【前編】
私は齢百を越え、老衰で亡くなったはずだった。しかし、何故か目が冷めた。ここは地獄かはたまた異界か。
薄暗い密室の中、無数の生き物たちが蠢く気配と、唸り声とも呻き声ともわからぬ音が響き渡る。
どうやら自分はどこぞに座っているようだと気づいた。場所は以前いた所とは異なるようだった。肉体もかつてのように萎びてはいない。かろうじて漏れてくる光を頼りに目を凝らすと、見下ろす自分の身体は幼い子供の様。
つまり輪廻転生か。妙に素直に納得できた。しかしなぜ今更前世の記憶が蘇ったのかと思う。全くの赤子ではない。ふと思い当たったのは、『物心がつく』という言葉。魂が今宿ったのか、それとも魂が目覚めたのか。これはもはや神の領域の現象だ。これ以上追求しても何も解決しないだろう。
わかっているのは、大往生し、生まれ変わったらしいというこの現実のみ。
それよりもしなければいけないのは、現状把握だ。どう考えても今置かれているのは異様な状態だ。だが前世は武家の末裔として女だてらに家を守ってきた身。様々な問題も乗り越えてきた。落ち着いて対処すればなんとかなる。
再び目を凝らし、今度は周りを見やる。目の前にぼんやりと浮かぶのは、黒い縦線。子供の拳の幅ほどの等間隔に何本も。横を見やっても同じように縦線。これはおそらく鉄格子。
つまり私は今、檻の中。
檻に捕われているのを把握したあと、更に周りを観察する。目の前にもどうやら同じサイズ、大人が一人なんとか座れるサイズの檻がいくつも並べられているようだ。横だけではない。縦にも積まれていた。
(ひとつ、ふたつ、みっつ……。)
向かいの檻を数えていくと横におそらく5つ。縦にはたいてい2段。ところにより3段。私のいるこちら側にも同じ数。そしてコの字型に並べられているのか奥にもいくつかある。しかしはっきりとは見えない。幅から推測して縦横で6つ程はありそうだ。つまりこの空間には30ほどの檻があるようだ。
その檻どれもにそれぞれうごめく気配がある。いや、動いていないモノもあるようだが、大抵の檻に何かしらが入れられているようだ。
自分がいる檻は高さから考えて2段目だろう。そしておそらくここは奴隷販売所のようなところなのだろう。
ふと隣を見やる。そこには先程からずっと聞こえる啜り泣きの主がいた。それは毛むくじゃらの何か。じっと見ていると、あちらも視線に気がついたようでこちらの様子を伺ってくる気配を感じた。啜り泣くこえも止んでいる。かすかに唸り声も聞こえるような気がする。
気にせず相手の様子を眺めていると、相手もこちらに敵意がないのを感じ取ったのか、唸り声は止んだ。そして相手はソロリソロリとこちらの檻に手を伸ばす。檻の間に隙間はなく、端によればなんとか隣の檻まで届く。
気まぐれでこちらも手を伸ばす。そうすると自分の中に不思議な感覚が沸き起こるのに気づいた。そして手の先がほのかに光り、隣のモノを照らす。
どうやら私には人を癒やす力があるようだった。手から出る光に触れると相手の怪我はみるみる治っていくのだ。怪我が治っていく不思議な感覚。相手の喜ぶ顔。暗闇を照らす仄かな光。それが面白くて、次々と奴隷仲間を癒やしていった。手を触れていなければならないようで、初めは左右の檻と下の3つの檻の仲間を治した。
怪我や病の治った仲間は見目がよくなり、目には生きる力が戻ってきた。そうなるとすぐに買い手がつくようで、この狭い檻から出ていくことができた。外の世界が幸せかはわからないが、檻の中で朽ちていくよりもいいだろう。
やがて支配人も気がついたようだ。私のそばに置くと何故か奴隷が元気になると。理由はわからないが、現実に奴隷が勝手に治っていくのだ。それを利用しない手はない。支配人はこまめに配置換えを行い、まだ怪我の治っていない奴隷を私のそばに置くようにと部下に指示していた。
私にとってもそれは大変都合がいい。仲間を次々と治していった。
一番見ものだったのは檻からはみ出そうな大男を治したときだ。最初は手負いの獣はかくやというほど警戒心を顕にしていた大男。手を差し伸べるも全く手を出さない。こちらも怪我させられたらたまらないと思い、手を出すのをやめ辛抱強く時を待った。
他の仲間と同じく大怪我をしてこの部屋にやってきた大男。怪我が治らないので当然なかなか買い手が付かない。支配人もこの大男が治ることを望んでいたのだろう。私の檻の隣から移動させられることはなかった。長いこと、この大男が私の隣にいるのが定位置となった。
やがて他の者がどんどん不思議な光とともに治っていく光景を見続けたことで、この大男にも心境の変化があったのだろうか。そっとこちらに手を差し伸べてきた。その手を取り、傷を癒やしてやる。大男は男泣きに泣いていた。散々泣いたあと、ニカッと笑った。
ここには様々な種族が奴隷として集められているようだ。しかし、傷を癒やすと皆一様に良い顔をする。奴隷などというふざけた制度が残るこの世界には反吐が出るが、この笑顔が見られることは純粋に嬉しい。
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