。そして、彼女もとに逝ったときに今日のことを謝り、二人で暮らしていこう。
私の横を冷たい風が通り過ぎる。しかし、すでに寒さは感じない。彼女の残した思いが私を温めてくれている。
「……」
なにかが聞こえた…気がした。
後ろを振り向くと、白髪の少女は私に向けて小銃を構えていた。
しんしんと雪が降り始め、辺りに散らばる死体に広がる血溜まりに落ちては溶け、赤に染まった。
「全隊に通達。敵司令部陥落したり。生存者は全員殺せ、捕虜はいらん。すべて殺し尽くせ。これは命令だ」
皇暦405年11月3日
教会に扮した司令部と、東に200キロ進んだ森林の中に隠されていた別の司令部は、同時刻に2つのレグリーム帝国陸軍特別攻撃隊によって陥落した。
この戦果により、ラベリナ統一国国軍の司令系統は一時的に麻痺し、帝国は猛攻を行い、前線を押し上げることに成功する。
しかし、最前線である東部前線はいずれも膠着状態が続き、未だ帝国は劣勢を強いられていた。
完